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長渕剛が真摯に語る、「血」をテーマに歌をつくりたかった理由

Rolling Stone Japan / 2024年4月3日 18時0分

長渕剛

引退の完全否定から始まるこのインタビュー。

長渕剛は自身をどんなアーティストだと思っているのか。常に生ききる姿勢を音楽に投影してきた理由は一体何なのか。大きな転換期となった西村公朝との出逢いとそこで学んだもの。長渕剛のメロディはどうして日本人の琴線にあんなにも響くのか。そして、怒りも喜びも悲しみも愛も死生観も詰め込まれた、長渕剛が持つあらゆるベクトルに振り切れた楽曲の集合体であるニューアルバム『BLOOD』について。当面の目標として掲げている二度目の桜島のコンサート。それに付随して本当に命懸けだった富士山麓コンサート秘話も語ってくれている。約15000字に及ぶロングインタビューになっています。自分の人生と照らし合わせながら、じっくりとご覧頂きたい。

―昨年9月、2025年に桜島でラストライブを開催するというニュースが飛び込んできて驚きました。どんな想いで決断されたんでしょうか?

長渕剛:あれは皆さん誤解している節がありまして。引退じゃないんですよ。桜島や富士山麓で行ったような命懸けの野外公演はラストライブ、それぐらいの意気込みがないと出来ないという話なので。で、最初に申し上げておきますと、出鼻を挫くようで申し訳ないんですけど、桜島はまだ未定となっています。

―なるほど。

長渕剛:その前にアジアツアーもやる予定なんですけど、それもアジア各地での公演を決めるのが予想以上に難儀でしてね、想定より時間がかかっていて。先日、初めてアジアの興行師、プロモーターとお会いして、おそらくそこでやるだろうということで、契約を結べれば、来年の3月~5月ぐらいにもしかしたらアジアでライブすることになるのかなと。その時期に日本の大ホールも考えてます。韓国は今年の後半から行く準備をしているんですけど、新人のようにプロモーションを重ねてやりたいという想いがあるんですよね。なので、そのひとつひとつが積み上がり、目標を達成していかないと、桜島まで行けないので、2025年にやるか。もう1年繰り越しての開催になるかは、現時点ではまだ断言できないんです。

―ということは、あくまで「今後のヴィジョン」として話したことがメディアに決定事項のように書かれてしまい、長渕さんの意としない形で広まってしまったんですね。

長渕剛:先走って「引退」とか書かれちゃって(笑)。

―引退じゃないと分かって安心しました! では、ここからは長渕剛の人間像や音楽像に迫っていきたいのですが、ご自身では長渕剛をどんなアーティストだと思っていますか?

長渕剛:僕は青年の頃から常に「どうやったら独りを感じずに仲間の中に溶け込むことができるか、仲間に自分の歌を共有することができるか」ということばっかり考えていたんですよ。それはただ単純にキャパを大きくするということじゃなくて、ひとりでもいいから、自分の想いと一致できる相手を探していた。要するに歌を介在した共通のテーマ性を探していく生き方。それは今も昔もずっと変わらなくて、確実にそれが必要とされるものじゃなきゃいけない。という風に思っていますね。

―それを1978年の本格デビューから46年間、もしかしたらそれより前からずっと追及してきたと。

長渕剛:それを続けていくうえで、今は年齢的に体力的な問題とかいろいろありますけど、そこは抗うしかないんですよ。つまり「オーディエンスがまだ自分の名前を呼ぶだろう」或いは「呼ばせてやろう」と思う以上は、オーディエンスの期待に真っ向から向き合って絶対に裏切らない、徹底的なパフォーマンスをやるぞと。そういう暗黙の中でのオーディエンスと自分が掲げてきた、その時代その時代においてのマックス感です。マックスの明日感、希望感。そういったものをおそらく共通言語として生きていっている実感はすごくあります。だから、まず僕が生ききらなきゃいけない。生ききるということは、死は当然近くなってきますから。そこで何をするか?という想いは今強くあります。

―長渕さんは常に生ききる姿を作品やステージで体現し、それに影響を受けたファンたちもまたどう生ききるか考えるようになる。そして、さらに生ききる長渕剛の姿を求めるようになっていきます。これに常に応え続けながら自らを更新していかなければならない音楽人生は苦しくもありますよね?

長渕剛:その通りだね。とんでもない道だな、茨の道だなとその時代その時代に思ってきました。だけど、それが自分の生きる道なんだと思うし、生き方なんだと思うんです。かと言って、このファンと共に作り上げていった歌の世界やパフォーマンスの世界というものが「自分の中から消滅したらどうなるんだ?」と考えたときに、解放されるか。或いは無力になるか。きっと無機質になると思うんです。だから、今話してくれたような、生ききるサイクルに身を置き続ける。それはすごく真剣に日常を切り刻んでいかなきゃいけないし、食に関しても切り詰めた生活をしていきますから、ラクじゃないんです。ラクじゃないんだけど、ステージに出てファンが期待する希望的なものと、自分がソレに応える為に毎日を切り刻んで生きてきたものとが、ある到達点で合致する瞬間がある。「うん、だよな!」っていう瞬間。そこで報われるからやり続けるんです。

―その一瞬の為のすべてであると。

長渕剛:簡単に言うと、泣いている奴がそこにいたとして。自分が歌をその人の為に放つことによって笑顔になる。そこに自分は生き甲斐を感じているから。それをおしくらまんじゅうのようにオーディエンスと自分が確認する時間は、1年に1回ぐらいしかない。日常を365日生きている中でのたった1日。その1日が色濃くあり、364日会えなかったことの代償がその1日で膨れ上がるんであれば、そのことを実感するのであれば、自分はやり続けなきゃいけない。という使命感みたいなものに駆られます。「その為だったら何でもやるぞ!見てろ!」っていう想いはあります。その為なら日常が苦しかろうが耐えていくのです。

―その姿勢や意思は常々感じています。

長渕剛:家族を持とうが、仲間がいようが、人はみんなひとりぼっち感を感じています。この閉塞的な時代においてはなおさら。そのひとりぼっち感から解放されて、得体の知れない不安、死への不安からも解放される瞬間がその1日に凝縮される。「生きるも死ぬも何も関係ない。ただおまえとやれるだけやるぞ!」っていう。そこにすべてを懸けていく生き方。刹那的ではあるんだけれども、そうやって46年やってきたということです。



―その中で長渕さんは誰もやらないことを幾つも実現してきましたよね。例えば、桜島や富士山麓でのオールナイトコンサート。楽曲で言えば「Captain of the Ship」「家族」「富士の国」など規格外の歌も発表してきました。

長渕剛:人生って生まれてから死ぬまで自分探しの旅だと思うんですね。例えば、僕のファンのみんなは、僕が立つところへやってきて歌を共有して自分探しをしている。何もないところには探すアテもないので、いわゆる叩き台として自分の歌があるんだろうなと。ならば、その叩き台のクオリティを自分は高めていかなければならない。その為にはとにかく苦しんで歌をつくり続けていく。或いは、その歌をステージから命懸けで届けていく。死ぬ想いをしていないと、生への執着というものは生まれませんから。それが今挙げてくれたライブや楽曲になっているんだろうし、その歌のリアリティをみんながそれぞれの人生の中で感じ取って、自分探しのきっかけにしてくれているんじゃないかと思います。

―たしかに、自分もその感覚で長渕さんの歌を聴いていますね。

長渕剛:死を実感しないと生の実感も生まれないように、不幸せがないと幸せに憧れることもできない。最終的に紡いだ言葉が稚拙で童謡的な歌になっていたとしても、それは普遍というテーマに置き換えただけの話なので。その歌詞の原本は物凄く荒々しくて、血生臭いものだったりするんです。それをカンナで削って削って作品として世の中に投げている。そのメロディと声と歌詞の世界を皆さんが自分の人生と投影させながら感じ取ってくれているんじゃないかと思いますね。そういう意味での本物の歌。それは自分がずっと追求していることなので、そりゃ日常生活はキツいですよ。そこを目指していくということは、ただの流行歌を作ることとはまた違うんで。

―そうした人生を突き動かしていく歌を志したきっかけ。おそらく幾つもあったと思うんですが、大きな転換期となった出来事があったら教えて頂きたいです。

長渕剛:僕は青年時代を聖人君子では生きてこれなかったんだけど、30歳を過ぎた頃、自分の歌に対して非常に厳しく批判的なもうひとりの自分がいたんですよ。「そんな歌を世の中に放っていいのか、おまえ」と自分が言うんです。「あそこはちょっとラクしたんじゃないの?」とかね(笑)。要するに自分を許せなかったんですよ。

―音楽への姿勢を戒める自分がいたと。

長渕剛:そういった想いのときに京都・愛宕念仏寺の西村公朝先生とお会いしてですね。僕は10年間、先生が亡くなるまでご奉公させてもらったんです。先生は東京芸大の名誉教授であられて、若い頃から彫刻家で戦争にも行っていて。その戦争から帰ってきて、自分の役割は仏像を彫り続けることと、破壊された戦後の仏像の修復作業に勤しむことであると。その命題を戦地で受けて、三十三間堂の2000体の仏像修復に取り掛かるんです。そんな先生と縁があって、とある歌が出来た瞬間にギブソンのJ-45を持ってですね、京都まで新幹線に乗って愛宕念仏寺まで行ったんです。で、本堂にある千手観音へ向かって歌うんですよ。「本物か? 本物か?」って言いながら。そのまま2時間ぐらいずーっと歌ってたら、数珠を切るような音が聞こえてきましてね。先生が来たなと。そして一拍二拍と間を置いて、ぽつんと「間違っておらんよ」って言ってくれたんです。

―一言で肯定してくれたんですね。

長渕剛:それが「人間」という歌が生まれるきっかけだったんですけど、その先生の言葉が嬉しくて。初めて歌に対して疑心暗鬼になっていた自分に「大丈夫だよ」と言ってくれた人が先生しかいなかったんで、その喜びを留めておきたくて、先生に茶目っ気でサングラスをかけてもらったりしながら、愛宕念仏寺の本堂で「人間」のプロモーションビデオを撮ったんです。そんな感じで先生は常に僕の歌を肯定してくれた人なんですよ。「1番と2番ひっくり返したほうがええんやないか」とアドバイスもくれたりして、いろんなことを教えてくれた。絵を描くことも教えてくれた。粘土細工も教えてくれた。あと、東京に月に2回ぐらい来られるんですけど、麹町にお泊りになられるんです。そこへ僕が車で迎えに行って、自分の家に招待させてもらって、コーヒーを淹れてホットケーキも焼いてあげるんですよ。それが月2回の僕のご奉公で、先生も楽しみにしてくれていて、そんな関係が10年続きました。

―本当に素晴らしい縁だったんですね。

長渕剛:その先生が「ええか。ワシはこんな老骨に鞭を打ちながら、今から彫刻を彫り続ける。1年に1体つくるんや。10年かかる」と言い出して。僕が「何を彫られるんですか?」と聞いたら「お釈迦様の弟子たちを彫るんだ。出来上がったら持ってくるよ」と。で、1年に1回、その出来上がったものを持ってきて、それを真っ先に僕に抱かせてくれるんですよ。それぞれの十人十様の業を積み上げた表情。それを文献から先生が想像して粗彫りで作り上げていくんですけど、僕は圧倒されてしまって。80代半ばまで本当に彫り続けて、10体彫ったら見事に「さいなら!」と天に逝きましたよ。僕は最後お見送りすることが出来たんだけど、その時期に口々に言っていたのが、茶目っ気のある先生だから「あんたも88まで歌え」と。「あんた、ようハーモニカを放り投げるやろ。あれがそのうち入れ歯になる。入れ歯を金にすればええがな。金歯投げたら、みんな喜んで取るでぇ!」みたいなことも言われましたし(笑)。

―冗談も粋ですね(笑)。

長渕剛:日本の勲章を持っていらっしゃる武士なんで、すごい方なんだけど、普通に弟を叱咤するような、イジるような感覚でお話になるんで、本当に僕はぞっこんでしたね。心の支えだった。その先生に教わったことというのは、祈りの儀。そして、いわゆるエンターテインメントの世界におけるパフォーマンス、表現とはどういうことなのか。そういうことも先生とお話しているうちに自然と「こうあるべきだ」と固まっていきました。そこからは何も変わってないですね。

―先生から学んだことが今の音楽にも反映され続けていると。

長渕剛:先生は晩年、仏様を線画で描かれていて。最初は緻密な仏様を描いていたんですけど、だんだん一本の線になっていって、おむすびのような仏様を最後に書くんですよ。にかっと笑っている可愛らしい仏様。それが先生の求めた普遍の仏の像であると。すべての人たちに分かりやすい仏様。それを見たときに、自分も「そういうことなんだな。歌も最終的に子供が分かるようなものが普遍に繋がっていくんだろうな」となんとなくインスパイアされたところはあります。そこの勝負はめちゃくちゃ難しいし、今でもまだまだ完成しませんけど、今回のアルバム『BLOOD』の中にもそういったものの影響は過分にしてあると思います。



―その普遍の話ともリンクするかもしれませんが、3、40年の時を経て愛され続けている「乾杯」「とんぼ」といった代表曲たちが、近年はアジア各地でもヒットしています。この状況にはどんな感慨を持たれていますか?

長渕剛:まず端的に嬉しいですよね。もうひとつは、歌は世の中に放った時点でもう自分のものではない。それは強く感じました。国内だけでなく国外まで飛び出してしまう歌ということなら、なおさら自分のもとからは離れている。ましてや中国では中国人の誰かが作った歌ということになっていたり(笑)。あと、台湾では韓国の方が台湾にやってきて「私の歌だ」と言って歌うらしいんですよ。

―それは凄い。というか、ヤバくないですか(笑)。

長渕剛:先日、興行師からそんな話を聞いて「あー、そうですか! 失礼な話ですね!」って言いましたよ(笑)。

―歌は世に放ったらみんなのもの。これは理解できるんですけど、丸パクりはまた別の話ですよね(笑)。

長渕剛:そこに関しては「俺の歌だよ。おまえの歌じゃないよね?」ぐらいは言いたいなと思う(笑)。でも、僕がもし韓国や中国に行ったら逆に「ウチの国歌みたいな歌を日本人が歌いに来た」と言われちゃうかもしれない。

―長渕さんがカバーしてると思われるかもしれない。

長渕剛:「いや、俺の、俺の」って言わないと(笑)。でも、浸透しているのはその人の歌だからコレが厄介なんですよ。だから、もう収まりがつかないんで、やっぱり歌は世に放ったらもうみんなのものであると。そんな風に大前提として思っていますね。最終的にその歌があと何年聴かれ続けるのか分かりませんが、木彫彫刻の場合は400年を想定するそうなんです。僕の歌が400年生きるとは思わないけど、自分が放った歌が歌い継がれているのであれば、もはや「誰が書いた歌なのか」とかはもう関係ない。不意に口ずさんでしまう「夕焼け小焼け」ぐらいのクラスになれたら僕はもう本望。それは昔から思ってますね。

―長渕さんってセンセーショナルなアクションだったり、人生の乗った歌詞だったり、その生き様だったり、いろんな面で評価されていると思うのですが、個人的にはメロディメイカーとしての才能が凄いと昔から感じていまして。例えば「とんぼ」のイントロ部分、歌詞がなくても誰もが「WOW WOW」と口ずさんでしまうメロディなんてそれこそ「夕焼け小焼け」の次元だと思うんですよね。

長渕剛:自分ではあんまりメロディメイカーだとは思っていないんですけど、自分が腑に落ちるメロディはああいうメロディなんですよね。いわゆるハイセンスなデニッシュ何分のなんとかみたいな、記号で書いたような譜面の世界の音楽は一切学んできてこなかったんで、循環コードの中で出来る音楽でしかないんです。もっと変わったことが出来ないのかとたまに思うんですけど、結局そこに落ち着くんですよね。それが何かと聞かれてもなかなか上手く答えられないんだけど、自然と次いで出てくるメロディがあるんですよ。その感覚は大事にしてますね。

―長渕さんの音楽はフォークであり、ブルースであり、ロックであり、いろんなジャンルを取り入れていると思うんですけど、そのメロディも含めてジャパニーズソウルなんだと個人的には感じています。

長渕剛:ソウルミュージックも好きで聴いてきてますからね。だから、変換の仕方が和製なんだと思います。料理で言えば和食にアレンジしているから、なかなかそこと本場のブルースやソウルとは直結しないのかもしれないけど。

―でも、日本人の魂に訴えかけてくる音楽ではありますよね。仮に長渕さんの曲だと知らなくても反応してしまう要素に溢れている。

長渕剛:昔はメロディの感覚的な分析を知り合いとよくやっていたんですけど、インドの人が亡くなったときに館で流されるシタールの音階と、沖縄の昔の伝統文化で海に亡くなった人を流すときの島唄的な音階って全く共通するんですよ。あと、アイヌ音楽にも通ずるものがあったりして。それって何なんだろうと考えてみると、やっぱり死生観が含まれているんですよね。そこに流れるメロディは大体共通しています。これは民謡やアメリカのカントリーもそうなんですけど、節回しが違うだけで意外と共通しているものがあって、そこのルーツにはやっぱり死生観や民族性、土着性といったものがある。そこにブルースも生まれたりしてね。で、たぶん、僕の音楽の源流にもそういったものが流れていて、ブルースや民族音楽に精通するものがあるのかもしれない。

―長渕さんはまさしくその死生観をテーマに歌い続けているミュージシャンですからね。

長渕剛:死って怖いじゃないですか。何故かって未経験のものだから。それでいて絶対に経験するものだから。若い頃はそこを隠して語らないんだけど、いろんな体験をして死を直視したりしてしまうと、どこかでその恐怖を受け止めたくないんでしょうね。なので、大義を考えたりする。何の為に死ぬのか。そこから人間はいろんな理屈を考える。そうすると「自分の為に生き、自分の為に死ぬ」なんていうことはとんでもないよって思うようになる。もしかしたら人間はそうかもしれないんですけどね。一匹の人間が自分の為に生きて死んでいくだけなのかもしれない。でも、それを考えたら「ずっと独りぼっちかよ」って恐ろしくなる。だから「君の為に死ぬんだ」「国家の為に死ぬんだ」と先人たちはいろんな理論構築をして大義というものをつくったんだと思うんですよね。

―死や孤独への恐怖を和らげる為に大義が必要だったと。

長渕剛:お猿さんや虫に大義があるかどうかは分かりませんが、でも防衛本能による攻撃の構えを取るじゃないですか。自分が死のうとも群れを守る為に。だから、生き物として生まれた以上はたぶん誰しも大義が必要なんだと思うとですね、死から一瞬解放される為に人は何かに懸命になる。一生懸命という言葉は、一生、命を懸けるということですから。なんてことを考えてみたりしてね(笑)。

―いや、すべて腑に落ちる話ですよ。

長渕剛:そんなことを研究しながら、実体験として人を好きになったり、憎まれたり憎んだりしているうちに、そういう死生観が根本にある歌たちがひとつずつ僕の生きた痕跡としてあって。序盤の話に戻るようですけど、それって血まみれでゴツゴツしてて聴くに値しないものだったりするんですよね、原本は。その原本を削ったり、彫ったり、カットアウトしたりしながら、普遍というテーマに置き換えていくわけです。それは非常に苦しい作業なんですよ。「ここは削りたくないな。ここはサラザラさせておきたいよ。いや、でも切り落とそう!」みたいな。その作業をずーっとやっています。

―仏像の彫刻と通ずる作業ですね。

長渕剛:そうなんですよ。だから、ゴツゴツとした歌は意外と書きやすいんです。そのまま吐き出せばいいから。エゴイストならそれで良いんですよ、好きな人が聴けばいいんだから。だけど、自分の場合は仲間を求めて「仲間と共感したい」という想いがいちばん先にあるもんですから。やっぱり苦しい作業はしなくちゃいけない。自分のゴツゴツした人生をそのまま「感じ方は一緒だろ」と押し付けても「俺の人生とは違うから」で終わっちゃいますから。時としてそういう歌を世に出すときもあるけど、それだと普遍的な歌には決してならないんですよね。そういう意味では、今回のアルバムは普遍というテーマからすると、またひとつ完成形に近づけたような気はします。



―では、そのニューアルバム『BLOOD』についても掘り下げていきたいのですが、真っ向から怒りを爆発させる歌もあれば、誰かの弱さに寄り添う歌もあり、家族への想いを綴った歌もあり、長渕剛の持つあらゆるベクトルに振り切れた高純度のアルバムでありながら、そのすべてに普遍性を感じる傑作になっていて、非常に感激しました。

長渕剛:そうですか。嬉しいですねぇ。

―そのアルバムの1曲目を飾る「路上の片隅で」。言うならば「返せよ 返せ! 俺の稼いだ銭を」と多くの日本国民が思っているであろうことを歌い叫んでいる楽曲ですよね。政治批判的な曲を歌うことに躊躇う音楽シーンの風潮がある中で、長渕さんは昭和から令和に至るまでテレビ番組でもそれを歌い続け、この新曲でも激しく訴えかけています。この姿勢を貫く背景にはどんな想いがあるんでしょう?

長渕剛:あのね、貫いてると言えるような格好良いもんじゃないかもしれない。単純に我慢できない(笑)。「もう我慢できない、ギター持ってこい!」と。限界までは我慢しているんですよ。でも、もう無理だと思ったらギターを持つしかない。あと、今回の「路上の片隅で」で書いていることは「僕も君もおまえもそう思っているよね?」という前提ですね。それがコンサートという集合体になったときに炸裂するといいなと思いながら作りました。

―以前、朝の生番組に出演されてTOKIOへの提供曲「青春(SEI SYuN)」を歌詞の一部変更して披露したじゃないですか。あのタイミングで彼らにエールを送る姿勢もそうでしたけど、誰も歌わないなら俺が歌おうという在り方はずっと変わらないですよね。

長渕剛:そうかもしれないですね。自分もみんなも同じ時代の額縁の中で生きていて、それで昨日までの価値観がいきなり180度変わる。正義と悪がいきなりひっくり返る。そういう時代の中にいると、塩梅が悪いわけですよ。自分がどこの椅子に座って何をやっているのか分からなくなってしまう。それじゃ困っちゃうんで。例えば、スマホという道具も良いほうに使われればいいんだけど、人を不幸に貶めるとか、ひとつのファシズムみたいなところへガァーって流れたりとか、それによってビクビクしながら縮こまらなきゃいけない人々が生まれる状態になったら「こっちに風穴を空けなきゃマズいんじゃない?」と。そこの調和みたいなものが自分にとっては大事なんです。みんなもそうだし、俺自身が俺じゃいられなくなっちゃうときもあるから。だから、何かが極端に片方に傾いたときには、その逆側から誰も歌わないことを歌ったりするんだと思いますね。

―今の話とも繋がるかもしれないですが、誰かの弱さに寄り添う曲も歌われてきていますよね。今作においては「ひまわりの涙」「Face Time」「いいんだよ ばーか!」などがそういう曲だと思うのですが、長渕さんは人の弱さをどう捉えているんでしょうか?

長渕剛:僕は自分の弱さに関しては、超えていかなきゃいけない壁なので、厳しいものを自分に当て込んでブラッシュアップしていく作業が必要なんですね。それは意外と嫌いじゃない。自分の中に内在する弱さがパンと強さに跳ね上がるんなら、それはやるべきことなんで。ただ、自分と関わり合う人間。その人たちの弱さに触れてしまったときに「力を与えたい」という気持ちの前に「美しい」と思っちゃうんですよ。堪えきれなくて涙がカァーって出るんですね。共感、共鳴して震えてしまう。それを宝物のように大事にしたいなと思うから歌にしていくんでしょうね。

―宝物と言えば、本作には息子と孫娘について綴った家族の歌「ZYZY」が収録されています。お孫さんについて歌うのは初めてのことだと思うのですが、どんな想いで書かれた曲なんでしょう?

長渕剛:自分が抱きしめた最初の長男がWATARU。可愛かったですね。自分の息子が出来たときは本当に感動したし、妻に本当に祈りまで捧げて「ありがとう」という言葉を何回も言いましたし、女性は偉大であるということも教わりました。で、その子供を抱きしめてから、僕は当然子供の為に一生懸命働く。一生懸命戦いに出ていくイメージで頑張ると。たとえ負傷しようとも、家に帰ってきて「おとうさん」と抱きついてくる息子を抱きかかえれば、またそれが力に変わった。ただ、その息子が5才になったとき「強くあれ!」と極真に入れてしまったわけですよ(笑)。自分はまだ30代でピリピリしていましたし、僕は自分の幼少期を呪うように生きてきたので、最愛の息子には強くなってほしいと思ったんですよね。

―愛情ゆえの極真入門だったと。

長渕剛:息子からしてみれば、今じゃ笑ってくれていますけど、そこからの十数年は地獄だったと思います。一切の遊びを許さずに、僕は門を立ち塞ぎながら「空手だ」と。親子共々空手道場に行って、自宅にも空手道場をつくって、空手漬けになるわけですから。そして、僕が青アザになるぐらい蹴らすんですよ。ボコボコになるまで蹴らす。そういう子供との思い出があって、それは10年ぐらい続きました(笑)。そのことで父と息子のあいだに出来た絆というものは、おそらく理屈じゃないんですよね。そして、息子は千葉を愛していましたから、サーフィンもやって屈強になりました。空手も黒帯を取りました。その彼が、僕がプロモーションビデオの撮影で千葉へ行ったときに「親父ぃ!」と言って、髪の長いスレンダーな女の子を連れて走ってくるんですよ。その光景が昔の言い方をすると、綺麗なラブストーリーのスローモーションみたいで。

―トレンディドラマみたいな(笑)。

長渕剛:そう、そう(笑)。でも、すっかりその姿に見惚れてしまいましてね。で、息子が「おにぎりつくってきたよ!」って僕のスタッフの為におにぎりを振る舞って。そして、のちにカミさんになる女の子が「はじめまして」と挨拶してきて、息子は「今度、女房になるから」と言うわけですよ。そのときに「自立していき、やがて僕の胸元を離れて、強い男になったんだなぁ」という寂しさと同じぐらいに誇りに思うような。「おまえも立派な男になったんだな。がんばれよ」という風な想いが込み上げて、そのときに「ZYZY」の歌詞にある通り「二つ目の涙を流した」わけです。

―その瞬間の描写だったんですね。

長渕剛:ただ、そのふたりの最初の子は死産だったんです。家族みんなで弔いました。泣きました。その悲しみを乗り越えて、やっと生まれた健康児がLaLa(ララ)だったんです。女の子。そこで「三つ目の涙を流してる」という歌詞にある通り、僕は泣いたんです。何が言いたいかと言うと、親はみんなそうだと思うんですけど、あのときのあの赤子がひとつの家庭をつくったと。これが何物にも代え難い喜びであり、何物にも代え難い……寂しさなんですよ。そこには表裏があるんですね。そういう想いがあって、やっぱりLaLaを抱きしめたときは「WATARU」と息子の名前を心の中で呼んだんです。そのことをWATARUに残しておきたかった。だから歌にしたんです。そういう風に血は連綿と繋がっていくもの。ということは、やがて子供は自立して家庭をつくり、自分の父がそうであったように、僕もそのうち影も姿も無くなってしまう。だけど、歌だけちょっと残しておいたら「アイツはいっぱい泣いてくれるかな」と思って(笑)。

―親父の本音(笑)。いやぁー、良い話だなぁ。

長渕剛:「親父ぃ! 今、わかったよ!」って言ってくれるかな?

―長渕さんは自身の父母の死について歌った曲をそれぞれつくられていますけど、自分がやがて逝くときの歌を自分で用意しておく……。

長渕剛:そうです(笑)。

―これは初めてですよね(笑)。でも、長渕さんらしい発想だなと思います。ずっと家族について歌ってきた人ですから。

長渕剛:娘が生まれたときは「NEVER CHANGE」という歌をつくって、彼女の声も収録しました。ウチの子供たちは三人三様で。次男は音楽の道へ。長男は音楽とサーフィンの道へ。娘は女優の道へ進みましたけれども、やっぱり僕にとって自分の子供というのは、生まれたときのまんまの子供なんでね。すごく愛してやまないという想いはみんなと同じぐらい、もしかしたらそれ以上に持っているかもしれない。それと「やがて別れていくんだ」ということも当然理解していて。そこにどう折り合いをつけるんだ?っていう部分も歌にしないと、寂しくてやりきれないんですよ。誰かが「みんな通る道なんだから、あたりまえのことだろう」と言うかもしれないけど、僕からしたらあたりまえじゃない。あたりまえにしないでほしい。

―「歌にしないとやりきれない」これって長渕さんの全曲に当てはまる話ですよね、きっと。

長渕剛:そうですね。何に対しても、歌に残すことで「よかった」って折り合いをつけているんだと思います。



―そして、今回のアルバムの表題曲「BLOOD」。どんな背景や想いから生み出されたものなんでしょう?

長渕剛:あたりまえのことなんですよね。わざわざ歌にするようなことでもないのかもしれない。でも、僕の中では、何かしら”血”というテーマで歌をつくりたい。その想いがすごく強くなっていたんですよね。で、これがいちばん新しい歌なんですよ。アルバムの情報をリリースする手前で、早急にアレンジして組み立てた楽曲なんです。そこで僕は何を歌いたかったのかと言うと、青年時代に「何の為に、誰の為に生きるか」と問い続けたのと同じように、今は「何の為に、誰の為に死ぬのか」ということの大義を必要としているんだと思うんですよね。それは……言葉を恐れずに言うと、みんなの心の中に実はその大義はあって「俺が! 私が!」という我欲だけではなく、誰しもが「誰かの為に生きたい」とか「誰かの為に命を捧げたい」という想いを持っているんですよ。

―そうかもしれないですね。

長渕剛:「そういう優しい心がみんなにあるんだよ。そう思わない?」ということを必死で言いたいんですよ、僕は。何故か必死で言いたい。ふと空を見上げたときに、都会の空は星が少ない、田舎の空は星がいっぱいある。でも「都会に離れた君と田舎にいる僕が見る星は、同じ気持ちの空だよね」ということも必死で言いたい。そして、最終的に「しあわせだったか?」と。僕と関わり合ってくれた人へ。或いは、この歌を聴いてくれている者たちの大切な人へ。いちばん大事にしている人間に問い続けたいことなんだと思うんですよ。でも、怖くてなかなか言えないんですよ。「しあわせだったか?」「うーん」って言われても困るし(笑)。だから、それをわざわざ歌にしてみたかったんです。

―今の話、共感しかなかったです。誰もがそう思っているかもしれないけど、気付かなかったり、忘れてしまったりしていること。それを思い出させてくれる歌でもありますよね。

長渕剛:どんな男でも家族をつくったり、家族をつくらなかったとしても誰かの為に生きているわけですよ。必死で。その社会で戦っている構図はなかなか人には理解できなかったり、大事な人ほどあたりまえになっていて分からなかったりします。だから男は酒呑んで「クソ!」と言いながら明日に向かっていくわけでしょ。それでも、男って悲しくも最後は踏ん張るじゃないですか。その男としての想いみたいなものもおそらく色濃く「BLOOD」には反映されている。同時に「女性の皆さん、ごめん。気持ち分かって」っていう想いもあるかもしれない(笑)。

―そんなアルバム『BLOOD』リリース以降のヴィジョン。長渕剛はどこへ向かおうとしているのか。聞かせてもらってもいいですか?

長渕剛:やっぱり「生ききる」というテーマですから。長渕剛は生ききる。だから余裕はないですよね。余裕はないから必死に懸命に生きていく。これに尽きます。それ以外のことを考えると……今の時代って負のスパイラルに陥りがちじゃないですか。だから、何かしらに必死になって、死ぬことも忘れて生きていくんでしょうね。そんなイメージでやりきろうかなと思っています。それもあって桜島を今は目標として掲げているんです。

―2004年の桜島、2015年の富士山麓、終盤に全員で必死に叫んで拳を振り上げながら、太陽を引きずり出すシーンがありました。あれって曇天だったら台無しじゃないですか。でも、何年も前からとんでもない数の大人たちが「太陽は昇る」と信じて準備している。そこに何万人ものファンが集まってくる。その有り得ないことが起きてしまっていることに対し、長渕さんは何を想っていたのか気になります。

長渕剛:信じる力が失せてしまうから、そういうテーマを掲げたんだと思います。特に2015年の富士山麓は東日本大震災のあとでしたから。それで2年プロモーションして実現したんですけど……でもね、たしかに太陽が出てなかったらマズいよね。たぶん、切腹ですよ(笑)。みんな信用しないかもしれないけど、冗談抜きでそれぐらいのことは覚悟していました。で、太陽は登ったんですけど、終演後に40分ぐらい気を失いました。それで心臓をちょっとやっちゃったんですけどね。3年後ぐらいに手術しました。内臓関連は肝臓とか腎臓はもう無くなってもいいぐらいの気持ちでやんないと出来なかったんで。59歳でしたから。いくら医療班がいたとしても……先生が耳元で「最後は家族だけにして下さい」って言った時は、覚悟しました。

―富士山麓で長渕さんの生涯が閉じてしまっていたかもしれない。その可能性が……。

長渕剛:全然ありましたよ。総合格闘家の三崎和雄に聞いて下さい。アイツ、嗚咽しながら「アニキぃ!」って泣いてましたもん。「おまえ泣くんじゃなくて救急車だろ!」と思いながらも、意識がスーッと床に吸い込まれるような状態になっていて。低血糖ですよね。ヤバかったです。でも、朝陽が出て良かったです。その一発に懸けて膨大な時間と人材と労力をかけて準備してきたわけですからね。でも、さすがに3回目は太陽が出てきてくれないかもしれない(笑)。

―そればかりは読めないですからね。奇跡じゃないですか。ゆえに富士山麓のライブはめちゃくちゃ涙が溢れましたよ。

長渕剛:僕も泣いたね。あれだけ何万人もの人間がひとつを信じてやってきたわけですよ。その信じる気持ちに対して「絶対に裏切りたくない!」という想いがあって、ゆえに本当に命を懸けた祭典だったんだけど。その想念みたいなもの、みんなの想いというものは、何かしら特別なものを引き起こす可能性があるんじゃないかなって。少し希望を持ちましたね。それは深い深い感謝に変わりました。来てくれた人たちに対して。

―ということは、次の桜島も富士山麓のような……。

長渕剛:次の桜島はちょっとカタチ変えましょうよ(笑)。

―たしかに! 長渕さんには生きてほしいので!

長渕剛:死ねって言われれば死んじゃうかもしれないから(笑)カタチを変えましょう! 例えば、夕焼けとかね。逆に陽が沈むまで。

―太陽を引きずり出すのは、もう2回も達成してますからね。

長渕剛:「沈んだらまた昇るから!」って言って(笑)。まぁ桜島は決まったらまたいろいろ考えますよ。

―では、最後に、ニューアルバム『BLOOD』や今後の活動を体感してほしい皆さんへメッセージをお願いします。

長渕剛:音楽スタッフの仲間をつくりました。光り輝くダイヤモンドみたいなグループです。「我々は原石だ」と。この原石を磨く旅をします。おそらく2年、3年かかると思いますが、その仲間たちの結集の力をファンのみんなにぶつけてですね、それでこれから先、自分の役割や使命みたいなものをどんどんカタチにして社会へ投石していければなと。投石と言うと、ちょっと反逆の思想と結び付けられそうですけど、それがないとは言いませんが(笑)! そういうことではなくて「本当の優しさとは一体なんなんだ?」ということを追求していきたいなと思っています。


<リリース情報>


『BLOOD』通常盤

⻑渕剛
『BLOOD』
2024年5月22日(水)発売
VIRGO&LEO
初回限定盤[CD+DVD]税込 3800円
ファンクラブ限定盤[CD+DVD]税込 4000円
通常盤[CD]税込 3300円
=収録内容=
CD
1. 路上の片隅で
2. ひまわりの涙
3. ジャッキーレディー
4. Face Time
5. いいんだよばーか
6. 黑いマントと真っ赤なリンゴ
7. ステンドグラス
8. ZYZY
9. ダイヤモンド
10. BLOOD
初回限定盤付属 DVD ・MV「黒いマントと真っ赤なリンゴ」
・Making of「黒いマントと真っ赤なリンゴ」Shooting
ファンクラブ限定盤付属 DVD
・「Tsuyoshi Nagabuchi Concert Tour 2023 OH!」武道館ライブ映像(3 曲)

<ライブ情報>

TSUYOSHI NAGABUCHI ARENA TOUR 2024 "BLOOD"
2024年6月25日(火)大阪府 大阪城ホール
2024年6月26日(水)大阪府 大阪城ホール
2024年6月29日(土)福岡県 マリンメッセ福岡 B 館
2024年6月30日(日)福岡県 マリンメッセ福岡 B 館
2024年7月27日(土)鹿児島県 ⻄原商会アリーナ(鹿児島アリーナ)
2024年7月28日(日)鹿児島県 ⻄原商会アリーナ(鹿児島アリーナ)
2024年9月5日(木)愛知県 Aichi Sky Expo ホール A
2024年9月6日(金)愛知県 Aichi Sky Expo ホール A
2024年9月28日(土)広島県 広島サンプラザホール
2024年10月18日(金)東京都 有明アリーナ
2024年10月19日(土)東京都 有明アリーナ

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