「頭にネジが突き刺さった男性」が歩いて入ってきて…救急部で働く看護師が衝撃を受けた"日常とのギャップ"
プレジデントオンライン / 2025年1月10日 9時15分
※本稿は、松永正訓『看護師の正体 医師に怒り、患者に尽くし、同僚と張り合う』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
※登場人物の名前は仮名です。
■運良く患者が一人も来ない日は超ラッキー
千里たちは二人一組で救急部の夜を過ごした。救急処置室はけっこう広い。医師が診察する机の隣に処置台があり、そこから少し離れた場所に患者が点滴を受けたりして横になることができるベッドが10台くらい並んでいる。ベッドとベッドとの間はカーテンで仕切られていた。
千里は急患が来ないことをひたすら祈った。運良く患者が一人も来ない日は、超ラッキーである。平穏な夜は、患者用ベッドで眠ることも許可されていた。こうなると、いわゆる「寝当直」なので、働かなくてもガッチリ当直手当を受け取ることができる。
だが、新病院は国道に近いため救急隊からするとアクセスがよく、また周囲に工事現場が多かったので、けっこう患者が運ばれて来た。
■50代くらいの男性のこめかみに巨大なネジが突き刺さっていた
「千里さん、急患、来るって」
準夜勤の時間帯に入ったばかりでいきなり先輩に言われた。
「どんな患者さんですか?」
「工事現場で酸素ボンベが爆発して、ボンベのネジが吹き飛んで頭に刺さっているらしいの」
「ひっ」
酸素ボンベのネジは直径10センチくらいの大きなものである。それが頭に刺さるって一体……。
「その人、生きているんですか?」
「死んだとは聞いてないから生きているんだと思う。準備しましょう」
「準備って何をすればいいんですか?」
「……そうね。何をすればいいのかしら?」
救急車が病院に着いた。50代くらいの男性のこめかみには確かに巨大なネジが突き刺さっていた。しかし……その男性は歩いて処置室に入ってきた。
脳外科医が痛みや気分などいろいろと質問すると、その患者は普通に受け答えをした。
(こんなことあるの?)
千里は人間って何だろうかと驚いた。
X線を撮影してみると、ネジは頭蓋骨に食い込んでいた。
「じゃあ、これから緊急で手術しましょう」
「先生、お願いします。こいつを抜いてください」
千里は、患者をストレッチャーに乗せて手術室まで運んで行った。翌日、聞いた話では、手術でネジを除去し、骨を外して脳の損傷の有無を確かめたらしい。幸い脳には外傷はなく、今は脳外科病棟に入院しているとのことだ。
■「船のスクリューに巻き込まれた」
病院は海に近いので、海の事故もあった。やはり準夜勤の時間だった。
「千里さん、急患。船のスクリューに巻き込まれたって。これから来るわ」
「ひっ」
それってかなり重症のような気がする。スクリューに巻き込まれてただで済むはずがない。
「先輩、その人、生きているんですか?」
「……死んだとは聞いていないけど。だから準備をしましょう」
「準備って何をすればいいんですか?」
「……そうね。何をすればいいのかしら?」
救急隊が処置室にドカドカと入ってきた。雰囲気からして緊迫している。医師がすぐに「バイタル、取って」と叫んだ。
千里は患者に近寄った。長靴を履いた脚があらぬ方向を向いている。脈を取るまでもないことはすぐに分かった。患者は完全に冷たくなっている。医師は、蘇生は無理と判断して、すぐに死亡時刻をカルテに書きこんだ。
千里はどうやって死後の処置をすればいいのか分からなかった。患者とは初対面で、それもすでに亡くなっている。はっきり言えば、死体を病院へ運んできたようなものである。
■「出たとこ勝負」というストレス
病棟の患者とか手術室の患者は、みんな寝間着とか術衣を着て、言ってみれば「きれいな」格好をしている。でもここに来る患者は、当たり前のことだが普段着であり、土足である。日常を暮らしている人間に非日常的な事故が加わり、その状態で病院に搬送されてくる。そのギャップが千里にはショックだった。
(それにしても……)と千里はふと思う。もし非番の日に自分が街中で交通事故に遭遇し、脚がこんなふうに変な方向を向いている患者さんにぶち当たったら、自分は足がすくんで何もできないだろう。もしかしたら、その場から逃げてしまうかもしれない。やっぱり、白衣を着ると人間って変わるのかも。
救急部での仕事の流れは手術室とは全然ちがう。胃がんの患者であれば、これから胃切除を行うというように予定が立つ。このあとどうなるか分からないということがない。でも救急部は、患者の体の中で何が起きているかも分からないこともあった。
たとえば、意識障害の患者がくると、何が原因かは検査をしてみないと分からない。そうなると、千里は事前に何を準備するとか、これからどう医師を手伝うとか、予測を立てることがまったくできない。出たとこ勝負になる。これは千里にはストレスだった。
ある夜、電話が入った。酔った高齢男性が道端で転倒し、ぐったりしていると、通りがかった人が救急車を要請したという。千里が先輩と待ち構えていると救急車のサイレンの音がする。
■頭皮がベリッと剥けたかと思いきや…
救急隊の情報では、意識はあるが動けないとのことだ。千里は(どこが悪いんだろう?)とドキドキした。命に関わるような重い病気や怪我は勘弁してほしい。私もイヤだけど、患者さんだってイヤなはず。
患者をストレッチャーに乗せて、救急隊員が処置室に入ってきた。患者は目をつぶって動かない。ストレッチャーは処置ベッドに横付けされた。
「よし、処置ベッドに移そう」
医師の合図で千里たちは患者の体の下に手を入れた。千里は患者の頭を担当した。
「いち、にの、せーの!」
患者の体をふわっと浮かせると、千里の手の中で頭皮がベリッと剥けた。
「ひっ」
頭部外傷だったのか! 千里は思わず自分の手を見た。血は付いていない。床を見ると、髪の毛の束。よく見ると、髪の毛に固定用のピンが付いていた。
(か、かつら⁉ びっくりさせないでよ!)
千里は心からの叫び声をあげた。結局ただの酔っ払いだった。
■手首を切った若い女性は…
患者は夕方から宵の口に来ることが多い。でも、深夜に千里たちが仮眠をとっているときにも電話は鳴った。
「千里さん、千里さん、起きて。患者さんが来る」
「……はあい。どういう人ですか?」
「若い女性なんだけど、手首を切ったらしいの」
それって自殺ということだろうか。
救急車が到着してみると、30代くらいのきれいな女性と、少し年齢が上のご主人が現れた。外科医がさっそく傷を洗浄して、手首の様子を診察した。刃物による傷は6本あったが、いずれも浅く手術になるようなものではない。
消毒して傷を外科用テープで寄せて、女性の手首にはガーゼが巻かれた。点滴から抗生剤を持続注射して、患者は朝まで患者用ベッドで休むことになった。
処置が終わったので、千里たちも患者用ベッドで仮眠の続きをとることにした。目をつぶっていると、少し離れたベッドから男性の声が聞こえてくる。
「ごめんね。シズちゃん。ほんとにごめんね」
「……う、う、う、」
「ごめんよ、本当にごめん。必ず埋め合わせはするから」
「……う、う、う、誕生日、一緒に祝ってくれるって言ったのに」
「ごめんよ~」
(不倫かい!)
千里は憤慨した。
(もー、勘弁して、こんな夜中に! 私、寝る!)
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医師
1961年、東京都生まれ。87年、千葉大学医学部を卒業し、小児外科医となる。日本小児外科学会・会長特別表彰など受賞歴多数。2006年より、「松永クリニック小児科・小児外科」院長。13年、『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(小学館)で第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。19年、『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』(中央公論新社)で第8回日本医学ジャーナリスト協会賞・大賞を受賞。著書に『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、『呼吸器の子』(現代書館)、『いのちは輝く わが子の障害を受け入れるとき』(中央公論新社)、『どんじり医』(CCCメディアハウス)などがある。
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(医師 松永 正訓)
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