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西成差別、日雇い労働の実態、貧困のスパイラル分析…なぜ、西成高校では「反貧困学習」が行なわれているのか?

集英社オンライン / 2023年2月27日 8時1分

大阪府立西成高校で行われている「反貧困学習」。2学期は自分達の足元を考える、「西成学習」がテーマとなった。1年生たちは9月から部落差別、識字教室に通う女性のこと、西成差別、野宿者、子ども夜回り、釜ヶ崎という順で、西成地区がはらむ問題について正面から学んできた。生徒へのインタビューと、「実験的な新しい学校」作りに挑む、山田勝治校長が目指す高校のありようを紹介する。

野宿者と直接話す「子ども夜回り」に参加

2022年12月22日、1年5組。2学期最後の「反貧困学習」は、西成学習のまとめから始まった。テーマごとにピックアップされた感想が書かれたプリントが配られ、担任の中村優里が声をかける。



「今日は、西成学習の総まとめだよ。最初の授業、覚えてる?」

「覚えていない」

班に別れて、グループワーク。テーマは「貧困のスパイラル」はどうつくられ、次の世代に連鎖して行くのか。キーワードを書いた付箋をあちこちに動かしながら、それぞれが思うところを話して行く。こっちかな?いや違うと

「なんか、部落で。差別されて」と女子生徒。

「結婚に反対するって、あったよな」と男子。

部落差別についての感想には、こう書かれていた。中村が読み上げて行く。

「差別意識がまだ世の中にはびこっているということが本当に信じられません。血は同じなのに、差別をする人が一人でも早く消えてほしいです。仮に親が結婚に反対するなら、その権利はないと思った」

生徒たちは「野宿者」の授業に続き、「子ども夜回り」と「釜ヶ崎」についても学んでいた。

「子ども夜回り」とは、釜ヶ崎にある子どもの居場所「こどもの里」で冬に行われる、子どもたちによる野宿者を訪ねて声をかける活動だ。子どもたちがおにぎりやカイロ、下着などをリヤカーに積んで、釜ヶ崎各所を歩いて回る。

2015年冬、私も一度だけ、参加したことがあった。夜回りの前に1時間ほどの学習会を行い(この日は、福島第一原発事故がテーマだった)、それぞれのコースに分かれて出発し、戻ってからは一人一人振り返りを行なうという、深夜までかかる活動だった。子どもたちは野宿者にすっと、「おっちゃん、大丈夫ですか? 寒くないですか? おにぎり、持ってきました」と声をかける。すると、寝ていた野宿者たちはうれしそうに起き上がる。

ある女の子は、こう聞いた。

「おっちゃん、子どもの頃、何が一番、楽しかったですか?」

野宿者はこんな問い、遠い昔に置いてきたとばかりにキョトンとし、次に満面の笑みとなった。

「なんやなー、運動会やったかなー」

なぜ、野宿するようになったのかについても、子どもたちは率直に尋ねる。「身体、壊して」「会社が潰れて」と野宿者たちも、真っ直ぐな子どもたちの瞳に答えて行く。お互いにとって大事な活動なのだということを目の当たりにした夜だった。

プリントに目を通し、「一番上の、オレの感想」といった島津くんが、個別インタビューに答えてくれることになっていた。島津くんの感想がこれだ。

「自分もこどもの里に小さい時からずっと行っていて、夜回りにも何回か参加していて、小さい頃はなんのためにこんなことやってるんだろうと思っていたけど、今考えたら、その少しの活動で野宿の人も頑張れるんやって思って、あと1回でいいから夜回りに行きたいと思った」

「釜ヶ崎」についての学習は、時期的に重なったカタールのFIFAワールドカップから始まった。プリントでは、開催になぜ、抗議の声が上がったのかと生徒に問う。それはカタール政府が性的マイノリティの存在を法律で禁止していることと、サッカースタジアム建設に関わった多数の外国人労働者が過酷な労働環境で亡くなり、賃金が支払われなかった事実があるからだった。

では、日本ではどんな人たちが建設労働者として働いてきたのかと、釜ヶ崎へと導く。生徒たちは釜ヶ崎の動画を見て、日雇い労働の実態を学んで行った。

釜ヶ崎にはさまざまな理由で、全国から単身の労働者が集まり、ほとんどが1日から1ヶ月未満の契約の日雇い労働を行い、簡易宿泊所(ドヤ)を住まいに暮らしている。現在は1万人が釜ヶ崎にいると推定されるが、大阪万博開催当時は約3万人がいたという。動画の中で、日雇い労働者が人間扱いされず、抗議をすると暴力団に殴られるなどの現実が語られる。

なぜ「西成は怖い」というイメージができ上がったのか。それが、「暴動」だ。仕事が無くなれば切り捨てられるという、労働者の権利すら守られない理不尽な日常を送る人たちの間で暴動は起きた。それも全て、理由があってのことだった。1度目は、労働者がひき逃げにあった時に警察が救急車を呼ばず、ムシロをかけて放置したことへの怒り。2度目は、警察署員が暴力団から賄賂をもらっていたことへの抗議としての暴動だった。このように暴動へ至るには理由があったにも関わらず、暴動シーンの映像だけを切り取ってマスコミが報じたことで、全国に「西成は怖い地域だ」というイメージがついた。

中村は、生徒たちに尋ねて行く。

「あいりんのやつ、どう思う?」

「めちゃくちゃ狭い部屋に住んで、朝4時から働いてんのに、給料が安くて……」

「ニュースの人たちが、悪意のある切り方をしてて」

「日雇い労働者は人間扱いされてこなかった」

「ちょっとは思い出した? じゃ、今日のワークに移るよ」

貧困のスパイラルを断ち切るために何をすべきか

ここから2学期最後のテーマ、「貧困のスパイラル」の学習が始まった。中村が説明する。

「貧困って、親の世代の貧困が子どもの世代に連鎖され、出るのが難しい貧困スパイラルになってしまうわけで、なぜ、これが起こってしまうのか、これは班で考えるよ。プリントの空欄に、語群から当てはまるものを入れて、完成させて」

生徒たちは5〜6人の班になり、「低い収入」「小学校に行けない」「安定した仕事に就けない」「低学力になる」「勉強できる環境がない」「教科書が買えない」「読み書きができない」「高校への低い進学率」の語群を付箋に書き、空欄に当てていく。

これが完成した、貧困のスパイラル図。貧困は三世代前の祖父母世代から始まり、生徒たちの年代をも飲み込もうとしていることが図からわかる

「先生、むずいよ」の声もあるが、それぞれが落ち着いて取り組んでいる。私も挑戦したが、じっくり考えないといけない問題だ。

スパイラルは、祖父母の3世代前から始まる。「貧困」ゆえ、教科書が買えず、小学校に行けないため、読み書きができず、安定した仕事につけないため、低い収入しか得られず「貧困」となる。次が、親の世代だ。「貧困」ゆえ、勉強できる環境がないので、低学力となり、高校への低い進学率につながり、安定した仕事に就けず、低い収入しか得られず「貧困」となる。それはさらに、生徒たちの世代へと続いていく。

ああでもないこうでもないと付箋を移動し、班の意見をまとめて行く。それは、貧困の世代間連鎖の構造を考え、学んで行く行為に他ならない。最終的に、「なるほど」と納得の解答に、生徒たちは辿り着く。

ではこれまで、スパイラルを断ち切るため、日本社会がしてきたことは何か。「義務教育の無償化」、「教科書の無償化」、「公営住宅の建設」、「住宅手当」などをあげ、最後に「高校への低い進学率」について、プリントはこう締めくくった。

「西成区にはかつて普通科高校がありませんでした。そこで『地元に普通科高校を』と地域の人たちの4万人の署名で、1974年に設立されたのが(西成高校)です」

この日の感想のテーマは、西成学習を通して考えたことだ。

「私はずっと西成に住んでいるので、あまり怖い所というイメージはなかったのですが、西成について勉強して行くうちに怖いと言われる理由などを知ったけど、私はそうは思わなかったし、ホームレスの方達に暴力を振るう人がいると聞いた時には、暴力をふるう人たちの方が怖いと思いました。私はより西成について知れて学べて、とても理解が深まったし、この学習で西成をより好きになりました」

「西成という地域についてや、貧困の問題を学び、まだまだ日本には課題があるんだなと感じました。こうして学習していくことで、わたしたちが向き合っていかなければならないことを伝えて行くのはとても大切なことだと思います」

「いろいろと学びましたー! 自分の知らないことがいっぱいで、この時間で知れました!」

「すごくうまくつながってしまっていると思います。今やっと、勉強の大切さがわかった気がします。勉強頑張ります」

反貧困学習を主導する教諭、肥下彰男は2007年に初めてこの学習を行った時、生徒たちから「先生は私たちのこと、大人扱いしてくれた」と思いもしない反応を得た。

「『子どもだから、こんな話はせんとこう』ではなくて、生のこと、今起こっていること、生活のことをちゃんと話して行くことは、あの子らにとって大人扱いをしてくれることだった。今までそうされてこなかった、知りたいのに、見えなくされていたんだと」

今年の1年生もそうだった。単なる知識を得るだけの勉強ではなく、自分達につながる問題だからこそ、学ぶ楽しさを知ったのだろうか。そして問題の構造を知ることで、生活の延長では見えてこない、より広い世界へと視界が広がったのだ。

「高校の勉強は楽しいし、西成はめっちゃ住みやすいですよ」

1学期に各政党へシングルマザーの質問状を送った際、れいわ新撰組のみ回答が返ってこなかったと知った時、「信じられん、れいわ。オレたちのこと、バカにしてんのか!」と私の横で私をガン見して、怒りを伝えてくれた男子が、島津くんだった。

島津佑都くん、16歳。肥下の「島津くんなら、話すかもしれんな」という言葉に希望を託し、学校からインタビューの依頼を伝えてもらったところ、即答でOKだったという。それも肥下曰く、「なんか、うれしそうやった」らしい。

教室でもぽんぽんと積極的に発言し、友達思いのムードメーカー的存在だった島津くんに、放課後、空き教室で話を聞いた。

島津佑都くん。住んでみると、西成は住みやすい。天王寺とか、全部チャリで行けるし、スーパーもいっぱいあるし。偏見持っている人は一度、西成に来てほしい。やっぱ、来ないとわからない良さがあるから

5歳の時、宮崎市内から父、母、兄の一家四人で西成へやってきた。父の兄が西成で飲食店を経営していたため、両親もまた西成で飲食店を開くことにしたのだ。西成警察署の通りに面した、「こどもの里」の裏手に当たる場所が店舗兼住居となった。

こどもの里へ遊びに行くようになったのは、いとこが行っていたからだ。こども夜回りにも、何回も参加した。

「最初はこんなことして、おっちゃんが怒ってくるんじゃないかと思ったけど、実際はみんな心あたたかくて、『会社が倒産して、年も年やから、雇ってくれるところがなくて』とか、ちゃんと人生の話をしてくれるから、めっちゃ勉強になった。『おっちゃんみたいには、ならんようにしや』って言ってくれて」

小学校は楽しかったが、中学校で不登校になった。

「勉強めんどくさいし。もう、ついて行かれへんから、ガチ勉強に。もう、いいやって諦めて。中学校、めっちゃ、クソみたいな先生ばっかやった。難聴の子、バカにして。それで先生と気合わんから、行かんかった」

高校には行きたいと思い、西成高校なら基礎ができていれば入れると聞き、死ぬほど勉強した。入学後は停学になった時以外、1日も休んでいない。今は学校が楽しい。それは友達のおかげでもあり、1年5組の2人の担任のおかげだと話す。20代後半の中村優里と、中根豊(63)だ。

「担任の2人はずば抜けていい人やし、心を許せるって言うか、素が出せる。男の先生はオレのこと、子どもやと思って接してくれるから、オレらもお父さんと思って接してるし」

西成高校の反貧困学習は、どうだったのか。

「被差別部落のこととか、この辺の問題とか、まだ差別があると新しいことが学べて結構良かった。シングルマザーってこうなんだってことも、勉強できた。政治家とか、質問状を送るまでは市民の声とかは全部無視してんのかなって腹立つなと思ってたけど、実際、手紙を送ったら、ちゃんと目を通して答えも返ってきてるから、ちゃんと街のためにもしてくれてんねんって思って、うれしかった」

自分が住む釜ヶ崎についての学習はどうだったのだろう。

「見えてないところも多かった。住んでいても、ホームレスのおっちゃんとか、いじめられてんのも知らんかったです。西成が差別されてんのは知ってたけど、外からレッテルを貼られてるっぽい。おっちゃんたち、みんな、いい人やって。オレがちっさい時、酔っ払いのおっちゃんに絡まれとったら、ホームレスのおっちゃんが助けに来てくれたりしたから、ちゃんといい人ばっかやし。宮崎から来て、ホームレスの人たちのおかげで、ここは怖くないんやって思えたから。ここは住んでみると、めっちゃ住みやすいですよ」

西成高校に入学したことで、島津くんは“暗黒の中学”から脱出できたわけだ。

「ほんまに今、めっちゃ、今までの人生で一番楽しいと思ってます。先生たちもいいし、友達もいい人ばっかやから」

「将来の見通しさえ持てれば、頑張れる」

この島津くんの思いこそ、校長の山田勝治が目指すものだ。

「“勉強嫌いが、好きになる学校”というのが、うちのコンセプトなんです。学ぶということが苦手でも、学校は楽しいと思ってもらえるような学校作りをしないといけないと思っています」

西成高校に最初に赴任したのは、2005年。教頭として4年、2009年から校長を4年間務め、別の高校に赴任して4年後に定年を迎えた。2017年から再任用で西成高校へ戻り、以降6年間、校長を務めている。

西成高校校長、山田勝治。学ぶということが苦手でも、学校は楽しいと思ってもらえるような学校作りをしないといけない。“勉強嫌いが、学校好きになる学校”が、今の西成高校のコンセプト。ゆえに、“学びは、もっと緩く”

「『任期付き校長』というのがあって去年、試験に合格して、25年3月31日まで辞令があるんです。これにまだ2年、オプションが付くんですよ。うちでやらせてもらえるなら、2026年度の終わりまではやらんかなと思っています」

再任用では普通、前に校長をやった学校には戻れないらしいのだが、なぜか例外となった。

「エンパワメントスクールになるところまでレールを引いたんですけど、僕が移った後に、いい学校になろうと思って厳しい生徒指導を始めたんです。厳しい生徒指導で見た目をよくしようと、“商品管理”しはるわけです。で、生徒との信頼関係がぶちぶちに切れるわけですよ。エンパワメントスクールで退学を減らそうと思ったのに、退学は減らなかった。それで戻ってきてーとなって、教育委員会としては、火中の栗を拾う人になっているので」

長く校長職にいるからこそ、できることがある。山田は今、“実験的な新しい学校作り”に取り込んでいる。それが、楽しくてしょうがない。

「やっぱり、いろんな社会的排除をされてきた子たちが集まってくる学校なわけだから、この子たちをちゃんと受け止められる学校にしようと。だから、30人学級なんですよ。始業時間を1時間遅くして9時45分始まりにしたのも、うちの子たちは家計を助けるとか修学旅行の積み立てを作るために、夜遅くまでバイトしている子が多いから。それと、定期テストを止めました」

さりげなくサラリと語るが、なんと思い切った改革だろう。だけど定期テストを廃して、どのように評価するのだろう。

「定期テストが無くなっただけで、確かめテストはあるんです。でも定期テストって、知識理解をメインに、どれだけ覚えているかを問うてるわけでしょ。基本的にそれが学力だって、今までずっと言われてきたけれど、それじゃないと思っているんです。どれだけ覚えているかで測れば、早くからそうやって学習できる環境のある子の勝ちなんですよ。うちの子らはもう、負けてるわけです」

確かに今まで問われてきた学力は、テストの点数で評価されてきた。それこそ、もうずっと昔から。入試だって、それで選別されてきた。しかし、山田は大事なのは、そこではないと言う。

「もちろん、四則計算とか言葉を操るとか、最低限のことは覚えておく必要があるやろなとは思うけど、7×8=56ぐらいは覚えててもいいけど、『ヒッタイト』とは何かって説明できなければダメかって、そんなことじゃない。困った時に学ぼうとすることを、習慣づけるプログラムが作れないかと思っていて、それが学習の力じゃないかと思うんです。その学習力こそが、学力なんじゃないかと。あんまりいっぱい覚えていること、問うてもしゃあないよねって言うのが、今、思っているところです」

そのためには不登校ではなく、学校に出てきてもらう必要がある。そのためにはどうするのか。西成高校は不登校の子たちの学び直しの場である、エンパワメントスクールでもある。彼らはいろんな社会的排除の結果、不登校となっているわけだ。

「この子たちが学校へ出てきて集団で学ぶ、共同で学ぶということをやりたいんです。文科省は『個別最適化された学び』としてギガスクール構想のもと、一人一台端末を持って、その子に合ったものがダウンロードされて、それを学ぶという方向を提示してますが、そうやって学べるのは、そこにある知識だけなんです。否定はしませんが、本筋ではない。そうではなくて人と話すとか、人と対話するとか、そういうのがないとあかんのかなと思うのです。集団で、主体的な対話の中で学ぶというのが、今、要るんじゃないかと」

だから、“学びをもっと緩く”が、西成高校のコンセプトになる。知識量を問うことが、学力を測ることではないという立場に明確に立つ。

反貧困学習については、どう思うのだろう。

「2007年に肥下くんが『やっぱり西成の、地元のことせなあかんよな』って反貧困学習をやるというから、なるほど、やろうって思いました。これまでの人権学習は自分探しのようなものばっかりで、生徒の現実はそこにはなかった。しんどいところ、困っているところから話が始まらないと、自分のことにはならない。そこで、生徒と対話が初めてできたんです。飯食えてないことに、やっと教員が気づいたわけです」

一番大きかったのは、生徒たちが「将来へ、何の見通しも持てていない」ことに気づいたことだ。だから生徒たちは不安で、イライラしていた。厳しくても見通しさえ持てれば、頑張れる。反貧困学習はそのために、生徒たちと対話していく教材であり時間となった。

「これが可能やったのはやっぱり、肥下って人がね、現場をよく見ているからなんですよ。生徒と社会を見ている。子どもを通して、社会を見ているからできたことで、子どもらの生のところからスタートするという感覚を持っている。なかなかできないですよ、あんな授業。同じ教材を、他の学校でやっても無理だと思います」

毎回、反貧困学習の授業で生徒たちが生徒たちなりに、真剣に考える姿を山田も目の当たりにしてきた。

「こんなん、ちょっとしたことを覚えるより、よっぽどいいでしょ。この価値が、わかるかどうかなんです。こんなことやって、何の意味があるのかって思う人には、何の意味もない授業なんで」

今回、反貧困学習“バージョン2”を1学期、2学期を通し取材をして見えたことは、生徒たちは毎回、テーマを直視して、自分の中できちんと考えようとしている姿だった。当事者性ももちろんあるが、そうでなくてもシングルマザーのこと、野宿者のこと、日雇い労働者のことを真っ直ぐに考えようとしていた。その上で、差別を温存する社会のおかしさに、鋭く批判の目を注いでいた。

「子どもら、正味、考えてますよね。考えるってことは大事だっていうことです。うちの子たちは友達の現実を知ることで、世界を知ることができるわけです。障がいの子、不登校の子、LGBTQの子、虐待を受けている子、部落の子、外国ルーツの子、それぞれがいろいろな社会的排除の中で小学校、中学校で学習がうまくいかなかったので、もう一度やりたいと言ってここに来てる子たちでしょ。もう一度やりたいという共通項と、それぞれの当事者性とがあるので、そこでの学びはすごくカラフル。すごいなと思うのは、子どもら、めっちゃフラットで、障がいがあろうがなかろうが、あかんもんはあかんって喧嘩しますからね」

だから“学びはもっと緩く”、人生を幸せに生きるために必要なノウハウは、知識の多さにあるのではないというのが山田の持論だ。

「知識量を問うよりも、もっと大事なことが世の中にはあるので、そういうことを身につけて行く必要があるのではと僕は思います。僕の役割は、やっぱり子どもたちが元気になるように励まして行くことなんで、どこ行っても、話しますね。勉強は苦手でも、楽しいと思ってもらえるような学校作りをしないといけないと、改めて思っています」

2024年度から西成高校は、さらに進化を遂げるらしい。新しい学校づくりに携われることが本当に楽しいと山田は言う。

「これを面白く思わせてくれる、生徒や先生がいるんですよ。だから、今、楽しくて」

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