1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

中山美穂「心をえぐられ会話できなくなった」と最後に投稿…「女の人生」表現したアート展に誰もが衝撃受ける訳

プレジデントオンライン / 2025年1月11日 10時15分

六本木ヒルズのシンボルであるクモの彫刻「ママン」(ルイーズ・ブルジョワ作) - 写真=iStock.com/tupungato

中山美穂さんの逝去から1カ月あまり。彼女が最後に見てInstagramに感想を投稿した美術展が閉幕しようとしている。ライターの村瀬まりもさんは「その美術展を先に見ていただけに、離婚を経験したミポリンが『心をえぐられた』と書いた意味がわかって悲しかった」という――。

■54歳の若さで亡くなった中山美穂さんの思い出

昨年12月6日、中山美穂さんが54歳の若さで亡くなった。

筆者は1970年生まれのミポリンと同世代だけに、その突然の死去に強いショックを受けた。

主にミポリンの結婚前、芸能雑誌の編集部に在籍していた頃は、取材でお会いしたこともあった。その凜とした美しさに毎回感動しつつ、それでいてフランクかつオープン、しっかり者で世話好きのキャラクターに好感を抱いた。ミポリンとのちに事務所の社長になった男性マネージャーのやり取りは、「どっちがマネージャーなのかな」と思う会話もあって、まるで姉と弟のよう。見ていて微笑ましかった。

ミポリンは美貌と才能に恵まれた人が集まる華やかな芸能界の中でも、特別な「お姫様」だった。バーニングプロダクションという大きな事務所の傘下で、彼女のためだけに作られた個人事務所。その事務所のパワーもあり、本人のしっかりしたビジョンもあり、トップを走り続けたキャリア。

歌手としてレコードデビューしたときから「ザ・ベストテン」の常連となり、ヒット曲を連発。女優としても美貌と親しみやすさを武器に、TVドラマや映画に主演して作品を成功に導いた。「数字を持っている」数少ない女性であり、男性の芸能人にとってもあこがれの存在だった。どんな大物俳優でも映画監督でも、彼女のためなら、芸能雑誌の小さいスペースにもコメントを寄せてくれた。

■ミポリンが最後に行った美術展

彼女が32歳のときに作家の辻仁成さんと結婚し、パリに移住して男児を出産し、その10年後に離婚して日本に戻ってきてからも、ドラマなどで見せる振り切れた演技を楽しみにしていた。復帰後の作品の中では、『平成細雪』(NHK BSプレミアム)で演じた大阪・船場の御料さん役が特にすばらしかったと思う。

この2025年1月クールのドラマでも「日本一の最低男」と「家政夫のミタゾノ」の2本に出演していた。そんな最中、突然、この世を去ってしまったわけだが、ミポリンは死の前日に自身のInstagramを更新していた。それが最後の投稿となった。

「先日行ったルイーズ ブルジョワ展
写真下手すみません
2、3日心がえぐられて、一緒に行った友としか会話が出来なかった。
写真下手だけど、上手くてもなんにも表現できない」
(中山美穂Instagram、2024年12月5日)

■女性のしんどさ、生きづらさをナイフを突き刺すように表現

中山美穂が最後にコメントしたのは、六本木ヒルズの森美術館で開かれている「ルイーズ・ブルジョワ展」(2025年1月19日で終了)についてだった。これがまた、筆者を動揺させた。

というのも、筆者はこの「ルイーズ・ブルジョワ展」を9月25日の開幕当初に見て、その内容のすさまじさに打ちのめされていたからだ。女のしんどさ、生きづらさをここまでズサズサとナイフを突き刺すように、露悪的に表現しまくったアーティストがいるだろうか。会場に展示された作品群を見て、思わず最後には「すごい、すごすぎる」と笑ってしまったぐらいのインパクトがあった。

そうか、ミポリンはあの美術展を見て「2、3日心がえぐられて、一緒に行った友としか会話が出来なかった」のか。無理もない、気持ちは分かると思ったので、彼女の死がより身近に、より辛く感じられた。

日本では一般的に「六本木ヒルズのクモの彫刻を作った人」というぐらいの認識だが、欧米では20世紀を代表するフェミニズム・アーティストとして知られるルイーズ・ブルジョワ(本人は自分の作品をフェミニズム・アートとは認めていなかった)。しかし、ふだん現代アートを見ない人がこの展覧会に来たら、ほとんどお化け屋敷のように感じるのではないだろうか。そこに並ぶ彫刻などのインスタレーションは、とにかく怖い。

スペイン・ビルバオのグッゲンハイム美術館にある「ママン」
写真=iStock.com/Salvador-Aznar
スペイン・ビルバオのグッゲンハイム美術館にある「ママン」 - 写真=iStock.com/Salvador-Aznar

■まるでお化け屋敷のようにショッキングな作品が並ぶ

最初の展示作品からして、棚の中で人の首(布製か)が逆さまになっているし、妊娠中の大きなおなかをした女性や、乳房から母乳を出している女性には腕と手がない。かと思えば、どう見ても性器としか思えないグロテスクでリアルな造形が宙吊りになっていて、タイトルはなぜか「少女(可憐版)」。乳房が4つも6つもある女性の体の彫刻もある。ガラスケースに閉じ込められた黒焦げのような人型の男女は、性交中らしいがどちらも首がないし、男が女を無理やり襲っているようにも見える。

壁に映し出された動画作品では、女優が迫力のある声で「マーザーァ!(お母さん)」と叫んでいる。

絵画作品でも、胎児を宿した妊娠中の女性に男性が挿入していたり、股の間から赤子がどーんと出てきていたりと、これでもかとばかりストレートに「性」と「生」を描いている。代表作である巨大なクモの形をした彫刻「ママン」(六本木ヒルズのパブリック・アートでもある)で表現しているのも、卵を宿した母親だという。

■98年の苦難に満ちた生涯を送ったルイーズ・ブルジョワ

こんなインパクトのある作品群を生み出したルイーズ・ブルジョワ(1911~2010年)とは、いったいどんなアーティストなのか。

1982年、ニューヨークのアトリエでのルイーズ・ブルジョワ
写真=ゲッティ/共同通信イメージズ
1982年、ニューヨークのアトリエでのルイーズ・ブルジョワ - 写真=ゲッティ/共同通信イメージズ

その98年にわたった人生は波瀾万丈で、特に前半生は苦難が多かったことで知られている。

1911年、フランスのパリで生まれたルイーズは、1文字ちがいの父ルイと母ジョゼフィーヌの下で3人兄弟のまんなかの次女として育った。両親は当時の必需品だったタペストリーの修復工房を営み、事業は順調。名前のとおりのブルジョア(中産)階級だった。家は裕福で子どもは3人。ハンサムで成功したビジネスマンである父は威張っていたらしい。苦労を共にした母をないがしろにし、浮気を繰り返した。ルイーズが11歳の頃には、英語の家庭教師として雇ったイギリス人女性に手を出し、なんと、妻や子どもたちと同居させたのだ。

■父親は娘の家庭教師を愛人にし、母が死んで川に身を投げた

そんな状態でもがまんして父に従っていた母は、心労もあり、かねて病気がちだったこともあり、ルイーズが21歳のときに死去。ルイーズは絶望のあまり川に身を投げて死のうとし、父親に助け出された。

ルイーズは、母を裏切り悲しませた父を憎んでいた。しかし、同時に娘として父に愛されたいという思いも捨てられず、そんな自分の矛盾に苦しんでいた。

今回、展示されている「父の破壊」(1974年)という作品がすさまじい。これは真っ赤なライトで照らされた空間の中に、家族が囲む食卓があり、テーブルの上には焼いた肉片が載っている。これは食事中、ずっと自慢話をしている父を想像の中で殺してバラバラにし、火にくべておいしくいただいてしまう妄想を表現したという。

NHK Eテレの「日曜美術館」では、作曲家の故・坂本龍一を父にもつ坂本美雨がこの作品を見て「父の破壊?」と理解できないように首を傾げ、しかし、ルイーズが60歳を過ぎてから作った作品だと聞いて、トラウマを表現して昇華するのには「何歳でも遅くないんですね」と納得した様子だった。

首のない黒い男女が抱き合う「カップルIII」(1997年)は、ルイーズが両親の性交を見てしまったトラウマから作られたものだという。親の性交を見せられるのは、現在では虐待のひとつとされているが、多感な少女時代にそんな体験もしていたとは……。

ルイーズは育った家庭環境や両親との関係では苦しんでいたようだが、27歳のときにアメリカ人の美術史家ロバート・ゴールドウォーターと知り合って結婚。ニューヨークに移住し、3人の息子をもうけ(1人は孤児を養子にした)、幸せな結婚生活を送ったようである。少なくとも、夫は暴力を振るったり、父のように浮気しまくったりするような人ではなかった。

■アメリカ人と結婚し3人の子を育てながら、創作活動を続ける

それでも3人の子を育てながらアーティスト活動をするのは、時間を捻出するだけでも困難だった。「荷を負う女」という彫像を作って、「女は責任を一身に負う。そう、それはよい母親ではないかもしれないという恐れ。」という言葉も遺している。

そのようにルイーズ・ブルジョワは、娘であり、妻であり、母である人なら、その人生の各ステージで味わったことのある生きづらさを鮮烈に具象化している。すべての女性が妻であり母であるとは限らないが、娘でない人はいないので、ほとんどの女性に「刺さる」表現になっているのだ。しかも、かなり鋭く、痛みを伴う鑑賞体験となる。

中山美穂さんも妻であったし、母であった。子どもの頃は、母と再婚した父親に育てられ、実の父親がどんな人かは知らなかったという。そんな娘時代の複雑な境遇や両親に対する気持ちも、これらの作品とシンクロしたのかもしれない。

■中山美穂は「地獄から帰ってきた…」という文字を投稿

ミポリンが最後に投稿したInstagramには、ルイーズが60歳で夫を亡くし、その23年後に、取っておいた夫のハンカチに文字を刺繍した作品が写っている。その作品には、こう綴られている。

 「I HAVE BEEN TO HELL AND BACK.
AND LET ME TELL YOU, IT WAS WONDERFUL.」

「地獄から帰ってきたところ。言っとくけど、素晴らしかったわ」という展覧会の副題にもなっているこの印象的な言葉。ミポリンがこの言葉をどう理解したのだろうか。

他にも、もし展示会場でミポリンが目にしていたら……と、ドキッとするような言葉もあった。

それは「彼は完全な沈黙へと消え失せた」(1947年)という版画と物語風の詩による作品のひとつで、日本語訳にはこうある。

「Plate9
あるとき息子ひとりの母親がいた。母親は心から息子を愛していた。
そして世界がどれほど悲しく邪悪か知っている母親は、息子を守った。
(中略)息子は若いうちにバタンと扉を閉めたきり、二度と家には戻らなかった。
後に母親は亡くなるが息子はそうとは知らなかった。」

中山美穂さんの葬儀に際して、妹の女優・中山忍さんが発表したコメントにはこうある。

「お別れまでのほんの数日間ではありましたが、子供の頃に戻って枕を並べ、姉の横顔を見つめながら眠りについたこの穏やかなひとときは、私の宝物となりました。

そして、何より姉が幸せを願ってやまない愛する息子と、再会の時間をもたせてあげることができました。手を繋ぎ、そっと寄り添う2人の姿は、とてもとても幸せなものでした。」

(中山美穂オフィシャルサイト「中山忍様からのコメント」2024年12月12日)

■歌手のマドンナも大晦日に六本木の展覧会を訪れていた

この文章を読んで、10年前の離婚以来、離れて暮らしていた母子が最後に会えたと知って、ほっとし、同時に涙したのは、筆者だけではないだろう。

中山美穂さんにももっと長く生きて、大人になった息子さんとも関係をやり直し、おばあちゃんになって「人生たいへんだったけれど、すばらしかったわ」と言ってほしかった。改めて、その早すぎる死を悼む。

そして、アメリカの歌手マドンナも、この年末年始に来日し、「ルイーズ・ブルジョワ展」を訪れて、心をえぐられた1人だ。Instagramに日本で過ごした写真と共に、こうコメントを寄せている。

「『地獄から帰ってきたところ。言っとくけど、素晴らしかったわ』
大晦日に東京のルイーズ・ブルジョワ展でこのフレーズを見た。まさに私が言いたかったことだった。
母であり、アーティストであること。その喜びや苦しみ。
私には他の人生を生きるなんて想像できない。(中略)
2025年、私は本物の自分になる勇気のある人にグラスを捧げる。」
(マドンナInstagram、2025年1月2日)

マドンナはアメリカに帰化したルイーズ・ブルジョワと同国人であるし、もちろんルイーズのことを知っていただろうが、そんなマドンナにも、今回の大規模な回顧展は「言葉を奪われる」ほどの衝撃を与えたようだ。世界的なスターである彼女もかつて妻であったし、母であり、娘でもある。

■かつてないほど「試される」展覧会

そんな風に女性たちの心を揺さぶり、過去のトラウマを思い出させるようなルイーズ・ブルジョワの作品は、うっかり見ると危険だという批判もある。横浜美術大学助教の横田祐美子さんは、自身のXでこう指摘している。

「ブルジョワ展、はっきり言って合わなかった。家族や他者への依存度が高すぎてキツい。壁の『そっとあやしてほしいだけ』で身の毛がよだつ。(中略)これではエンパワーされない」


「ブルジョワの作品や言葉は私には鬱陶しかった。自分で地獄を作り上げて、そこに閉じこもっている」

アートとしての評価を考えれば、70年間にも及ぶ創作活動で、絵画、版画、彫刻、インスタレーションとありとあらゆる手法を駆使し、具象と抽象を行ったりきたりしながら研ぎ澄まされた表現と高い完成度を見せたルイーズ・ブルジョワの作品群は、価値あるものに違いない。それが日本で一覧できる機会も、今後はあまりないだろう。

しかし、そこから受け取るものは個人差があり、中山美穂さんのように数日ショックを受けたままの人もいる。それを覚悟して見に行くかどうか。閉幕まであと1週間あまり、かつてないほど“試される”展覧会が終わろうとしている。

参考・引用文献
『ルイーズ・ブルジョワ展 地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ』(森美術館・美術出版社)

----------

村瀬 まりも(むらせ・まりも)
ライター
1995年、出版社に入社し、アイドル誌の編集部などで働く。フリーランスになってからも別名で芸能人のインタビューを多数手がけ、アイドル・俳優の写真集なども担当している。「リアルサウンド映画部」などに寄稿。

----------

(ライター 村瀬 まりも)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください