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東京・六本木はなぜ「日本一の金持ち街」になったのか…「ピザ」で戦後の東京を支配した男の半生

プレジデントオンライン / 2024年4月7日 14時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/peeterv

終戦後の東京で、闇商売でのし上がり「六本木の帝王」と呼ばれた二コラ・ザペッティというアメリカ人がいる。彼はどのようにして東京の闇社会を牛耳ったのか。作家のロバート・ホワイティング氏の『東京アンダーワールド』(角川新書)より一部を紹介する――。

■戦後の東京にそびえる城のような大豪邸

金とペテンの渦巻く風潮のなかで、アメリカ人二コラ・ザペッティはまさに水を得た魚だった。東京中をさがしても、彼ほどリッチな外国人はいなかった。未申告の収入を含めれば、かのブレークモア弁護士を久々にしのぐ羽振りのよさだ。

1964年10月には、新しいレストランをオープンした。しかもその直前には、店と同じく地代のバカ高い地所に、四寝室のあるコンクリート三階建ての豪邸を購入している。まるで城のような西洋風の家で、一段低い場所に暖炉があるし、グランドピアノ、プール、メイド、執事付きだ。敷地総面積はおよそ三百坪。車が優に二十台駐車できる車路の面積は、なかに含まれていない。

土地に飢えた東京で、これほどぜいたくな話はない。全室のインテリアを完成させるには、応接セット七組が必要だ。高価な絵や美術品の数々を、一財産かけて集めもした。

まもなく“予備”として、それより少し小ぶりの家を六本木に購入。鎌倉という由緒ある門前町にも、別荘を一軒、その近くの材木座という海沿いの町に一軒、さらにホノルルの浜辺にも一軒買った。最新式のヨットも手に入れた。車は数えきれないほど持っている。しかも毎年、新型に買い換えた。キャデラックの最新型を手に入れるには、輸入税と輸送費で、アメリカの小売価格の二倍にはねあがるが、値段などどうでもよかった。

■法外な立ち退き料をせしめた「詐欺師の名案」

アメリカ大使にもひけをとらない豪勢な暮らしだ。

自分はビジネス手腕と“犯罪的策略”によって富を得たのだと、ザペッティは自慢してはばからない。

“犯罪的策略”の絶好のチャンスがめぐってきたのは、都庁の役人が彼のところにひょっこり現れたときだ。道路拡張のために、最初のレストランの敷地を譲ってほしい、移転にあたって店主がこうむる損害は、すべて都が負担するという。

そこで“天性の詐欺師”は、名案を思いついた。

まず、近所のナイトクラブのホステスたちを雇って、客足のとだえる昼間の時間帯に、店内の空テーブルをすべて埋めさせた。こうしておけば、調査にきた役人に、つねに満員盛況、という印象を与えるだろう。ホステスたちは毎日、テーブルで爪の手入れをしながら、道路公団の視察員が現れるのを待った。

数日後にようやくやってきた視察員は、案の定、店の繁盛ぶりに目を丸くし、立ち退き料として九千七百万円という金額をはじき出した。ザペッティが土地と建物代として支払った当初の金額を、二倍以上、上回る数字だ。

「きたないやり方だし、法律にも違反してるさ。だけどみんな似たようなセコいことをやってたんだ」

■アメリカ人が戦後の東京でのし上がったカラクリ

たとえば、東京のスナック経営者の代表団が、ニックの店に押しかけてきて「ピザの値段をもっと上げろ」と要求したことがある。

彼らは「ピザ・トースト」と称するまがい物を売り出していた。スライスした食パンにトマトと国産のプロセスチーズをのせ、オーブンで焼いただけの代物だ。しかしザペッティが経営する〈ニコラス〉へ行けば、その半分の値段で、スモールサイズのピザが食べられる。

「営業妨害だ」と彼らは主張した(このとき、彼らの口から「市場の混乱」という言葉がさかんに飛び出した。その後何年にもわたって、海外から市場開放を迫られるたびに、日本政府はこの言葉で武装した)。

日本人が売っているのは、単なる「グリルド・チーズ・サンドイッチ」にすぎない。ところが彼らはザペッティに、その十倍の値段でピザを売れという。これは不当な価格調整であり、共謀であり、一種のゆすりではないか。

ザペッティはきっぱり断った。彼には米軍基地という供給ルートがある。北米産の材料が格安で手に入るのはそのためだ。違法もへったくれもない。だからこそ手ごろな値段でピザを提供できるのだ。

闇ルートで仕入れるのは、彼にとって欲得ずくというよりも、むしろ必要に迫られてのことだった。

■寝ぼけた理屈で外国勢を締め出そうとしてくる

普通の販売ルートで買えば、輸入品はべらぼうに高い。日本ではトマトソース一缶が、アメリカの五倍はする。豚肉やチーズも同様だ。ザペッティはこうした材料を、海外から大量輸入しようと何度か試みている。ところがそのたびに、わけのわからない規則や法律にはばまれ、許可がおりなかった。たとえば、トマトソースを輸入しようとしたら、役人にこんな寝ぼけたことを言われた。

「太陽光線に当てて栽培したトマトは、輸入できないことになっている。わが国では、輸入トマトはハウス物しか認可しない」

数少ない国内生産者を守るために、市場から外国勢を締めだそうとしているのは明らかだ。輸入品が市場に参入すれば、品質の劣る国内生産物は、たちまち吹き飛ばされてしまうだろう。チーズひとつを例にとってみても、日本は十九世紀に生産をはじめたばかりだから、ヨーロッパの水準にはまだまだほど遠い。

そんな商品に、法外な金額を払わされるのは、もっぱら働きバチのようなサラリーマンや、家計のやりくりに追われる主婦たちだ。そうした消費者のニーズは完全に無視されている。結局のところ、たっぷり政治献金をしてくれるのは、生産者であって消費者ではない。

■「みんなから“六本木の帝王”と呼ばれたものさ」

伸びる一方の需要に合わせて、レストランの本店を三百平方メートルほど拡張し、しばらくしてまた三百平方メートルほど拡張した。駐車場を設け、屋上にソーセージのミニ工場を増設した。条例違反だが、かまうことはない。新しいシェフを雇い、スタッフを増やし、六本木じゅうに支店を設けた。横田にピザの冷凍工場を建設し、四トントラック数台で製品をせっせと配達した。

使い道に困るほどの猛スピードで、金が舞い込んでくる。

ザペッティは毎晩、赤坂や六本木の歓楽街へ、時間の許すかぎり通った。美女を抱かずに眠った夜は一度もない。ときには二人いっぺんに抱いて寝た。ナイトクラブのバーテンダーたちは、好色なガイジンの旦那と、取り巻きの女たちをよく知っているから、彼が店にやってくるたびに、新顔のホステスを差し向けた。

「みんなから“六本木の帝王”と呼ばれたものさ」

数年後、ザペッティは自慢した。

「そのとおり。おれは日本一リッチなアメリカ人になった。とびきりの美女をいつも連れていたから、道を歩いてるとみんなが振り返ったもんだ」

バーのカウンターに並んだグラスと酒の瓶
写真=iStock.com/Nikada
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Nikada

■ニセの米軍IDカード、円の偽造債券、盗品の毛皮コート…

“東京のマフィア・ボス”ザペッティのもとには、ほかにもいろいろな金もうけの話が舞い込んできた。日本の米国商工会議所の会合ではまともに取りあげられないような、あやしげなビジネスばかりだ。

奇妙な要請や商談が、つぎつぎにザペッティのもとへ寄せられてくる。

アメリカ人たちが、ニセの米軍IDカード、闇ドル、円の偽造債券、盗品の毛皮コートなどを売りつけにきた。密輸米もあった。これは日本ではかなり需要が高かった。米穀産業に大きく依存している自民党が、厳密な価格規制をしているからだ。

ナイトクラブのホステスたちは、今後の商品価格、金利の変更などのデータをひっさげ、“国際的な極秘ビジネス情報”の買い手を求めてやってきた。自分を置き去りにした外国人の恋人を探してほしい、という日本人妊婦からの依頼もあった。

横浜港に停泊中の船の乗組員は、「黄金の三角地帯(東南アジアの生アヘンの生産地帯)」から持ち込んだ商品を、こっそり売りさばくためにやってきた。元マフィアの殺し屋は、コカインを日本の大衆に紹介したがった。

ザペッティは一部を引き受けたが、トラブルや危険性をはらんだものは断った。残りは、自分よりふさわしい「仕事仲間」に紹介した。

■不倫相手の“抹殺”を頼まれたことも

フライ級のトップクラスにいる南アメリカ出身のボクサーも、仕事仲間の一人だ。ビッグタイトルマッチのために来日していたこのボクサーが、ザペッティに百万円を握らせ、自分の妻の不倫相手を“抹殺”してくれと頼んだことがある。相手の男は南アメリカ出身の無冠のミドル級ボクサーで、彼も試合のために来日中だった。

ザペッティは不倫男を、もうもうと煙のたちこめた銀座の韓国料理店に連れていった。するとミドル級ボクサーは、二日もしないうちに、飛行機に乗ってそそくさと帰国した。

この結末はかならずしもフライ級ボクサーの思惑どおりではなかったが、文句を言っている場合ではなかった。彼の妻が、すでに別の男とねんごろになっていたからだ。

海老原という若者のケースもある。ある日、海老原と名乗る五十代後半の母親が、〈ニコラス〉横田店にやってきて、店主に頭を下げた。過ちを犯して少年院に入っている息子の、スポンサーになってほしいという。

もともと犯罪者に同情的なニックは、二つ返事で引き受け、釈放された海老原少年に、キッチンでの肉体労働をあてがった。

■日本のヤクザからも狙われていた

まもなく少年は、新しい雇い主のところにやってきて、こう言った。

「少年院から出してくれて、ありがとうございました。すごく助かりました。ええと、人から聞いたんですけど、マスターはとても強いそうですね。おれ、ボクサーになりたいんです」

ザペッティはレストランの裏庭で、少年の反射神経と運動能力をテストすることにした。幅三十センチ長さ一・五メートルほどの板を、麻縄でぐるぐる巻きにして地面に突き立てる。それにパンチを加えさせ、板が跳ね返ってくる前に、機敏に避けられるかどうかをチェックするのだ。結果はすばらしかった。あまりにもすばらしいので、ザペッティは若者を、知人の経営する目黒のボクシング・ジムに連れていくことにした。野口という右翼である。

「野口さん、この坊主はすごいパンチ力を持ってますよ」

海老原がタイのポーン・キングピッチに世界タイトルマッチを挑むのは、その後まもなくのことだ。

「東京のマフィア・ボス」と呼ばれるからには、つねにヤクザに囲まれていることを覚悟しなければならない。

案の定、〈ニコラス〉には東声会の面々がひっきりなしに食事にやってきた。

■黒いスーツ、黒い帽子、真っ黒なサングラス

〈ニコラス〉の店頭には、巨大な看板がかかっている。大きな団子っ鼻のシェフが山積みのピザを抱えている絵だ。「横に暴力団のマークを入れるべきだ」常連がそんな冗談をいった。

東京のゴロツキ集団を、ザペッティほど間近に見たアメリカ人はおそらくいない。

折しも東映映画が、戦前と現代の暗黒街を舞台にしたロング・シリーズで、ヤクザを礼賛しはじめていた。筋骨隆々の体に念入りに入れ墨をほどこし、カラフルな着物をまとって、長い日本刀を手にした、見るからにヒロイックな人物が主人公だ。シドニー・ポラックの一九七四年の映画『ザ・ヤクザ』も、このイメージを採用している。

しかし、〈ニコラス〉に毎晩出没した連中は、ヤクザ映画とは似ても似つかない容貌をしていた。まず服装が違う。どちらかというと、一九六四年に大ヒットした映画『殺人者たち』のリー・マーヴィンに近い。黒いスーツに、黒い帽子、真っ黒なサングラスをかけて、髪は角刈り、肩から掛けたホルスターには、38口径をしのばせている。

たばこを吸っている黒い帽子をかぶった男
写真=iStock.com/urbazon
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/urbazon

■覆面捜査も不可能な東京のヤクザの日常

いずれもぞっとするほど不健康だ。朝から晩まで、安酒とフィルターなしのタバコと興奮剤にひたっているせいで、体はガリガリだし、顔色はやけに青白い。糖尿病を患っている者も多く、虫歯や痔の治療の話題が“日常会話”。ヤクザたちの大半は遅かれ早かれ刑務所のやっかいになるが、服役中、虫歯と痔は治療の対象外なのだ。

ヤクザのふりをして覆面捜査官が潜入しても、簡単に見破られてしまう。私服警官は一様に血色がよく、千六百メートルを四分足らずで走れそうな元気者ばかり。暗黒街では、私服警官を「桜田組」と呼んでいる。すぐに握手をしたがるのも、見破られる原因だ。本物のヤクザなら、ただ頷いて、暗い目でじっと相手をにらみつける。

当時のヤクザは、たしかに不健康ではあったが、勇気だけは並外れていた。

東京のヤクザには、小指の先がない者が少なくなかった。ヤクザの風習にしたがって、なにかの罪滅ぼしに指をつめるからだ。

■麻酔なしで53針縫った渋谷の暴力団のボス

町井親分(町井久之)も例外ではない。一九六三年、町井が大阪の暴力団と手を結んだばかりのころ、子分の一人が相手の暴力団の顧問格である重要人物を、カッとなったはずみに拳銃で撃ってしまった。

その直後、東声会の町井親分は、落とし前をつけるために、みずから小指の先を切断した。銀の果物ナイフを使って、“儀式”は厳かにおこなわれた。関節部分にうまく刃を食い込ませ、ざっくりと切り落とす必要がある。身の毛のよだつような肉片をホルマリン漬けにして、相手のボスの家に届けなければならないからだ。

こんな壮絶なことができる人間は、ザペッティの故郷プレザント・アヴェニューに、そうざらにはいない。

ヤクザの武勇伝は数知れない。渋谷の暴力団のボスは、路上の喧嘩で耳から顎にかけて、バッサリと切られたときに、麻酔なしで五十三針縫ったという。

日本刀を振りかざした男と、“丸腰”で対決したケースもある。その“偉業”を達成したのは、金子という東声会組員で、今は左手首から先がない。ヤクザの世界では、これこそがもっとも勇気ある行動とみなされる。

■巨漢のアメリカ人すら震えて逃げ出すほどだった

元ヤクザが本音を語った。

「日本刀がキラリと光った瞬間に、ああ、俺はあれでバッサリ斬られる、と実感するわけよ。最悪の気分さ。ハジキなら、一巻の終わり。コロッとあの世へいける。しかし、日本刀はそうはいくもんか。血がドクドク流れ続けて……」

〈ニコラス〉のガイジン店主は、レストランにやってきた西洋人と、店の常連のヤクザとの喧嘩に、何度巻き込まれたことだろう。

ロバート・ホワイティング『東京アンダーワールド』(角川新書)
ロバート・ホワイティング『東京アンダーワールド』(角川新書)

東声会の組員たちは、日本人にさんざん差別されてきた韓国人だから、「純血ヤクザ」にけっして好感をもっていない。しかし、「アメ公」(アメリカ人をさす軽蔑的な俗語)に対する強烈な反感という意味で、両者は意気投合していた。彼らの目から見ると、占領が終わってすでに二十五年たつにもかかわらず、アメリカ人はいまだに東京の街をわが物顔で闊歩していた。

〈ニコラス〉の客に、デイヴという元GIの巨漢がいた。声が大きく、いつも自慢たらたらのめかし屋で、筋肉をひけらかし、乱暴なしゃべり方をする。

ある日の午後、バーのスツールに腰掛けていたデイヴは、東声会中堅幹部、松原に拳銃をつきつけられ、外に待たせてある車に連れ込まれた。その後いったい何が起こったのかは、誰も正確には知らない。デイヴは真っ青な顔をしてガタガタ震えながら、コートを取りに戻ってきた。そして二度と六本木界隈に現れることはなかった。

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ロバート・ホワイティング 作家
1942年、米国ニュージャージー州生まれ。カリフォルニア州立大学から上智大学に編入し、政治学を専攻。出版社勤務を経て、執筆活動を開始、日米比較文化論の視点から取材を重ねた論考が注目を集める。77年『菊とバット』(サイマル出版会、文春文庫)、90年『和をもって日本となす』(角川書店、角川文庫)はベストセラーとなった。『東京アンダーワールド』は取材・執筆に10年の歳月を費やし、単行本と文庫で20万部を超えている。他の著書に『サクラと星条旗』『イチロー革命』(以上、早川書房)、『ふたつのオリンピック 東京1964/2020』(KADOKAWA)など。

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(作家 ロバート・ホワイティング)

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