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瓦に刻まれた「陀」の一文字…京都に高僧・重源の関係施設か

産経ニュース / 2024年5月8日 13時13分

瓦片が出土した道路溝(右)=京都市下京区

平安時代末期、平氏の焼き打ちで焼失した東大寺の復興に尽力した高僧、重源(ちょうげん)(1121~1206年)が建立した浄土寺(兵庫県小野市)と同形の軒丸瓦(のきまるがわら)の破片が平安京・西市跡(京都市下京区)から出土した。兵庫県外では初めての出土例。調査した民間調査会社、文化財サービス(京都市南区)は、周辺での重源関係寺院の存在の可能性を指摘する。

現場は平安京・西市跡の一角にあたる西大路七条交差点の北西角。マンションや商業などの複合施設建設に伴い令和4年12月から5年2月にかけて約325平方メートルを調査した。

文化財サービスによると、西市に関係する遺構は出なかった。しかし平安時代末期から室町時代にかけての柱材の残る建物跡や、高い身分層のものとみられる覆堂を持つ墓跡、浄土寺と同形の軒丸瓦の破片などが出土した。

特に珍しいのが軒丸瓦の破片で、長さは現状で約6センチだが、復元すると直径は約15センチと推測される。鎌倉時代前期の土器を含んだ路地の溝跡から出土した。

表に「南無阿弥陀仏」の6文字を円を描くように配したのが特徴で、出土した瓦片には「陀」の字だけがみえる。同形の瓦が残るのは浄土寺周辺と瓦を生産した神出(かんで)窯跡(神戸市)のみという。

伏見区の醍醐寺の子院跡にも重源が建てた堂跡が残るが、同形の瓦は出土していない。

浄土寺は治承4(1180)年、平重衡に反抗勢力として襲撃された東大寺の復興のため、資金・資材集めに奔走した重源が築いた別所のうち播磨(兵庫県南西部)の拠点として建久5(1194)年に建てた寺院として知られる。

調査地の近くには重源に教えを受けて浄土寺の本尊も造像した仏師、快慶ゆかりの寺院もある。文化財サービスの田邉貴教調査員は「この地に重源の因縁を感じる。瓦は重源関連の寺院の存在の可能性を示している」と話す。

重源に詳しい京都府立大の横内裕人教授(日本中世史)は重源による東大寺復興活動中に形成されていく教団に着目し、「近くに大規模な堂が建っていたことを物語っている。京内での重源教団の活動をうかがわせる史料」と評価した。(園田和洋)

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