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京都の山奥でソフトクリームが年50万本爆売れ 道の駅年商6億で過疎村を輝かせた"元チャラい公務員"の地元愛

プレジデントオンライン / 2024年3月30日 11時15分

南山城代表取締役社長を務める森本健次さん - 撮影=野内菜々

人口2000人台の京都の過疎村に地元食材を使ったブランディングに大成功した「道の駅」がある。代表は元役場の職員。当初は「お前に売れるもんなら売ってみろ」「公務員を辞めたら教えちゃる」と周囲の目は厳しかったが、今や特製のソフトクリームが年50万本も飛ぶように売れるなど、年商6億円超。「村で生まれて村で死ぬと決めた男」は、どのように生産者とタッグを組み、消滅危機の村を輝かせたのか。フリーランスライターの野内菜々さんが現地で取材した――。

■京都の過疎の村の「道の駅」が大繁盛している理由

日本屈指の観光地「京都」。だが、これは主に府庁所在地の京都市のことを指す。同じ京都府には唯一の村があることをご存じだろうか。人口2434人の南山城村(2024年2月29日現在)。日本創成会議が発表した消滅可能性都市17位(2014年)で過疎化の一途をたどっている。

ところが、中山間地域にある小さな村が今、大きな注目を浴び、各地から車に乗ってわざわざ訪れる人が絶えない。人々の目的地は「道の駅 お茶の京都 みなみやましろ村」。この春で開業8年目を迎える。業績はここ数年右肩上がりで、コロナ禍にもかかわらず2023年度の年商はついに6億円の大台を突破する。

なぜ、この消滅危機の過疎村で“偉業”を達成できたのか。それは“ド素人”経営者の存在が大きかった。村名をそのまま会社名にした南山城の社長、森本健次さん(57)。前職は、南山城村役場の職員。公務員歴30年以上、経営はおろか民間企業で働いたこともなかった。

■「地元にあるものをとことん活かす」村づくり

役場では税務課、ごみ処理施設や小学校建設などを担当した。入職して約20年が経った2010年、村長特命の「魅力あるむらづくり推進室」を任される。業務内容は、村の一大プロジェクト「道の駅整備」と移住促進、いわゆる地方創生である。

プロジェクトの重点項目のひとつに「若者が就労できる農業振興」があった。南山城村の特産品はお茶だが、農家の生業があってこそ成り立つ。若手農家を勇気づける取り組みをつくる必要があった。

「若手の茶農家を集めて意見交換を行いました。その場で『茶の売り上げアップを図るなら、(販売店などに卸すのではなく、直接、客への)小売りという方法がある、お茶を生産する以外の部分を誰かが担えばいいのでは?』と提案したんです」

しかし、すぐに厳しく突っ込まれてしまう。

「役場の人間に提案されてもなにも響けへん。まずは個人として信頼関係を築いてからやろ」
別の場では「お茶は売れない、売れるもんなら売ってみろ」とも言われた。

正論に、ぐうの音も出なかった。だが、森本さんはあきらめない。若手茶農家で構成する任意団体・南山城村茶業青年団に入団。役場の仕事を終えると懇親会などに顔を出した。酒を酌み交わし、茶農家たちの茶業への熱い思いにふれ、心の交流が芽生え始めた。

しばらくして、宇治茶で紅茶をつくる「京都南山城紅茶プロジェクト」が立ち上がる。

2011年、森本さんは東京での「地域活性化勉強会」に参加。そこで知り合った紅茶専門店代表から「宇治茶の紅茶をつくってみては?」と提案を受けた。茶農家の協力のもと、生葉10kgを送り紅茶を試作してもらう。できあがった紅茶の、すっきりとしたさわやかな味わいに驚いた。地元茶のポテンシャルの高さを確認できた。2012年2月、村の定例会見で披露。その後日の地方紙夕刊の一面に掲載され、ニュース番組にも取り上げられた。

大きな反響を受け、紅茶製造の拠点づくりがスタート。しかし、紅茶製造にかかる設備などの初期費用は助成金では足りず、発起人として森本さんが私費を投じた。その額140万円超。袋詰め作業、販売サイト制作、配送など、役場の業務時間外に「つくること」以外の作業を担った。

■「森本さんが横領してるんちゃうか?」

メディアに紹介されると波及効果がある一方で、村内にはネガティブな噂が流れ始める。

「紅茶の売り上げは森本さんが横領してるんちゃうか?」
「役場の人間がなんで販売活動をしてるんや?」

背景を知らない村人からの批判の声が、役場に届くようになった。土日を返上し、私費まで投じている個人活動だ。さすがに気が重くなる。開き直らないと心が折れてしまいそうだった。

ただ、一方では茶農家からの信頼を獲得し、直々に販売などつくる以外のことを託されるようになる。森本さんは、本プロジェクトを通じて、地域商社の機能が必要だと痛感した。

4月下旬から5月初旬は新茶シーズン。茶畑は新芽の青々しいさわやかな香りに包まれる。
写真提供=道の駅 お茶の京都 みなみやましろ村
4月下旬から5月初旬は新茶シーズン。茶畑は新芽の青々しいさわやかな香りに包まれる。 - 写真提供=道の駅 お茶の京都 みなみやましろ村

「地元にあるものをどう活かし、どう売るか」

2006年に取り組んだ廃校利活用でも大きな成果をあげていたことも相まって、森本さんの中に確固たる村づくりの考え方が醸成されていく。

■「おまんが腹をくくれ!」

2011年1月、村の正式な施策として「道の駅等整備に関する基本計画」の内容が固まった。その一環で住民主体のワークショップを開催したところ、住民からネガティブな意見が一気に噴き出した。

「特産品は茶と原木椎茸だけ。他に(道の駅で)何を売るのか」
「今更ハコモノを作って維持できるのか」

そして終盤、一人の茶農家が森本さんに言い放った言葉は急所をついた。

「お前がなんぼええこと言うてても、役場におったら2〜3年で異動するやろ。中途半端でなにひとつ信用でけへんし、そんなええ加減なもんに俺ら付いていかれへん」
「役場を辞めたら協力してくれるのか?」

思わず森本さんが聞くと、「辞めるんならなんぼでも協力したる」と返ってきた。道の駅をやる覚悟があるのかないのか。森本さんは自分が試されていると思った。

その後、道の駅実現のため、高知県四万十町にある「道の駅四万十とおわ」へ視察をすることに。1日の交通量わずか1000台で年商1億5000万円(外販含むと3億円 ※2010年度当時)の業績を達成していた。

視察した夜の懇親会。後に森本さんの師となる2人、「道の駅四万十とおわ」を運営する会社の代表・畦地履正(あぜちりしょう)さんと、サコダデザイン・迫田司(さこだつかさ)さんに出会う。

「四万十とおわの成功の秘訣を教えてくれませんか?」

酒がほどよく入り酔いも回って場が打ち解けてきた頃、森本さんは切り出した。しかし、畦地さんのイライラが最高潮に達する。話せども話せども、道の駅の運営の「責任者」が誰かわからないからだ。当時の森本さんの風貌は、細身のスーツに茶髪のロン毛。何やらチャラチャラした雰囲気の公務員が道の駅担当とはとても思えなかったのだろう。

「おまんら行政職員が視察に来て、いったい何をしゆう! 俺らとおまんらは立ち位置が違う。生産者を連れてこい!」

実は最初から森本さんも気づいていた。道の駅計画そのもののゴールは見えた。しかし、誰が社長となって事業を動かすのかが見えない。煮え切らない心の内を畦地さんに打ち明けた。

「本気なら、おまんが腹をくくれ!」 
「役場を辞めたら、教えてもらえるんですか?」
「ああ、教えちゃる」

森本さんは、畦地さんの目をまっすぐに見つめた。固く握りしめた拳の中は汗がじわりとにじんでいた。

俺は、道の駅をやる。覚悟を決めた瞬間だった。

道の駅外観。丘の上に見えるカラフルな建物は森本さんが公務員時代に担当した小学校。
写真提供=道の駅 お茶の京都 みなみやましろ村
道の駅外観。丘の上に見えるカラフルな建物は森本さんが公務員時代に担当した小学校。 - 写真提供=道の駅 お茶の京都 みなみやましろ村

村に帰り「役場を辞める」と妻に伝えた。呆れられたが、言い出したら聞かない性格だとわかっていたので渋々受け入れてくれた。翌日村長に辞表を提出、「早まるな」と突き返されたが、森本さんの心は1ミリも動かなかった。

■日本茶で一点突破、「村茶ブランド」を確立

1年後。道の駅四万十とおわの道の駅運営に関する指導を受けることが決定した。予算は4年で約2000万円。

四万十ドラマは、特色ある道の駅を作るために、考え方の土台となるトータルデザインが最重要と説く。森本さんは、村内在住デザイナーの兜岩(かぶといわ)知也さんに声をかけた。

その後、社員登用を前提とした「地域おこし協力隊」2人が採用され、森本さんは彼らと共に村内を取材し情報収集し、同時に商品開発と情報発信する役割を担った。

最大の課題は「南山城村」と「茶」をどういう形で伝えるのか。

注目したのは、やはりお茶だった。村内には、抹茶の原料「碾茶(てんちゃ)」を栽培する茶農家が数軒存在する。国内での抹茶スイーツの人気を踏まえ、「村の抹茶をふんだんに使用したスイーツを看板商品にして茶商品を展開してはどうだろうか」。南山城村産のお茶を「村茶」と銘打ち、一点突破。商品ブランディングの軸が決まった。看板商品「むらちゃパウンドケーキ」「村抹茶ソフトクリーム」はそうやって作られた。

看板商品のむらちゃパウンドケーキ。年間7000個が売れる。
写真提供=道の駅 お茶の京都 みなみやましろ村
看板商品のむらちゃパウンドケーキ。年間7000個が売れる。 - 写真提供=道の駅 お茶の京都 みなみやましろ村
陳列したそばから売れていくむらちゃプリン。お茶の濃厚さととろりとした食感が人気。
写真提供=道の駅 お茶の京都 みなみやましろ村
陳列したそばから売れていくむらちゃプリン。お茶の濃厚さととろりとした食感が人気。 - 写真提供=道の駅 お茶の京都 みなみやましろ村
年間約50万本販売する、名物村抹茶ソフトクリーム。あざやかな緑色とまろやかな苦味が特長の品種オクミドリの抹茶を贅沢に配合。
撮影=野内菜々
年間約50万本販売する、名物村抹茶ソフトクリーム。あざやかな緑色とまろやかな苦味が特長の品種オクミドリの抹茶を贅沢に配合。 - 撮影=野内菜々

一方、煎茶は茶農家それぞれの味などの特色を打ち出した、コーヒーでいう「シングルオリジン」の考え方を取り入れて「単一農園」と明記。ひと目で個性がわかるデザインとネーミングに仕立てた。

道の駅に置く商品コンセプトは、村在住デザイナー兜岩さんの家の蔵で偶然見つかった、村のレコードにヒントがあった。歌詞カードに書かれてあったのは「おらが村での、つちのうぶ」。

「つちのうぶ」は漢字で書くと「土の産」、つまり土から産まれたものといった意味だ。商品コンセプトは、満場一致で「つちのうぶ」に決定した。

茶を中心としてきた人の暮らしがデザインになった。コンセプトやデザンを披露すると、村人から拍手が沸き起こった。

2015年11月。森本さんは、南山城村が100%出資する第3セクターの会社、南山城の代表取締役に就任。2016年3月、31年間働いた南山城村役場を退職し、翌春に道の駅をグランドオープンした。

「道の駅をやると腹をくくってオープンするまでの7年間が、いちばん苦しくしんどい期間でした。ひとりで取り組んできた村づくり。仲間ができたものの、本当にできるのだろうかと不安は大きかったです。それがようやく形になって、安堵しました」

■初年度年商4.5億円。売り上げは右肩上がりで推移

いよいよオープン。客は来るのか。不安が大きかったが、ふたを開けてみると駐車場の数が足りず、前面の国道には6km、2時間の渋滞が発生。全国ニュースになった。

テレビや雑誌などのメディアに積極的に露出し、意識的に話題性をつくってきた戦略が功を奏した、と森本さんは分析する。1年後にはレジ通過客数は40万人を突破。2年目の売り上げはやや減少したものの、週に一度の定休日を年2回に見直すことで立て直した。

コロナ禍では緊急事態宣言が発令された2カ月間のみ、テイクアウト部門と食堂部門を閉めた状態で、物販は続けた。しかし売り上げへの影響はほとんどなかったという。なぜなら、村の立地が“3密”にならない自然環境下のため、逆に遠方からの集客があったからだ。

「『大阪ナンバーの車が来ている。あんたらのせいでコロナが拡大したらどうすんの⁉』と電話を受けたこともありました。でも、道の駅の売り上げで生計を立てる村人の暮らしを守ることを優先しました。それが僕たち地域商社としての使命なので」

百貨店での催事(主に京都、大阪、東京)も、年3〜4回、積極的に出店する。特に、その場でつくって提供する村抹茶ソフトクリームが人気だ。

現在の商品数は、年間を通じて村茶ブランド商品だけで100種類以上(2024年2月現在)。なかでも、村抹茶ソフトクリームは1日最大1400本(年換算で約50万超本)、むらちゃパウンドケーキは年間7000個売れる看板商品に育った。むらちゃペットボトルは2年目で香港、シンガポールなど海外に渡り、南山城村の“広告塔”として活躍する。

重厚感ある村茶ブランドロゴ。かつての茶農家の販売用茶袋の「茶」の字をトレースして生まれた。先人の茶への誇りと歴史に敬意を表している。
撮影=野内菜々
重厚感ある村茶ブランドロゴ。かつての茶農家の販売用茶袋の「茶」の字をトレースして生まれた。先人の茶への誇りと歴史に敬意を表している。 - 撮影=野内菜々

出荷者約200人の存在もまた、道の駅にとって不可欠だ。2023年度の年商6億円のうち約3割の約2億円が出荷者商品の売り上げだからだ。茶の小売りでは、年間数百万円を販売する茶農家もいる。

茶農家にとっての繁忙期は、4月下旬から5月上旬に刈る一番茶と、6月中旬から7月上旬に刈る二番茶の時期だ。一般的にはこの時の収入が年収になる。ところが、道の駅で小売りを始めてからは、繁忙期外の秋冬に毎月まとまった収入が入るようになった。茶農家だけでなく、近隣農家にとっても非常に大きな変化をもたらしたという。

「小売りのメリットは、市場の買取価格でなく、自分たちが納得できる価格で販売できること。こんなところで茶なんか売れへんでと、かつては同業者にからかわれたこともありました。でも、道の駅が開業したらお客さんがたくさん手にしてくれて、売り上げが大幅にアップしました」(道の駅に出荷する某茶農家)

■開業8年目は課題解決の年に

ゼロからスタートして約14年。村のお茶を目当てに遠くからわざわざ客が訪れる道の駅に成長した。

開業前にベースは出来上がったものの、メディアへの露出を増やし、作って売ることだけで精一杯の6年間だった。しかし、今後は今までのやり方だけでは売り上げは低迷するかもしれないと、森本さんは気を引き締める。

ユニフォームの背中には、「村」のしがらみを突破していく姿勢を表す会社のシンボルマーク。
撮影=野内菜々
ユニフォームの背中には、「村」のしがらみを突破していく姿勢を表す会社のシンボルマーク。 - 撮影=野内菜々

「今後の大きなカギは、生産現場を知り、背景を語れるようなスタッフを育成することです。顧客目線での売り場や商品づくりはもちろんのこと、売り上げを支える出荷者と道の駅スタッフとの連携を、現在よりもっと向上させなければなりません」

「おらが村での、つちのうぶ」――。村で生まれて村で死ぬと決めた男は、これからも変わらず南山城村を背負って生きていく。

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野内 菜々(のうち・なな)
フリーランスライター
1979年生まれ。ジャンルレスで地域のヒト・モノ・コトの魅力を伝えるフリーライターとして活動中。兵庫県在住。

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(フリーランスライター 野内 菜々)

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