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なぜ日本の音楽アーティストは「パワハラ」「セクハラ」「いじめ」「虐待」といった社会的メッセージの発信が少ないのか?

集英社オンライン / 2023年8月13日 17時1分

日本屈指の“社会派ラッパー” Kダブシャインが、アメリカと日本のヒップホップシーン解説を通して、日本にはびこる自己責任論について語る。『Kダブシャインの学問のすゝめ』(星海社)より一部抜粋・再構成してお届けする。

#1

日本人ラッパーがあまり書かないリリック

かなりの確率でアメリカのラッパーは、ゲットーの住人たちに共感を示す。

若くして年上の悪い男と付き合って子供ができちゃって、自分の将来を棒に振らざるを得ない女の子が子供を食べさせるために売春することになったり、仕事が無いのでドラッグを売らなきゃならなくて危険なことに巻き込まれ、死んでしまう子がいた。

「そんな無念な人生ってあるかよ!」という感情をラップしていた。


まあ、ラップに限らず、日本人はそういう歌詞をあまり書かない。日本にだっていくらでも問題はあるはずなのに。パワハラ、セクハラもあるし、いじめも虐待も慢性的にあるのに、だ。「自分はそういう境遇にいないからわからない」なんて言っていていいのか。それこそ、エンパシーが足りないんだと思う。想像できなければ、芸術家や表現者である意味がないじゃないか。

アメリカでは、日常においてはエンパシーとともにコンパッションという言葉もよく使われている。これも「思いやり」「共感力」「哀れみ」という意味の単語で、自分で体験していなくても、情熱を持って心を寄り添わせるという意味で使われている。

いいラッパーであれば「こんな可哀想な話ってないよね」「そういう悲しい現実をみんなで認識しようよ」というメッセージの歌を最低でも一つぐらいは出している。それはなぜなら自分のリスナーはどういう人たちなのかということを考え、彼ら彼女らファンたちが共感し、「自分たちのことをわかってくれてるな」と安心できるような曲を作って聴かせたいと考えるのがごく自然だからだ。

これは決してファンに対して打算的ということではなく、ファンでいてくれることへの感謝と、その気持ちへのお返しだ。歌によるコミュニケーションなのだ。

日本の音楽アーティストに欠けているもの

なぜか日本の音楽アーティストたちはラップに限らず、そういったメッセージを発信する人が少ない。すすんで世の中の問題にコミットしない。これもやはり日本特有な気がする。ここでもまた公の精神に欠けているのだろう。

パブリックに奉仕したいって気持ちが見えない。やっぱり、自由の「自」が自分の「自」だからよくないんじゃないかと思える。または音楽の「楽」が文学の「学」でなく「楽しい」になっていることもまたもう一つの理由かもしれないと邪推したくなるが、これについてはまた別の機会に述べたい。

日本にはびこる自己責任論というものもまさにその延長にあるのだと思う。誰もが自分の自由を追求した結果は自分の責任になるということだが、日本の自己責任論には、失敗した人に共感する姿勢がまったくない。

自分の自由を追求したいという気持ちは誰でも同じなのだから、その結果、誰かが困っていたら、相手の立場になって応援するのが当然ではないだろうか。それぞれの個人に自由が担保されていることが大前提なのに、「自分だったらそんなことしない、やったやつがバカなんだよ」という冷めた考え方をするから自己責任論になる。「自分でやったんだから、自分で責任取れ」「自業自得」と突き放す。

「あいつらは自分の自由を拡大解釈して好き勝手にやりすぎたんだ!」という発想になってしまうのは、心が貧しいと思う。だからセカンドチャンスを与えようという風潮がないのだ。

それか、自分たちはいつも我慢しているという意識があって、その同調圧力に従わない不届き者は村八分にしてもいいという感覚なのか、みんなでよってたかって石をぶつけるようなことをする。

それがエスカレートして、例えば最近のキャンセルカルチャーが過去のプライベートな会話の中での失言をわざわざ発掘し、徹底的にその責任を取らせたがるのも、見ていてあまり気持ちのいいものではない。

人を見るときに一番重要なのは…

最後にこれだけは書いておきたいのが、人にはそれぞれ「価値」があるということだ。たいていの人が、誰かの「価値」というと、その人が今の立場でどんな役に立つのか、何をたくさん持っていて、どれくらいの資産や財産を所有しているか、それを試算して、その人の「価値」を決めている。

しかし人の値打ちとは本来、その人が何も持っていなくても、人のために何ができるかということだ。それこそがその人の価値であるべきだ。お金もない、権力もない、そういう状態でも他人のためにどれだけ誠実に、見返りを求めず尽くすことができるかがその人の本当の価値ではないか。それこそがその人の魅力であるべきだ。

この違いを理解するには、人を見る目を養わなくてはいけない。人を見るときに一番重要なのは、肩書きや財産ではなく、その人が人間としてどれだけ魅力的かということなのに、最近の世の中ではそのことが軽視されている。その違いを知る機会のない人は、正直、可哀想だなと思っている。人の価値とは深いものなのだ。

文/Kダブシャイン

『Kダブシャインの学問のすゝめ』(星海社)

Kダブシャイン

2023年6月21日

192ページ

¥1,485

ISBN:

978-4-532626-8

洗練された文学的な「韻(ライム)」表現と社会的な「詞(リリック)」の世界を表現し続ける、日本屈指の“社会派ラッパー”が、日本の教育制度に、そして現代社会に、物申す

ーーーーーー
自分が自分であることを誇る
そういうヤツが最後に残る
――Kダブシャイン「ラストエンペラー」より
ーーーーーー

稀代のラッパーが提言する、個人の自立と日本の教育大国化

真実が軽視される議論の横行や広がり続ける格差と貧困など、目を背けることができない複雑な問題を抱えた日本の現状を憂うのは、30年にもわたり社会問題をラップで訴え続けてきた稀代のラッパー、Kダブシャインだ。この状況を打破する最善策は、新たな教育制度を根付かせることだと彼は主張する。十代で渡米した彼は、差別で苦しむ黒人達がラップでその苦境を打開し、世界を変える様を目撃した。その原動力は「教育」にありーーそう確信したKダブシャインは、本書に自らの経験に基づく「学問のすゝめ」を書き記した。日本が世界最高レベルの教育を提供できる国となり、新しい教育で社会が変わることを切に願う。

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