1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 音楽

コールドプレイの理念「僕たちの曲はセラピーであり、カタルシスであり、解釈でもある」

Rolling Stone Japan / 2025年1月10日 17時0分

コールドプレイのクリス・マーティン(Photographs by YANA YATSUK)

コールドプレイが新たな高みに達するため、クリス・マーティンはあらゆる批判——特に自己批判という悪癖——を断ち切る方法を身につけなければならなかった。

【写真】自宅近くの海で泳ぐクリス・マーティン

ニュージーランドの夜空は広大で美しい。漆黒の闇がどこまでも続いているかのようだ。無限に広がる宇宙にぽつんと浮かぶ地球は、なんて小さいのだろう。ニュージーランドの夜空を見ていると、そんなことをしみじみと思う。その圧倒的な美しさと生命の神秘を表す言葉が見つからない。きっと銀河のはるか彼方からこちらを見ると、国籍や肌の色、性別といった違いは、もはや目につかないのだろう。見えるのは、調和を奏でながら宇宙の闇に浮かぶ、青と緑色の美しい惑星だけだ。

11月中旬のある夜、クリス・マーティンは必然に導かれるようにそんな夜空の真下にいた。時刻はまもなく真夜中を指そうとしている。マーティンはオークランドのヴィアダクト・ハーバーの桟橋の上を歩きながら、広義の創造について、そして創造主としての自身の立ち位置について考えていた。この場所を訪れるのは初めてではない。「少し落ち込んでいるときは、散歩をして空を見上げるといい。それだけで心が軽くなるから」という、スピリチュアルカウンセラーにもらったアドバイスを今夜も実践しにきたのだ。マインドフルなアーティストとして知られるマーティンの頭の中は、常にいろんなことでいっぱいだ。

「カメラをズームアウトするように、上空16キロメートルあたりから地上を見下ろすと、人間同士を隔てているものがいかに小さいかがよくわかる。それに対し、人間同士を結びつけているものはとても強力だ」と、マーティンは静かな口調で語りはじめた。頭上には、先ほどの夜空が広がっている。「これと同じように、自分の前の世代、その前の世代、さらにその前の世代と過去にさかのぼっていくと、全人類が自分の家族であることに気づく。家族と離れて自分は独りだと思っても、実際はそうじゃない。完全な孤独は存在しないんだ」


ローリングストーンUS版 No.1395号のCOVER Photographs by YANA YATSUK
SHIRT BY JUNGMAVEN

マーティンがコールドプレイのフロントマンとなってから四半世紀以上がたつ。コールドプレイといえば、いまでは地球上でもっとも有名なロックバンドだといっても過言ではない。2022年3月に中米コスタリカからはじまったMusic of the Spheres World Tourは、合計1200万人以上を動員し、10億ドル以上の売上高を記録した(コスタリカが選ばれたのは、国内消費電力の99%が再生可能エネルギーでまかなわれているから)。これによってコールドプレイはツアーの動員数、売上高ともに最高記録を樹立したロックバンドとして歴史に名を刻んだ。ツアーファイナルの日程は未定だ。公演ごとの動員数に関しては、アルゼンチン、ブラジル、チリ、フランス、イタリア、ポルトガル、スウェーデン、オランダ、ギリシャ、ルーマニア、インドネシア、マレーシア、シンガポールを含む国々で記録を打ち立てた。そんなコールドプレイが壮大なメロディと普遍的な歌詞によって新たな高みに達したことはいうまでもない。だが、実際はそれだけではない。彼らは、連帯感と愛、そして受容という、銀河全体を包み込む世界観によってそこに到達したのだ。

以上が、私が調べたところのコールドプレイの功績だ。オークランドを訪れる1週間前、バンドの世界観がいまいちピンとこない私は、大統領選前夜のアメリカを飛び立ち、オーストラリアのシドニーに降り立った。そこでアコー・スタジアムで開催された4公演のうち、3公演に立ち会った。徐々にスタジアムが埋まっていくなか、私は場内をうろつきながらファンたちとたわいもない会話をした。キラキラのグリッターメイクを施し、浮き足だった表情を浮かべるファンたちは、コールドプレイの音楽だけではなく、この場の雰囲気を味わうためにここにやってきたと口々に言っていた。

ようやくはじまったライブは、私の想像をはるかに超えていた。一秒ごとに会場全体が喜びに包まれる様子は、まさに愛の祝祭だった。キャノン砲から発射された紙吹雪が宙を舞ったかと思えば、『Music of the Spheres』(2021)と『Moon Music』(2024)のテーマである天球をモチーフにした風船が次から次へと放たれ、まるでパレードのようにふわふわと夜空に吸い込まれていく。オーディエンスのLEDブレスレットが会場全体を明るく照らすいっぽうで、2021年にリリースされたBTSとのコラボ曲「My Universe」ではBTSメンバーのホログラムが出現。空間を超えたコラボが実現した。このほかにも、パペットが歌ったり、ルイ・アームストロングの「そう思って行動すれば、世界はもっと素晴らしくなる」というメッセージが流れたり、さらには「天に向かって両手を上げて、ウクライナ、アメリカ、ミャンマーをはじめ、オーストラリアの愛を必要としているすべての人に僕たちの愛、僕たちのエネルギーを届けよう」というマーティンの呼びかけに応じ、みんなが一斉に両手を上げる場面もあった。打ち上げ花火も忘れてはいけない。合計4回の花火には、マジで度肝を抜かれた。





11月7日の公演では、マーティンはメッセージボードを掲げたオーディエンスの中から若いカップルを選び、ふたりをステージに上げた。そして新婚旅行をリスケしてまでこのライブにやってきたというふたりに「Magic」を捧げた。9日の公演では、「がんで亡くなったベンジーのために、あの子が好きだった『Everglow』を歌って」と書かれたボードを掲げた夫婦のリクエストに応じた(あとでわかったことだが、ベンジーというのは夫婦の愛犬だった。マーティンは近くでボードを見たときにそれに気づくと、「なるほど、ベンジーは犬の名前だったんだね。犬だって大切な生き物だ。ベンジーのために歌おう」と言った)。最終日の10日の公演では、マーティンは紫色のユニコーンの着ぐるみ姿のヒゲの男性をステージに上げる前に、私にちょっとしたサプライズを用意していた。「アレックスに次の曲を捧げます」と言って「Yellow」を演奏したのだ。ライブ直前、私はマーティンにステージの下に呼ばれ、メンバーのジョニー・バックランド(Gt)とガイ・ベリーマン(Ba)、そしてウィル・チャンピオン(Dr)と一緒に円陣を組んだばかりだった。きっと何かの聞き間違いだろうと思ったが、そうではなかった。レコード会社の代表に「アレックスって、あなたのことですよね!」と言われたのだ。


Photographs by YANA YATSUK
SHIRT BY JUNGMAVEN. PANTS BY RAG & BONE

ライブも終盤に差し掛かったところで、私たちは3Dメガネのような「ムーン・ゴーグル」を装着するよう言われた。すると、打ち上げ花火とともに虹色に輝くハートが夜空に浮かび上がった。私は、自分の感情が操作されていることに何の疑いもなかった。それとも、これは正真正銘、自分の感情なのだろうか? いずれにしても、そんなことはどうでもよかった。そこまで私は皮肉屋ではない。たしかに、アメリカは独裁者を大統領に選んだかもしれない。地球は、進む温暖化によって水没の危機を迎えようとしているかもしれないし、人類はほかの生物たちと一緒に絶滅の道をたどっているのかもしれない。だが、アップライトピアノを弾きながら「Fix You」を歌うマーティンを見ながら私は、人類を含むすべての生命を愛することでこれらの問題を解決できるのではないか、と思いはじめていた。



すっかり”信者”じゃないか、と思われてしまいそうだが、あのときの私は本気でそう思っていた。だが、マーティンとの初めての公式インタビューの時間が刻一刻と迫るなか、地球の救世主的なコールドプレイの役割に対する疑念が湧き上がってきた。冷静に考えてみると、マーティンには教祖というか、苦行僧めいたところがある。セラピー漬けにされた人のような雰囲気と、この世のものならぬ雰囲気を同時に漂わせている、とでも言おうか。マーティンがこのようになった理由は、有名人としての名声、グウィネス・パルトロウとの結婚と”意識的カップル解消”からの離婚、クリーンな食生活、禁酒だけではないはずだ。それは彼が放つオーラによるものかもしれない。ライブの熱狂が冷めたいま、私は疑問に思いはじめていた——この人は本気で地球を救えると思っているのだろうか、と。


「白人男性の代表として矢面に立たされるのは仕方のないことだと思っている」

最終公演の翌々日、私はマーティンとのインタビューを前にそんなことを考えていた。すると、マーティンがゆっくりとした足取りで、オークランドのヴィアダクト・ハーバーが一望できるホテルのスイートルームに入ってきた。屈託のない表情を浮かべている。その日の装いは、色糸でできたピアスと、地球と月と星の絵が編み込まれた黒いセーター。2年前にグラミー賞授賞式で着ていたセーターだ。片手には、何やら体に良さそうなものが入ったボウルが。もう片方の手には、スイカジュースの入ったグラスを持っていて、私に両方をしきりに勧めてくる。まるで断食明けの人のように、全身から穏やかなエネルギーを放っている。

次の瞬間、マーティンは私の心を見透かしたようにこう言った。僕に遠慮する必要はない、君の好きなように書いてくれ、と。「カッコ悪いところも書いてくれて構わない。僕は気にしないから。とにかく、好きなように書いてほしいんだ」と、マーティンは小洒落たL字ソファの角から私に言った。「僕は、ずっと前から誰にも遠慮せずにやってきた。でもそれは、努力しなければできないことでもある」。そう言って少し考え込むと、ソファの上に足をあげた。「この記事が誰かの役に立ったとしたら、きっとそれはありのままの自分でいいんだ、と思ってもらえたときかな。ローリングストーン誌にふさわしいアーティスト像みたいなものに縛られなくてもいいんだ、みたいにね」

目を大きく開きながらそう語るマーティンは、本当のことを言っているように思えた。実際、マーティンは世間が自分に対して抱いているイメージを壊してはいけない、というプレッシャーを投げ捨ててきた。コールドプレイは、全世界で1億枚以上のアルバムを売り上げ、7度のグラミー賞を含む、300以上のアワードを受賞したスーパーロックバンドだ。1997年の結成以来、時には絶賛され、時には酷評されながらも、音楽界の最前線を走り続けてきた。そうしてコールドプレイは、真の”コールドプレイらしさ”を手に入れた。結成から28年を迎えようとしているいま、マーティンは、自分たちが思い描く”コールドプレイらしさ”だけを追求してきたことの正しさを実感している。「『もうちょっとあのバンドみたいなルックスを目指したほうがいい』とか『あの人みたいな話し方をしたほうがいい』とか、そんなことを考える時期もあったけど……」とマーティンは口を開いた。「でもいまは『いや、降りてくるメッセージを信じればいい』と思っている。そう思えることで、すごく解放された気分になった。パペットに歌を歌わせたいなら、そうすればいい。僕の母をはじめ、そういう演出が嫌いな人がいることもわかっている。でも、僕はいままでずっとそうしてきた。僕はみんなのことが大好きだ。だから、僕がやっていることを見てほしいと思っている」

最近のマーティンが奇行めいたことをよくやっているのは、そのせいかもしれない。ナイジェル・クリスプというビジネスマンに扮してラスベガスのカラオケバーで「ALL MY LOVE」を熱唱したり、メンバー全員でTVショッピング・チャンネルQVCに出演して『Moon Music』の収録曲を披露したかと思えば、アルバムをモチーフにしたオリジナルグッズ(トースターやティーセットなど)を宣伝したりと、不可解な行動で世間を騒がせているのだ。私はてっきり、32分間にわたって不思議な空気が流れ続けたQVC出演は一種のパフォーマンス・アートだと思っていた。だが、マーティンは真剣そのものだった。「パフォーマンスとかではなく、QVCに出演できたことは単純に楽しかったし、あれは可笑しかったね。ニューアルバムのプロモーション方法としては、かなり斬新だったと思う。僕たちはただ、ニューアルバムをすごく気に入っている、ってことを伝えたかったんだ」

話が進むにつれて、私はマーティンが何事にも前向きな視点で向き合い、共感を示すことに気づきはじめた。アンチに対しても、マーティンはどこまでも寛大だ。「みんなが同じものを好きにならないといけない社会なんて、想像しただけでゾッとするよ。それに、僕たちが格好のターゲットだということもわかっている。反撃される心配がないからね。僕たちは、イングランドの中流家庭で生まれ育った白人男性の4人組だ。だから、白人男性の代表として矢面に立たされるのは仕方のないことだと思っている。僕たちが世界中で演奏できるのは、僕たちの音楽が素晴らしいからってだけじゃない。そこには人種やジェンダーといった要因も、少なからず影響していると思うんだ」

今回の大統領選についても、マーティンは前向きな視点を忘れなかった。「もちろん、個人的な政治志向はあるし、僕自身はかなり民主党寄りだといって差し支えないけど……」と口を開き、さらに続けた。「選挙やそれに関するニュースは、考えるきっかけを与えてくれるよね。地球上には2種類の人間がいて、いがみ合っている。これは大問題だ。両者のあいだには大きな溝があると考えることもできる。でも、僕はこの仕事をしているおかげで、その真逆の状況をいつも目にしている。ステージに立って観客席を見ても、そんな溝はどこにも見当たらない。あるのは、協力し合っている人々の姿だけ。僕が言いたいのは、バンドには特別な役割があるってこと。その役割とは、『僕たちは誰とも敵対していない』と、人々に気づいてもらうことなんだ」


Photographs by YANA YATSUK
SHIRT BY ANYBRAND. PANTS BY APPLIED ART FORMS

私たちはホテルをあとにし、ヴィアダクト・ハーバーへと続くゲートに向かって歩いた。女性のボディガードが静かにマーティンに続く(「もともとは中国のカンフー映画で悪役を演じていたんだけど、香港で自分の警備会社を立ち上げたんだ。いまは、こうして時々僕のボディガードをしてくれる。すごくない?」とマーティンが自慢げに言った)。私たちはゲートの前で足を止めた。鍵がかかっているのだ。こうして外を歩いていても、気づかれることはほとんどない、とマーティンは言った。「有名人の中には、僕みたいな”特異体質”もいるみたい。実際、僕はいろんな人に似ているから、簡単に他人のフリができるんだ」。でも、さすがにいつも裸足でいると気づかれるのでは?と私が指摘すると、マーティンは肩をすくめて「いつも裸足ってわけじゃないよ。靴を履くのは大好きだし、靴を履かないのも大好きだ。別に”靴界隈”の人たちを軽んじているわけじゃない」と言った。

施錠されていないゲートがあった。「立ち入り禁止」の看板を無視してゲートをくぐると、マーティンは長い桟橋の先端へと歩いていった。私も靴を脱ぎ、ふたりで桟橋の上に座って足を海につけた。心地よい冷たさが伝わってくる。水面に目を凝らすと、銀色の小さな魚が足のあいだを泳いでいった。マーティンが水平線に目を向けた。そして目を閉じ、午後の太陽に顔を向けた。「かけがえのない時間だ。僕にこの時間を与えてくれてありがとう」

それはマーティンの本心から出た言葉だった。世間が求めるようなアーティスト像に縛られなくてもいいという言葉も、コールドプレイが受け入れられた理由も、コールドプレイが発信している受容のメッセージも、そしてそのメッセージをもっとも必要としているのがマーティン自身であることも、すべては真実なのだ。「僕が世界平和について語っているときは、自分の心の中のことも言っているんだ」とマーティンは言い、さらに続けた。「人は、いつでも自分を嫌いになれる。だから、世間の批判だけでなく、自己批判にも耳を傾けてはいけない。それを伝えることが、いまの僕たちに課された使命なんだ。だからこそ、僕たちはあらゆるものに通じる道としての愛を掲げ、それを貫こうとしている。そういう考えを掲げて多くの人に伝えられるバンドはあまりいない。だから僕たちはそうしているんだ。それに、自分自身にもそういうメッセージを伝えることも大切だ。ここで諦めて世間から身を隠し、みんなを憎む嫌な人間にならないためにも。そうなることは簡単かもしれないけれど、僕はそんな人間にはなりたくない」

要するにマーティンは、「ラディカル・アクセプタンス(過剰な受容)」について言っているのだ。それは他者と自分、特に自分を受け入れることである。それは地道な努力と、場合によっては感情操作によってしか到達できない境地かもしれない。ライブ会場で受容のメッセージが掲げられたり、花火が打ち上がったりするのは、そうしたことに気づいてもらうためなのだろう。

「僕たちのライブの演出は、そうしたメッセージの一部なのかもしれない」とマーティンは考えながら言った。「考えてみると、憎しみがない世界を2時間だけ体験してみよう、というのは、少しディズニーランド的だね」とニヤリと笑い、「ディズニーランドの次に世界で幸せな場所、©コールドプレイ。なんてね」と言った。


「僕たちはあらゆるものに通じる道としての愛を掲げ、それを貫こうとしている」

それから1週間後、私はカリフォルニア州マリブにあるマーティンのスタジオを訪れた。その日のマーティンのスタジオは、世界で3番目に幸せな場所になろうとしていた。漆喰が塗られた六角形の木造の数棟は、すべてが完成したらコールドプレイのアメリカ拠点となる。光り輝く海へと続く丘の上に立つこれらの建物は、まるで隠者の庵のような雰囲気を醸し出していた。菜園に目をやると、サムという陽気な若者が育てている農作物の列が同じ方向に広がっている。養蜂場からミツバチが迷い込み、シオンの花のあいだを忙しなく飛び回った(マーティンとの昼食中もミツバチが飛んできて料理の上に止まったが、マーティンは一度も払い除けようとしなかった)。これらすべてをあふれんばかりの太陽光が照らしている。

前日の夜、マーティンはいつものように夜明け近くまで起きていた。「そこらじゅうに音楽が飛んでいるんだ」とマーティンは言い、さらに続けた。「いたるところから音楽が生まれる。そのたびに目を覚ますんだ。僕にとって音楽は、いつも驚きに満ちている。最初にタイトルが浮かび、それにふさわしい曲がなかなか降りてこないこともある。『Viva La Vida』のときは、できそこないみたいな曲を6つくらい経て、ようやくあの曲にたどり着いたんだ」。そう言うと、多くの偉大なソングライターたちが同じような方法でインスピレーションを得て、細かいことに目を配りながら曲が降りてくるのを待つことが音楽づくりの秘訣だと考えていたことを明かした。「僕はポール・サイモンと話をするのが大好きなんだけど、彼はこんなことを言っていた。『私は曲なんて書いていない。朝、目を覚ますと曲がドアをノックしている。だから私はベッドから出て、それを迎え入れに行くんだ』。その気持ちは、僕にもよくわかる」


私たちはRainforestという建物の垂木がむき出しになった部屋にいる。マーティン曰く、『Music of the Spheres』と『Moon Music』はここで”オーガナイズされた”そうだ。白い羽目板に覆われた壁に、色とりどりのマーカーで『Moon Music』の収録曲のタイトルが書いてある。石の暖炉のマントルピースの上には、花瓶に入ったドライフラワーとポラロイドカメラ、BTSから贈られた直筆サイン入りのメッセージカード、そして額装されたマックス・マーティンの「12の掟」が並んでいる。この部屋でマーティンは、美しく装丁された『シャーロック・ホームズ全集』を私にプレゼントしてくれた。私は、ニュージーランドでの取材中にマーティンが「夢の世界に迷い込むのが大好きだ」と語り、「君がレディオヘッドに夢中なのと同じくらい、僕はメアリー・ポピンズが大好きだ」と言っていたことを思い出した。マーティンは目次を開くと、お気に入りの短編に青いマーカーで印をつけた。昔は、適当なページを開いて好きな文章をいくつか読んだだけで、短編のタイトルを当てられたという。もうできないと言うマーティンに、私は試しに327ページを開き、当たり障りのない文章をいくつか読んだ。するとマーティンは「いまのは『ぶな屋敷』かな?」と、見事に正解を出した。



マーティンは朝9時に目を覚ました。ニュージーランドから戻ってきたばかりで、まだ少し時差ボケが残っていたのだ(「時差ボケって、気分にも悪影響を与えると思わない? でも、久しぶりのアメリカは面白いね。ニュースはなるべく見ないようにしているけど」とマーティン)。その後、21分ほど瞑想をした。瞑想についてマーティンは「僕にとって瞑想は、祈りのようなもの。瞑想しながら、みんなに思いを発信しているんだ」と語った。それから12分ほど頭に浮かんだことを紙の上に吐き出し、いつものように捨てた(燃やしたり、トイレに流したり)。こちらは、悪魔払いのようなものだという。「君が見たら驚くようなこと、意地悪で攻撃的で最低なことをぶちまけているんだ。でも、書いたあとは捨ててしまうから、誰にも読まれることはないし、僕の中にも残らない」


Photographs by YANA YATSUK
SHIRT BY ANYBRAND

部屋を出て裏庭へ向かう前に、マーティンはアップライトピアノの前で足を止めた。フロントパネルが外されている。ベンチに座ると、作曲中のインストゥルメンタル曲を聴いてみない?と言ってピアノを弾きはじめた。ちょっと変わっているが、穏やかな曲、きらきらと光る噴水の水しぶきのようだ(マーティンは曲のタイトルを忘れてしまった)。

1、2分ほど弾くと、マーティンは「こんな感じ」と言って手を止め、立ち上がってピアノに軽くキスをした。「まだあまり上手く弾けないんだ。ちゃんと弾けるようになったら、もっとよくなると思う」

裏庭に行くと、大きな木の下のピクニックテーブルの上に昼食が並んでいた(私はケールと秋野菜のサラダ、マーティンはグルテンフリーのパンとコロッケのオープンサンド)。マーティンの背後の建物の壁には、海の風景が描かれてあった。よく見ると、「アップル&クリス」のサインが。「子どもたちのことが大好きだ。僕の実子じゃないけど、そんなことは関係ない。ってびっくりしたでしょう?」とマーティンは楽しそうに笑った。「息子のモーゼスをイラつかせる新しい遊びなんだ。通りを歩いているとき、誰かに『クリス・マーティンさんですよね? すみません、息子さんと一緒のプライベートなときに……』と言われるたびに『この子は息子じゃありません。僕のパートナーです』って言うんだ」そう言ってマーティンは大声で笑った。「子どもたちが大好きだ。心配しないで、ふたりとも実子だから」

来週は、20歳になった娘のアップルとパリを訪問する。アップルが舞踏会「ル・バル・デ・デビュタント」に出席するのだ。「娘の社交界デビューに付き添うなんて夢にも思わなかったけど、僕はアップルのことが可愛くて仕方がないんだ。だから、いいかなって」。それに息子のモーゼスも大学生になったことだし、家族が集まる良い機会になる、と言葉を継いだ。子どもたちが巣立っていくことについてマーティンは、「寂しいよ」と心の内を明かした。「そのひと言に尽きるよね。でも、『まだ巣立ちたくない』って言われるのはもっと変な感じだから、これでいいのかな。そんなことを言われたら、余計心配になってしまうよ」


(左から)マーティン、ベリーマン、チャンピオン、バックランド。シドニーにて。Photo by ANNA LEE

それから私たちの話題は、人を好きになることの良い面と悪い面に及んだ。誰かを愛すれば愛するほど、その人を失うことが怖くなるというテーマは、パルトロウとの破局の最中につくられた2014年のアルバム『Ghost Stories』だけでなく、コールドプレイのディスコグラフィー全体を通して描かれている。今年の3月には、破局説が流れていたにもかかわらず、長年付き合っていたダコタ・ジョンソンとの婚約の噂が世間を騒がせた。マーティンは、このことについて話したくないと言った。それは自分が話すべきことではないと思っているのだ。「ロマンチックな恋愛は人生を左右する重要な要素だ、とみんなに伝えるのは大事なことだと思う。そのいっぽうで、プライベートな問題として大切にするのも重要だ。だからといって、恋愛の力を否定しているわけじゃない」とマーティンは言った。それでも、時おりマーティンの口からダコタ・ジョンソンの名前が何度も出てきた。2日前も、ふたりでケイシー・マスグレイヴスのアルバム『Golden Hour』(2018)を一緒に聴いたばかりだという。それから少したってからマーティンは、自分には数えるほどしか友人がいないと言い、「フィル(・ハーヴェイ)、ダコタ、ジョニー、ウィル、ガイ、そして子どもたち」と名前をあげた。

恋に敗れた男というイメージは、世間が彼に対して抱いているイメージとも呼応する。マーティン自身、22歳で童貞を失うまで、それどころか、何らかの失恋を経験する前から失恋ソングを書いていた。「物心ついた頃からずっと、胸が張り裂けるような感覚を抱き続けてきた」とマーティンは言った。「ひょっとしたらそれは世界に対して、あるいは人類が置かれている状況に対する悲しみなのかもしれない。自惚れだと思わないでほしいんだけど——別にそういうふうに聞こえるなら仕方ないけど、本当なんだ。僕は、深い喜びと悲しみが入り混じった感情を持ち続けてきた」

はじめて誰かに感情移入したのは11歳のときだった。それは自分でも驚くような出来事だった。「知らない子と一緒にミニバスに乗っていたときのことだった。その子を見た瞬間、何かを抱えていることに気づいた。でも、その子も僕も、どう表現していいかわからなかった。それなのに僕は、その子の悲しみが手に取るようにわかった。自分でもよくわからないけど、僕は他人の悲しみを自分のことのように感じられる。自分の悲しみに関しては、もっと重く受け止めてしまうんだ。でもそれは、僕が人間だからなのかもしれない。あるいは、音楽を受け取る側の人間として、そうした感情に敏感でなければならないのかもしれない」

こうしてマーティンは、その代名詞ともいうべき共感力を手に入れた。「失恋して悲しみに打ちひしがれていたとき、クリスは私のそばにいてくれた」と、長年の友人であるシンガーソングライターのシャキーラは私に語った。「私の様子を伺いに、毎日家に立ち寄ってくれたの。優しい言葉や勇気をくれるような言葉、英知に富んだ言葉をかけてくれた。きっとクリスは、私たちとは違うレンズを通して世界を見ているんだと思う。相手が何を求めているかを敏感に感じ取ることができる、共感力の高い人なの」

マーティンは、会計士の父親とジンバブエ出身の音楽教師の母親の長男として、イングランド南西部デヴォンに生まれた。本誌の2008年のインタビューで「人は死んだら天国か地獄に行くと教えられて育った」と語ったことからもわかるように、宗教熱心な家庭だった。生まれて初めて見たテレビ番組は衛星放送によるビリー・グラハム牧師の説教で、生まれて初めて行った音楽フェスティバルはキリスト教音楽のフェスだった。聖歌隊に加わったが、力不足を理由に脱退。13歳になると、良家の子息たちが通う全寮制の寄宿学校シェボーン・スクールに入学した。そこで「5人目のコールドプレイ」こと、マネージャーのフィル・ハーヴェイと出会った。学食でパンをトーストするために並んでいるときのことだった。


Photographs by YANA YATSUK
SHIRT BY JUNGMAVEN

「私たちは、『セントラル・フィーディング(餌やり場)』で出会いました」とハーヴェイは振り返った。「『セントラル・フィーディング』というのは、学食の別名です。この名前だけでも、私たちの学校がどんなところだったか想像できると思います。人格を一切無視する、厳しい環境でした。バンドなんて論外。あそこでは、ラグビーがすべてでした」

学生時代、マーティンはスティングのファンクラブの会長をやっていた。ハーヴェイと一緒に「ロッキン・ホンキーズ」というブルースバンドを組み(メンバーは全員白人)、ひどいいじめに遭っていた。「いまでこそクリスは、186センチの長身に加えてたくましい体つきをしていますが……」とハーヴェイは口を開いた。「あの頃はひょろひょろで不器用で、妖精っぽいというか。かなり女性的なところもありました……本人に尋ねても、同じことを言うと思います。男子校というのは、とにかく無慈悲な場所です。クラスメートたちはクリスの弱みを嗅ぎつけるや否や、そこを徹底的に狙いに行きました。相当ひどい目に遭っていました」

宗教に救いを求めても無駄だった。その年になってもマーティンは、天国と地獄の概念におびえていた。ちょっとでもエッチな妄想が頭をよぎるだけで、罪の意識にさいなまれた。異性を意識していないときも不安だった。自分がゲイだと思うと、怖くてたまらなかったのだ。「6歳の子どもに教義とか、人間は罪人だとかいう概念を叩き込むなんて、普通じゃないよね」と、私が宗教の話題に触れるとマーティンは言った。「そうしたものから解放されるには、一生を捧げなければいけない。僕の場合は、多大な時間と何枚ものアルバムを捧げなければならなかった」

ユーモアはマーティンにとっての守備システムになっている、とハーヴェイは指摘する(「クリスは、ユーモアのスイッチを自在に操ることができました。誰かを笑わせたいと思ったら、すぐにそのスイッチを入れるのです」とハーヴェイ)。こうして徐々にマーティンは世間を知り、厳格な宗教観から解放されていった。「同性愛は悪だなんて思っていないし、地獄で苦しみ続けなければならないほどの罪なんて存在しないと思う。永遠に火あぶりの刑に処せられるなんて、そんなのあんまりだよね」とマーティンは言った。

のちにコールドプレイとなる4人は、1996年にロンドン大学の学生寮のひとつであるラムジー・ホールで出会った。それから時を待たずして、マーティンは部屋の壁の向こうからギターの音が聞こえてくることに気づいた。「クリスは旋風のように僕の部屋に入ってきて『ギター弾くの? いいね! 一緒に何かやろうよ』と言いました」とバックランドは回想する。音響が良いことを理由に、ふたりは寮のバスルームで練習した。それから数カ月後にベリーマンが加入。そのまた数カ月後、当時のドラマー(のちにキーンのメンバーとなる)がレコーディング中に脱退したのを機に、チャンピオンが加わった。4人は1999年4月にレコード会社と契約を交わし、1カ月後に卒業試験を受けた。マーティンのようなバックグラウンドをもつ人物がロックスターになるというのは、世間としては信じがたいことだったようだ。ある日、父親と昼食をとっているとき、見知らぬ女性が父親のそばにきて「息子さんがこのようなことになってしまい、心から残念に思っています」と言った。「女性は真剣そのものだった」とマーティンは言い、さらに続けた。「その人は『立派な学歴を台無しにして……本当に残念です』とも言いました。それに対して父は『心配しないでください。きっと大丈夫ですから』と言い返したんです」


「光が強くなれば強くなるほど、影も濃くなるのだから」

父親の予言は半分当たり、半分はずれた。コールドプレイがアリーナを満員にできる人気ロックバンドへと成長するいっぽうで、批判の声も強くなっていった。腰抜けの音楽だとか、ミドルクラスすぎるとか、誠実すぎるとか、親切すぎるとか、バンドは批判にさらされた(「自分たちは心優しい人間だと思っているけど、いつも親切なわけじゃない」とマーティンは補足した)。ニューヨーク・タイムズ誌は、マーティンがギターを叩き割ったり、ホテルのスイートルームをめちゃくちゃにしたりせず、内気さをアートへと昇華させ、本誌の記者であるジョー・レヴィーのインタビューで「いろんなことにもう少し耐えられるバンドになりたい」と答えたことを受けて、コールドプレイを「過去10年でもっとも鼻持ちならないバンド」と酷評した。

『Ghost Stories』の制作とリリースも、バンドにとっては苦しいものだった。ツアーらしいツアーは行わず、マーティンはひどく落ち込み、ひとりで過ごす時間が多くなっていた。それもメンバーたちが安否を心配するほどに。「これに関しては言葉を慎重に選ばないといけないのですが……」とハーヴェイは口を開いた。「クリスは、たくさんの痛みと傷、トラウマを抱えているんだと思います。それらの大半は、クリスが10代半ばだったときに刻まれたものです。成長するにつれて、クリスはそうしたものをコントロールするのではなく、平和的に共存し、昇華させる術を身につけていきました。それでも、私が心配になるくらい落ち込むときもあります。そんなとき、私にはクリスが闇の底へと堕ちていくように見えるのです。でも、クリスはその闇と絶望をインスピレーションに変えてしまうのです」



コールドプレイと同時代に活躍したバンドが解散したり世間から忘れ去られていくなか、感情と独創性を昇華させるマーティンの才能はバンドの成功を支え続けてきた。コールドプレイがいまも音楽界のトップに君臨している理由について、チャンピオンは次のように分析する。「最近ずっと考えていたんだけど……クリスは自分に厳しいというか、いつも全力で走っているんだ。長いツアーが終わったあとはいつも『クリス、お願いだから少し休んでくれ』って言うんだけど、その翌日か翌々日には『良いアイデアがひらめいた!』とメールを送ってくる。そこがクリスのすごいところなんだ。僕は、クリスの独創性にブレーキをかけるようなことは絶対にしたくない。この世に生まれた意味を知るという意味でも、クリスには創作が必要なんだ」

EDMからアフロビートにいたるまで、さまざまなトレンドやジャンルを取り入れて進化しながら、コールドプレイはその本質ともいうべき”コールドプレイらしさ”を保ち続けてきた。「オーディエンスを見渡すと、5歳の子どももいれば、おじいさんおばあさんもいる。僕たちにとって、これ以上嬉しいことはない」とチャンピオンは続ける。世代を超えて愛されるコールドプレイの魅力は、何かを切望するようなマーティンの歌声と、豊かな和音と壮大なコーラス、そして曖昧さを秘めていながらもまっすぐ胸に届く歌詞といったものに依るところが大きい。「時々思うんだ。僕たちの音楽は、英語圏ではない国の人たちに強く響くのではないかって」とマーティンは言い、「どこからどう見ても、僕は優れた作詞家ではないけど、英語がわからなくても直感的に感じるものがあるんじゃないかな」と言葉を継いだ。



2024年11月、シドニーのアコー・スタジアムのステージに向かうコールドプレイの4人。
Photo by ANNA LEE

気づくと風が強くなり、空気も冷たくなってきた。私たちは食べ終わった食器を片付けてスタジオの小さなキッチンに運び、リビングルームに移動した。窓の外には、草原が広がっている。

私は「幸福度レベル」に言及した。人には幸福を感じるそれぞれのベースラインがあり、大きな不幸がない限り、生涯変わることがないらしい。自分の幸福度を1から10の10段階で評価すると?と尋ねると、マーティンは「1と10かな」と答えた。「1も10も、僕にとってはどちらも同じなんだ。僕には、中間というものがない。だから、1日の大半は1と10のあいだを埋めようとしている。ラビンドラナート・タゴール[インドの詩人]が説いたところの『テンセグリティ』[tension(張力)とintegrity(統合)を掛け合わせた造語]だね。バイオリンの弦を反対方向に引っ張ると、真ん中から音楽が生まれる——これこそまさにテンシグリティだ」

要するにマーティンは、自身を引っ張ってくれる力がどのようなものか、あるいは、それがどこから来ているのかを説明しようとしているのだ。「バンドをはじめたばかりの頃、バーにはファンが3人いて、ヘボバンドだとけなす人がひとりいた。それからファンは3000人に増えたけど、ネットで僕たちを叩く人の数は10になった。それから世界一有名なバンドになるのと同時に、世界一嫌われているバンドになった。僕が言いたいのは、こういうことなんだ。そこから逃れることはできない。勝つことばかり追い求めていても、それは絶対に手に入らない。光が強くなれば強くなるほど、影も濃くなるのだから」

マーティンは、さまざまな経験や書物を通してこうした現実と向き合えるようになったと語る。ボイストレーニングのコーチからは、大きな会場でも小さな会場でも、歌うときは一番後ろの席の人に向かって歌いなさいと教わった。ブルース・スプリングスティーンからは、誰かにとって最初、あるいは最後のライブであるという気持ちですべてのライブに臨めと教わった。このほかにも、ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』(1977)やジャラール・ウッディーン・ルーミーの詩、プロデューサーのブライアン・イーノの言葉など、多くの人に助けられたと語る。特にイーノは『Viva La Vida or Death and All His Friends』(2008)のプロデューサーを務め、どん底にいたコールドプレイをそこから拾い上げ、音楽づくりの楽しさを思い出させてくれた。イーノは、音楽づくりは子育てのようなものだと言った。「子どもに素敵な家を用意しても、悲しい気持ちで学校から帰ってくることもある。それは避けられないことだ。自分の子どもが悲しんでいる姿は胸が張り裂けそうなくらい辛いけれど、それを自分のせいにするのは間違っている。辛いけれど、生きるというのは、そういうことなんだ」と、イーノはマーティンに言った。2016年のスーパーボウルのハーフタイムショーも、そうした意味ではいい経験になったとマーティンは振り返る。親友ビヨンセとブルーノ・マーズと共演したとき、マーティンは自分たちのパフォーマンスにかなり満足していた。だが、実際の評価はひどいものだった。そんな経験さえも、変化と成長の糧になったのだ。

「有名人の知り合いから『世間はああいうふうに言っているけど、気にしちゃだめよ』とメールが送られてきたんだ。『なんの話?』と思ったよ。ネットを見ていなかったから。それからすぐにネットをチェックした。しばらくは立ち直れなかった」とマーティンは言った。その直後、マーティンはあることに気づいた——過去に戻れるとしても、何ひとつ変えずにやるということを。「変だと思われるかもしれないけど、僕にとっては啓示のような瞬間だった」


「自分の人生は失敗だと思い続けてきたからこそ、前に進めたのかもしれない」

それは救いでもあった。音楽に関しては、マーティンは何ひとつ変えることができないのだから。少なくとも、音楽を通して伝えようとしていることと、音楽との精神的なつながりを変えることは不可能だ。「僕は、誰よりもコールドプレイの音楽を必要としている」とマーティンは語り、「僕たちの曲はセラピーであり、カタルシスであり、解釈でもあるんだ。それらは愛と受容、そして優しさに満ちあふれている。曲のメッセージは、僕のはるか先を行っている。それは、僕がなりたいと願う姿なんだ」と続けた。

「たとえば『Sky Full of Stars』のテーマは無条件の愛、自分のことが好きな人にも、そうでない人にも平等に注がれる愛だ。現実世界でその境地にたどり着くのは不可能かもしれない。それでも、アームストロングの『What a Wonderful World』をはじめとする多くの曲がそうであるように、この曲も『こっちの方向に進めば、物事はきっともっと良くなる』って語りかけているんだ」



マーティンは少し考え込むと「いかにもロックンロールって感じだよね」と、皮肉っぽくニヤリと笑った。

コールドプレイがいまも音楽界の第一線を走り続け、世界でもっとも有名なロックバンドとしてのポジションを手に入れられたのは、マーティンの世界観に依るところが大きいのかもしれない。実際、マーティンが語ってきたことは、見方によってはかなりロックンロールだ。それと比べると、怒りをぶちまける1990年代後半のロックは、2025年の音楽としては絶望的なくらい時代遅れだ。だって考えてみてほしい。スマホをクリックすれば、アフリカの子どもが楽しそうにK-POPを歌い、フェイスタトゥーを入れたスキンヘッドのおじさんたちが「Pink Pony Club」のメロディに乗って踊っている動画が流れてくるのだ。それを見て、思わず笑顔にならない人なんているのだろうか? 目の前で起きていることを他人事として片付けられるのだろうか? そう考えると、ラディカル・アクセプタンスというのは、もっとも急進的な受容の形なのかもしれない。

あるいは、そうではないのかもしれない。なかにはきっと、躍るユニコーンや虹色のハート、歌う子犬はやりすぎだと思う人もいるだろう。だが、コールドプレイが善を促進させる力だとしたら、それが口だけのものではないこともわかってほしい。その例として、コールドプレイはマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者たちが「59%」と算出したツアーのカーボンフットプリント(二酸化炭素排出量)を削減できる方法を思いつくまでツアー活動を休止する、と2019年11月に宣言した。このほかにも、マレーシアとインドネシアの川の底から回収されたプラごみを再利用して『Moon Music』のアナログLPを制作(ごみを回収するための船も自腹で手配した)。ライブ会場では、廃食用油をはじめとする再生可能エネルギーで電力をまかなっている。さらには、チケットの価格が変動する「ダイナミックプライシング」を廃止し、2025年のUKツアーの収益の10%を、ライブ会場を支援する慈善団体Music Venue Trustに寄付することも決まっている。バンドのコーマネージャーやフィジカルセラピスト、SNS担当、パートナーシップ戦略担当など、彼らと仕事をしている誰もが幸せそうな表情を浮かべていることも忘れてはいけない。ライブ中も彼らは舞台袖に集まり、楽しそうに微笑みながら「feelslikeimfallinginlove」のメロディに合わせて踊っていた。


Photographs by YANA YATSUK
SHIRT BY JUNGMAVEN. PANTS BY RAG & BONE

世界中の若手アーティストとのコラボレーションとプロモーションに関しても、コールドプレイの右に出る者はいない(オーストラリアでのライブには、ナイジェリア出身のアイラ・スターやジンバブエ出身のショーンといったアーティストに加え、ベッカ・ハッチ、ジャジー・K、エマニュエル・ケリー、エリー・メイ・バーンズといった地元のアーティストが参加した)。「音楽のことになると、クリスは駄菓子屋さんにいる子どもみたいに夢中になるの」とシャキーラは言っていた。

コールドプレイと共にツアーをまわっているだけでなく、「GOOD FEELiNGS」にゲスト出演したアイラ・スターは、メールを介してマーティンと曲をやりとりするようになってからスタジオに招待されたと語った。「クリスからの多大なサポートに心から感謝しています」とスターは言い、さらに続けた。「『The Year I Turned 21』(2024)という私のアルバムを初めてクリスに聴いてもらったとき、とても温かい言葉をもらいました。それだけでなく、天才的なミュージシャンとして、いくつかアドバイスもしてくれたんです。私は頑固なので、すべてのアドバイスに従ったわけではないのですが」。それでもマーティンは、まったく気にしなかったという。「クリスには、一緒にいる人たちを穏やかな気持ちにさせてくれる不思議な魅力があります。イギリス的なユーモアという意味でも、クリスは最強です。面白いことをいってやろう、って思っていないのに、本当に可笑しいんです。まっすぐで誠実で、とても素敵な人です。特にクリスのおやじギャグが大好きです」



ニュージーランドでマーティンをインタビューした日の夕方、マーティンはParachute Studiosと命名されたスタジオで「アーティスト・パーティ」なるものを開いた。スタジオに地元のミュージシャンたちが集まり、自分たちの曲を披露し合った。「音楽で生計を立てるという意味で、ニュージーランドの音楽シーンはどんな感じ?」とマーティンはソファでくつろぐ12人の若手アーティストたちに質問をすると、カフェでのバイト事情や島を一周してもなかなかファンが増えないことなど、それぞれが思いを口にした。

「何よりも残念なのは、全員を助けられないこと」と、あとになってマーティンは私に言った。「でも、こういうパーティを開くことは、地元の人たちが集まるきっかけになると思う。僕が去ったあとも、みんなでまた集まれるからね。それが彼らのエンパワーメントにつながるんだ」

パーティをあとにしながら、マーティンは夜にまたホテルで合流しようと提案した。最終的に夜の10時過ぎに落ち合うと、私たちはヴィアダクト・ハーバーのほうに歩いた。海風のにおいが漂い、桟橋にあたる波の音が聞こえてくる。夜空は広く、漆黒のような闇がどこまでも続いている。「右に行こう」とマーティンが言った。「散歩しながら、景色を楽しもうよ」

「すごい星空だ」。私は、そんな言葉が自分の口から出たことにハッとした。だが、もう手遅れだった。そんなことはどうでもよかった。頭上には、見たこともないような星空が広がっていたのだ。無数の星がアメリカから遠く離れたこの場所で、見たこともないような星座をつくっている。きっとその光は私たちと、私たちがするすべてのことを照らしているのだ。マーティンも空を仰いだ。


「僕は優れた作詞家ではないけど、英語がわからなくても直感的に感じるものがあるんじゃないかな」

しばらくのあいだ、私たちは歩いた。時おり、沈黙に包まれながら。最初のうち、マーティンは「あっちを見て」と遠くの場所を何度か指したが、いまは静かに歩いている。クリスマスのイルミネーションに照らされたボートが暗い波の上を通り過ぎていく。「バンドをしていると、アドレナリンが大量に放出される瞬間を何度も経験する。ライブも何もかもが華やかで大規模になっていく。時おりひどく落ち込むのは、その反動かもしれない。心を開いてすべてを捧げるけれど、そんなことばかりしているのは現実的ではない。バカげているよ。多くのアーティストが命を落とすのは、そのせいなのかな。アーティストというのは、危険な仕事なんだ。理由もわかっている。ドラッグみたいなものさ。だから、僕自身はなるべく沈まないように努力している。歩くことは、僕の助けになるんだ。海に入ることもね」

マリブでは——スタジオから少し行ったところに自宅がある——静かに過ごしていることが多いと語る。毎日欠かさず海で泳ぎ(日が暮れてからも)、テレビを付けて『ラリーのミッドライフ★クライシス』や『30 ROCK/サーティー・ロック』などのお気に入りのドラマを観る。あとは読書をしたり、散歩をしたり。車は持っていない。マーティンは生活のほとんどを音楽に捧げている。音楽が宇宙から、あるいはほかの場所から舞い降りてくるのを待っているのだ。「毎年、新しいアーティストや曲、アルバムと出合って謙虚な気持ちにさせられると同時に勇気をもらうんだ」とマーティンは言った。「今年は誰だろう。チャペル・ローンかな。彼女、大丈夫かな? 若い世代は大変だよね。ソロアーティストの場合は特にそうだと思う」。自分が生きてこられたのはジョニーとウィル、そしてガイのおかげだとマーティンは言った。

しばらく前からマーティンは、コールドプレイはあと2作しかアルバムをリリースしないと宣言している。ひとつは、ハーヴェイとマーティンが共同で執筆している物語をベースとしたミュージカルアニメーションのための作品。もうひとつは、『Coldplay』というタイトルの最後のアルバムだ。最後のアルバムは、バンドのオリジナルサウンドに立ち返る、”帰郷”のようなものになる。「最後のアルバムのジャケットは、1999年から決まっているんだ」とマーティンは明かした。「1stアルバムのカバーを撮影してくれたフォトグラファーの作品だ」。その後もツアー活動を続ける。コールドプレイのレガシーを生かし続けるために。


Photographs by YANA YATSUK

「クリスが作曲をやめることは一生ないと思う。だから、僕自身はあまり本気にしていない」と、オーストラリアでベリーマンは言っていた。「引退するには、僕たちはまだ若すぎる。でも、何事にも計画は必要だ。マラソンをしている人は、42.195キロ走ったらゴールが待っていることをわかっている。でも、誰かに『止まらずに走り続けて』と言われたら、モチベーションを保ち続けるのは難しいよ」

コールドプレイの新章がどのようなものになるかはさておき、マーティンは数十年にわたって降りてきたにもかかわらず、アルバムという形で世に出なかった作品にオマージュを捧げたいと考えている。「いつか『Alphabetica』というアウトテイク集をつくりたいな。タイトルがAからはじまる曲、Bからはじまる曲……みたいに、ボックスセットみたいな形でリリースするんだ。問題は、Qからはじまる曲がひとつもないこと。これがなかなか難しくて」

そろそろホテルに戻ろうとしたとき、マーティンが言った。「最近、泳いでる?」

「ナイトスイミングですか?」と、私はR.E.M.の曲を引き合いにした。「夜に泳ぐなら、静かな夜がいいですよね」

私の答えが気に入ったようだ。「R.E.M.屈指の名曲だね。多くの人にとって、R.E.M.は特別な存在だ」

そう言って、マーティンはしばらく黙り込んだ。レガシーについて考えるのは、なんて不思議なことなのだろう。「自分の人生は失敗だと思いながら、人生の大半を過ごしてきた」と、ようやくマーティンが口を開いた。「でも、『お前はしくじったんだ、もっと偉大になれたのに』って思い続けてきたからこそ、前に進めたのかもしれない。それでいいんだ。そうすることで何かに打ち込めるのだから。僕は人間だ。それでいいんだ」と、まるで自分に言い聞かせるように言った。「それでいいんだ」

「僕は病であり、癒やしでもある。そういうことですね」と私は言った。

「そういうこと」

「ですね」

マーティンは星に照らされて輝く水面を見つめた。「コールドプレイの曲にも、そういう歌詞の曲がある。『Clocks』っていうんだ」

「その曲を引用していたんです」



マーティンは静かにうなずいた。「興味深いことに、大抵の薬は毒から生まれる。毒を解毒できるのは、毒だけだ。毒っていうのは薬でもあるんだ。たいていの解決策は、自分が抱えている痛みにある。それってすごいことだよね」

「何かの暗喩みたいですね」

そう言うと、世界でもっとも心優しくて誠実なバンドのフロントマンは目を見開き、満面に笑みを浮かべた。

最新アルバム
Coldplay - Moon Music
https://coldplay.lnk.to/MMC

PRODUCTION CREDITS Styling by BETH FENTON. Grooming and wardrobe by TIFFANY HENRY. Tailoring by NIKKI EDMONDS. Produced by PATRICIA BILOTTI for PBNY PRODUCTIONS. Photographic assistance: GILLES OKANE and BRANDON EPPERSON. Styling assistance: MANUEL PARRA and STEPHANIE MASTRO. Safety Diver: HAL WELLS. Water Camera Assistant: EVAN CONNELL. Lifeguard: BEN RIGBY

from Rolling Stone US

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください