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なぜ体育会系の人間は「体罰」や「根性論」がやめられないのか…「体育」と「スポーツ」の決定的な違い

プレジデントオンライン / 2024年4月25日 8時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/y-studio

日本のスポーツ界で「体罰問題」が頻発するのはなぜか。桃山学院大学の大野哲也教授は「本来のスポーツとは『遊び』なのに、日本では『体育』として導入されてしまった。その結果、楽しむことよりも、礼儀を重んじ、努力と忍耐を重ねる規律・訓練に変化した。ここに根本的な原因があるのではないか」という――。

※本稿は、大野哲也『大学1冊目の教科書 社会学が面白いほどわかる本』(KADOKAWA)を再編集したものです。

■スポーツの語源は「一時的に離れる」→「遊び」

サッカー、陸上競技、水泳、ゴルフ、登山など、思い浮かべることができるスポーツのほとんどは1700~1800年代にかけてイギリスで誕生した。

単語の“sports(スポーツ)”は、ラテン語の“deportare(デポルターレ)”が変化したものだ。デポルターレは「de(離れる)」+「portare(持つ)」≒「一時的に離れる」という意味を持っていた。それがフランスに入ると「気晴らし」を意味する“desporter(デスポッティ)”となり、さらにそれがイギリスに渡って「遊び」を意味する“disport(ディスポート)”に変化した。その後さらに移行して1800~1900年代にかけて現在の“sports”が一般化していった。スポーツは「一時的に離れる」→「気晴らし」→「遊び」という歴史を持っているのだ。

なぜ「一時的に離れる」が「遊び」へと移り変わったのだろうか。その理由の一つは、1700~1800年代にイギリスでおこった産業革命にある。これによって、ものづくりの方法は職人(とその家族)が朝から晩までコツコツと手仕事で部品をつくり、組み立てる家内制手工業から、巨大な工場を建設し、機械の力で部品をつくる工場制機械工業に変化した。

■産業革命で手に入れた「プライベートの時間」

それだけではない。人びとの生き方もドラスティックな変化を経験した。技工は不要になり、工場で働く雇用労働者が誕生したからである。彼らは朝、自宅を出て工場へ向かい働き始める。夕方になるとその日の勤務を終了して家路に就く。工場にいる時だけが労働時間で、そこを一歩でも出れば完全に労働から解放された。家内制手工業では渾然一体となっていた労働とプライベートが分離し、人間は歴史上初めてプライベートの時間を手に入れたのだ。

労働から解き放たれて自由を手にした人びとはなにをしたのだろうか。家内制手工業では、仕事の主導権は職人が握っていた。どのような方法でなにを作ろうが、彼らの裁量に完全に委ねられていた。しかし工場制機械工業になるとそうはいかない。作業のイニシアティブを握っているのは冷徹に動き続ける機械であり、人間はそのペースに合わせて動かなければならなかった。

心を持たないマシンにこきつかわれるわけだから、相当ストレスが溜まったことだろう。その鬱積を発散し、心身ともにリフレッシュするために工場を出て解放された彼らは思い切り遊んだ。そして明日の労働への活力を養い、自分自身の尊厳を取り戻したのだ。

労働から一時的に離れ(deportare)て、気晴らし(desporter)のために、一所懸命に遊んだ(disport)のである。これが“sports”の語源なのだ。

■イギリスのスポーツの特徴「男らしさ」

ここからは、イギリス・アメリカ・日本のスポーツを比較しながら、それぞれの特徴を浮き彫りにしてみよう。

イギリス発祥の近代スポーツの特徴は「男らしさ」に強くこだわるところだ。

サッカーやラグビーにはオフサイドという反則がある。簡単にいえば、攻めている方向に対してボールの前から攻撃に参加してはいけないのだ。「待ち伏せ攻撃」はオフサイドの最たるものだ。

泥だらけのラグビー選手
写真=iStock.com/Lorado
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Lorado

もしも待ち伏せ攻撃が合法だったらその試合はどうなるだろうか。おそらく攻撃側プレーヤーがフィールドのあちらこちらに散らばって球を持った選手からのパスを待つプレースタイルが主流となるだろう。しかしオフサイドを導入すれば、そのような戦術は採用できない。必然的に選手はボールに突っ込んでいかなければならない。さらにはその密集に突進していくことが求められるようになる。

彼らはたとえ怪我をしようが、しゃにむにボールにダッシュしていった。なぜなら、それが男らしさの象徴だったからだ。球から離れて恥をかいたり、汚い行為をする者といったレッテルを貼られたりするわけにはいかなかった。

男らしさへの強いこだわりはボクシングにもみられる。1700~1800年代におこなわれていた初期段階では、階級も十分に制度化されておらず、グローブもなく、殴り殴られるだけの血なまぐさいファイトだった。たとえボクサーが深刻なダメージを受けようとも、本人には試合をやめる権利がなく、帯同しているスタッフが敗北を認めるまで試合は続けられた。

飛んでくる拳を腕でブロックするのは正当な技術だったが、上体を逸らしたりフットワークをつかって避けたりすることは男らしくない卑怯な行為として蔑まれていて、パンチを受けても倒れない屈強さをみせつけたうえで相手を殴り倒すところに醍醐味があった。

現在のスポーツ化されたボクシングを考えれば、男らしさに対する執着は尋常ではなかった。

■植民地支配の手段として利用された

イギリス流のスポーツがこれほどまでに男らしさにこだわった理由の一つは、当時の植民地主義を土台にした資本主義にある。1700~1800年代にかけてイギリスが産業革命を成し遂げたことは先述したとおりだが、そのためには属領地から巨万の富を吸い上げることが必須だった。

植民地では、少数のイギリス人が圧倒的多数の現地の人びとを統治しなければならない。抑圧と差別をされ続け、苦難の生を強いられる者たちが、いつ反旗を翻し暴動を起こすかわからない。危険とリスクをともなう現地社会を支配するためには、不屈の闘志が必要だったのである。それを体現し、証明し、修養するための手段の一つとして、スポーツが利用されたのだ。

■アメリカのスポーツの特徴「合理性とエンターテインメント」

アメリカ発祥のスポーツにはイギリスとは違う特徴がある。アメリカ資本主義はイギリスのように植民地経営を土台にして成立しているのではなく、合理性と効率性を基底にしており、それがスポーツにも反映されているのだ。

これはアメリカ型ではプレーヤーのポジション(役割)がほぼ固定化されていることに見ることができる。

ベースボールにおけるピンチランナーやピンチヒッターはその典型で、役割は一回だけの「走ること」と「打つこと」に限定されている。バレーボールのセッターはトス、リベロはサーブレシーブだけに専心して他のプレーは原則的に担当しない。

選手は割り振られた仕事だけに特化し、それ以外のプレーはほとんどおこなわない。専門性を高めることで効率化と合理化が促進されるのだ。

■ルール違反すれすれの行為=「頭脳プレー」

もう一つの特徴はイギリス型のように男らしさにはまったくこだわらないことだろう。フットボールにおけるオフサイドのようにボールに密集していく心性はアメリカ型にはない。むしろそのような執着をナンセンスだと思っている節がある。ルール違反すれすれの行為は頭脳プレーとして称賛される傾向があるからだ。

大野哲也『大学1冊目の教科書 社会学が面白いほどわかる本』(KADOKAWA)
大野哲也『大学1冊目の教科書 社会学が面白いほどわかる本』(KADOKAWA)

ベースボールの盗塁は英語でスチール(steal)といい、文字どおり「盗み」を意味する。卑怯そのものの行為ではあるが、ルールに則った正当なプレーである。バスケットボールやバレーボールのフェイントは相手を騙す行為だが、怒ったり汚いプレーだと批判したりする人はいない。

一つの試合で大量に得点が入ることもイギリス型とは異なる点だ。バスケットボールならば両チーム合わせて200点近く入ることがあるし、バレーボールは1セットが25点先取である。ほとんど点が入らないサッカーを思い浮かべてみれば、まったく指向性が違うことがわかる。アメリカ型スポーツにはエンターテインメントの要素が強いのだ。

イギリス型とアメリカ型は同じ資本主義の申し子とはいえ、根底に流れている思想がまったく異なっているのである。

■日本のスポーツの特徴「規律・訓練」

後発国としての近代化を強いられた明治政府はスポーツの普及を後押しし「体育」として学校教育に導入していった。心身を鍛え健康の増進に役立つからだ。それは「富国強兵」にもマッチしていた。だがこれを短期間で達成しなければならないという事情は、スポーツの核心である遊びの要素を排除していった。楽しんでいる場合ではなかったのだ。

スポーツは体育となって一般化していったが、そのプロセスで遊戯の要素は失われ、楽しむよりも、礼儀を重んじ、努力を重ね、忍耐に忍耐を重ねる規律・訓練(権力側にとって好都合な価値、思考、身体技法などを日々の訓練によって人びとに埋め込んでいく権力のあり方)に変化した。これが現在の体罰問題、しごきや根性一辺倒などの間違った指導方法、監督や先輩・後輩間の礼儀作法の問題、勝利至上主義などにつながっている。

我々の日常に深くなじんだスポーツに、各国それぞれの「近代」が刻み込まれていることがおわかりいただけただろうか。

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大野 哲也(おおの・てつや)
桃山学院大学社会学部 教授
1961年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科指導認定退学。博士(人間・環境学)。桐蔭横浜大学スポーツ健康政策学部を経て、現在、桃山学院大学社会学部教授。大学の体育学部卒業後、高知県の山奥にある全校生徒11名の中学校の教員になる。現職参加制度を利用して青年海外協力隊に参加し、パプアニューギニアでスポーツ指導に従事。教員を退職して、5年間自転車で世界を放浪。旅のあと、大学院に入学して社会学と文化人類学を学ぶ。著書に『旅を生きる人びと バックパッカーの人類学』(世界思想社)、『20年目の世界一周 実験的生活世界の冒険社会学』(晃洋書房)がある。

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(桃山学院大学社会学部 教授 大野 哲也)

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