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「水ダウ」「電波少年」の源流になった…ビートたけしが「日本のバラエティのほとんどを作った」と呼んだ番組

プレジデントオンライン / 2024年4月10日 13時15分

フライデー乱入事件の第2回公判で、東京地裁に入るビートたけしこと北野武被告(1987年5月26日、東京・霞が関) - 写真=時事通信フォト

バラエティ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ‼」(1985~96年、日本テレビ系)は、いまでも「伝説の番組」として語り継がれている。どこがすごかったのか。社会学者の太田省一さんは「バラエティ番組にドキュメンタリーの手法を持ち込み、人間の生々しいリアルな姿を浮き彫りにした演出は革命的だった」という――。

■バラエティ番組の時代の始まり

1980年代、テレビは娯楽の王様として揺るぎない地位を確立し、いままでなかったような常識破りの番組が生まれた時代だった。

なかでも日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ‼』は、日曜夜8時台、強敵大河ドラマの裏番組でありながら斬新な企画の数々で画期的な成功を収めた。いったいどこがどうすごかったのか?

約11年続いた最終回のエンディング。番組のメインであるビートたけしは、「テレビの第2次創成期の、バラエティのかたちとしては、『元気』はほとんどつくったなという自信はある」と誇らしげに語った。

1953年から始まった日本のテレビは、1980年代に新たな時代を迎える。それをたけしは「第2次創成期」と言ったのだろう。

確かにいまみても、いまのバラエティ番組の定番企画になっているものの多くはこの番組が生んだと言っても過言ではない。1985年のスタート時から、続々と斬新な企画が登場した。

たけしが社長で松方弘樹が部長、木内みどりが秘書、野口五郎、高田純次、兵藤ゆき、島崎俊郎、桑田靖子らが社員の「元気が出る商事」という会社があり、どんな企画でも請け負うという設定。大がかりな宣伝キャンペーンから街の素人発掘、そして新しいタイプのどっきりまで、実にさまざまな企画が生まれた。

その様子はまさに「企画の総合商社」。そして企画の多くは一般人を大々的に巻き込むようなものだった。テレビが現実を動かす時代の始まりである。

■寂れてしまった商店街を番組の力で復興させる

まずきっかけは、「復興広告計画」。東京・荒川区の熊野前商店街という、寂れてしまった商店街を番組の力で復興させようという企画である。

たけしをモデルにした宣伝ポスターだけでなく、招き猫の顔の部分をたけしにした「たけし猫招き」を製作。除幕式を商店街でおこなったときには松方弘樹らも参加するとあって大盛況となった。なかには「たけし猫招き」に供え物をして拝む人まで現れた。

いまのテレビでもよく見るような企画だが、それまでは「テレビはテレビ、現実は現実」であり、テレビの力、それもバラエティ番組の力で現実を変えるという発想はなかった。

だから視聴者が新鮮さを感じ、商店街に殺到するという現象も起こったのである。ここからさらに、他の街の復興企画や知名度の低い大学のプロモーション企画などが放送された。

もちろん、視聴者はテレビにいいように操られていたわけではない。これもまたひとつの遊びであることを十分わかったうえで、企画に乗っかっていた。そしてこの“共犯関係”はさらにエスカレートし、さまざまな不思議企画へと発展していく。

■河童探索という怪しい企画

「河童捜索」はそのひとつ。その名の通り、河童伝説が残る土地で河童を探すというものである。

残されていたという古いフィルムに河童らしき姿の生き物が映っていて、「元気が出る商事」の名誉顧問だったCMディレクター・川崎徹(「ハエハエカカカ キンチョール」など面白CMで一世を風靡した)を隊長とした本格的調査が始まる。

すると池の畔の小屋に河童らしき生き物を発見。捜索隊があれやこれやで交信を試みる、という映画『未知との遭遇』をパロディにしたような内容だった。

また半魚人の企画もあった。街中に半魚人が出現して魚屋を襲撃。それを防ごうとする川崎徹と格闘を繰り広げる。その後なぜか、半魚人がスナックを経営し、そこでショーをするという流れになる。

これだけでも十分怪しいが、それだけで終わらなかった。

■真面目なのかふざけているのか

ガンジー・オセロは、推定200歳というインドの行者。来日して数々の奇跡(?)を起こし、最後に巨大な卵を残して姿を消した。そしてその卵から、謎の生物が誕生する。

さらに、物語は予想もしない壮大な展開に。恐る恐る卵の殻のなかを調べてみると、地図らしきものが。そこに書かれた場所に行ってみると、ひとりの老人がいた。その名は龍来珍。中国出身の仏師だという。

龍は、大仏の設計図を握りしめていた。それをもとに、最新のテクノロジーと融合させた巨大仏像が建立される。その高さ5メートル。そして東京・明治公園に雨が降るなか集まった1万人の観衆の前でいよいよお披露目に。

大仏
写真=iStock.com/BrendanHunter
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/BrendanHunter

龍が最後の仕上げとして仏像に魂を入れる「仏魂拳」の儀式をおこなうと、仏像の眼が開いて自ら動き出した。「大仏魂」の誕生である。

大仏魂は動くだけでなく、しゃべることもできた。「あなたのお名前は?」と聞くと「だい ぶっ こん」と重々しい声で返事が。続けて「あなたは何のために、現れたのでしょうか?」という問いには「日本の平和を守るため」。

ここまではよいが、リポーターの高田純次が脈絡もなく「3+7+5は?」と聞く。すると少し間があって「15」。スタジオでVTRを見ていたたけしが「足し算させてどうしようってんだ。しょうがねえなあ」とすかさずツッコむ。

この後大仏魂は、みんなを幸せにするために全国行脚の旅に出るという流れになるのだが、真面目なのかふざけているのかよくわからない。いや、間違いなくふざけているのだが、しゃべる5メートルの巨大大仏にはどこか厳かな雰囲気も漂っている。

■3000万円の指輪を口に入れた高田純次

「心がない」と言われた高田純次のリポーターぶり(この番組で、芸能界の大御所・清川虹子の自宅訪問で家宝の3000万円というダイヤの指輪を口に入れて大騒動になった話は有名だ)やたけしの鋭いツッコミもあるとはいえ、企画全体のトーンは大真面目。もはや不思議を通り越してシュールとしか言いようがない。

こうした企画を、日曜夜8時というゴールデンタイム中のゴールデンタイムに家族全員がお茶の間で見ている姿を想像してもらいたい。いかに世の中全体が「なんでもあり」の鷹揚な時代だったかがわかってもらえるだろう。

一方で、この番組は素人が主役の企画も多かった。テレビに視聴者参加はつきものだが、この番組に登場する素人はとにかく輪をかけてキャラが濃かった。

全員パンチパーマという「パンチパーマ軍団」を率いていたパンチ相沢会長もこわもてのなかに純情な素の部分が見えて人気者だったが、なんといってもインパクトがあったのはエンペラー吉田だろう。

■名物素人が次々登場

エンペラー吉田は、見た目はどこにでもいそうなおじいちゃん。いつも紺地に白のラインが入ったジャージを着ている。変わった特技などがあるわけではない。人柄は実直そのもので、どんな質問にも生真面目に答えてくれる。

だが力が入るあまり、必ずと言っていいほどしゃべると入れ歯が豪快に外れてしまう。むろん計算ではないが、そのあまりのタイミングのよさに思わず爆笑してしまう。

入れ歯をはめようとする高齢者
写真=iStock.com/manassanant pamai
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/manassanant pamai

一方で「偉くなくとも、正しく生きる」が座右の銘で、それを体現したような本人の佇まいについ好感を抱いてしまうようなキャラクターだった。

ほかにも全国各地で噂になっている素人を訪ねるコーナーもあった。あの安室奈美恵も、中学3年生で14歳のとき、「沖縄の空手美少女」として出演している。

後の有名人が出ていたと言えば、この番組にヘビメタバンドがフィーチャーされる企画があったのだが、そのなかにX(現・X JAPAN)のYOSHIKIがいたというのも知る人ぞ知るところだ。草野球の企画には、的場浩司が出演していた。

ほかにも「○○予備校」と称したいろいろなオーディション企画があり、そこから俳優の岡田准一や後に世界チャンピオンになるボクシングの飯田覚士などが輩出された。

■あの国会議員もこの番組出身

視聴者参加によるコンテスト企画もヒットした。有名なのは、「ダンス甲子園」こと「高校制服対抗ダンス甲子園」。LL BROTHERSのようなプロのダンサーが出ただけでなく、俳優・タレントから政治家になった山本太郎が競泳パンツに黄色い競泳帽姿で「メロリンキュー」のギャグとともに人気を博したのも有名な話だろう。

また、「幸せの黄色いハンカチ」(素人時代のおぎやはぎ・矢作兼が出演したことがある)「勇気を出して初めての告白」(こちらには俳優の稲森いずみが高校生時代に出演した)など恋愛をフィーチャーした胸キュン系の企画、「勉強して東大に入ろうね会」という受験チャレンジ企画など、若者を主役にした感動路線の企画も人気を呼んだ。

■テリー伊藤のこれまでになかった演出

ほかにも、芸能人がターゲットになった「早朝バズーカ」(寝ている部屋に忍び込んでいきなりバズーカを発射する)のようなどっきり企画など、まだまだ話題になった企画は多い。

ロケットランチャーを構える兵士
写真=iStock.com/zim286
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/zim286

繰り返しになるが、まさに「企画の総合商社」。そこには現実をアトラクションやテーマパークに変えてしまうような圧倒的なパワーがあった。この番組でバラエティの才能が開花した大御所俳優・松方弘樹とビートたけしがデュエットした「I’ll Be Back Again…いつかは」がヒットしたのも、当時の番組の勢いを物語る。

総監督(総合演出)のテリー伊藤は、それまで放送コードぎりぎりの過激な番組をつくるディレクターとして業界で知られていたが、この番組で一気にメジャーになった。その後『ねるとん紅鯨団』(フジテレビ系)や『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京系)を手がけ、一時代を築く。

その演出術の基本は、バラエティ番組にドキュメンタリーの手法を持ち込み、人間の生々しいリアルな姿を浮き彫りにすることにあった。これもいまではバラエティの常道だが、その元祖と言ってもよい。

実際、テリー伊藤のもとでディレクターとしてこの番組に携った日本テレビ(当時)の土屋敏男は、その後『進め!電波少年』を企画・演出して大成功を収める。

1990年代から2000年代にかけて一世を風靡した「ドキュメントバラエティ」の流行は、この『天才・たけしの元気が出るテレビ‼』なしにはあり得なかった。その影響は、『水曜日のダウンタウン』(2014年放送開始)など現在にも及んでいる。

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太田 省一(おおた・しょういち)
社会学者
1960年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本、お笑い、アイドルなど、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動を展開。著書に『社会は笑う』『ニッポン男性アイドル史』(以上、青弓社ライブラリー)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『21世紀 テレ東番組 ベスト100』(星海社新書)などがある。

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(社会学者 太田 省一)

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