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江戸時代に倍巌上人が再興 さまざまな縁をつなぐ法徳寺 社寺三昧

産経ニュース / 2024年4月22日 11時49分

普段静かな社寺が展覧会などをきっかけに注目されることがある。奈良市の旧市街地、ならまちの一角にある法徳寺(融通念仏宗)は、近年に寄進を受けた奈良ゆかりの仏像が令和元年に奈良国立博物館で展示され、その存在が知られた。

世界遺産・元興寺の門前から南へ歩き、江戸時代の面影を伝える正木家住宅の前を過ぎて東に曲がると、間もなく法徳寺の山門があった。本堂は明治の火災後に天理教の建物が移され改修されたものといい、安置されている平安時代の作とされる本尊・阿弥陀如来立像(市文化財)は台座の墨書からもとは法隆寺にあったともされる。

法徳寺が位置するのは奈良時代に建立された元興寺の旧境内で、前身は同寺に関係する一院だったらしい。山門西側の毘沙門(びしゃもん)堂に祭られた毘沙門天立像はもとは元興寺伽藍(がらん)の鬼門除(きもんよ)けで、北西にある毘沙門町から移されたという。法徳寺は江戸時代に倍巌(ばいがん)上人が再興し、融通念仏宗に属するようになった。ただ、倍巌上人についてはどういう人物かは分かっていない。

倍巌上人から数えて22代に当たるという現在の倍巌良明住職は「奈良では融通念仏宗の中心寺院の一つで、長く続いてきた法灯をしっかりと受け継いでいきたい」と話す。

融通念仏宗は平安時代末期に天台僧の良忍が開き、念仏信仰の先駆けとなった教えで、「南無阿弥陀仏」を唱えることで誰もが融通和合の境地に至り、仏の功徳が得られると説く。本山は大阪市平野区の大念仏寺で、大阪と奈良に信徒が多い。

同宗で珍しいのが本山本尊の掛け軸が檀家の家を巡る行事「御回在(ごかいざい)」だ。奈良では今でも約90日間をかけて僧侶が十一尊天得如来の掛け軸を持って各末寺や檀家を訪問。それを掛けるなどして勤行し、「(念仏を勧める)念仏勧進の古い形が残っている」と倍巌住職は説明する。

法徳寺の先代住職だった良舜さんはそんな融通念仏宗の管長も務めた。薬師寺管主で写経勧進を始めた高田好胤(こういん)さんとは大学時代から親しく、息子の良明さんも子供の頃から薬師寺に出入りする縁を得た。

奈良博で展示された仏像はかつて大阪の実業家が収集したもので、家族の申し出によって奈良に帰ってきた。法徳寺はさまざまな縁をつなぐ寺院だ。

(岩口利一)

法徳寺奈良市十輪院町23。境内自由。寄進された仏像群は奈良国立博物館に寄託している。本堂内拝観は事前連絡が必要。(0742・22・3451)。

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