『ゴールデンカムイ』に登場するアイヌの女性は、なぜ顔に入れ墨をしていたのか? かつては日本全体に「入れ墨文化」があった!
集英社オンライン / 2024年3月16日 10時1分
漫画『ゴールデンカムイ』のヒロイン、アシㇼパの顔になぜ入れ墨がないのか。そもそも、アイヌだけでなく日本全体に「墨文化」があったそうで…。『ゴールデンカムイ』からアイヌ文化の徹底解説を行った究極の解説書、中川裕『ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化』(集英社新書)より一部抜粋、再構成してお届けする。
その理由は、実は「よくわからない」
『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』(68~69頁)では、2巻12話で「(アシㇼパは)もうすぐ入れ墨すべき年であるのに嫌だと言う」とフチ(註:アシㇼパの祖母)が言っている場面を紹介しながら、それより40年近く前の1871年にはすでに入れ墨の禁止令が出ていて、アシㇼパが入れ墨をしたら法律違反なのだという話をしました。
でも実際には、アシㇼパが1890年代の生まれだとして、それより後に生まれた人でも入れ墨をしている人は少なくありませんでした。私がお話を聞いてきたおばあちゃんたちはだいたい1900年前後の生まれでしたが、その中にも入れ墨をしている人が何人もいました。法律で禁止されたからと言って、長年の風習というのはそうやすやすと消え去るものではないのです。
この入れ墨は何のためにしていたのかというのはよく訊かれる質問なのですが、よくわからないというのが正確な答えでしょう。
ただ、昔、私が中学生ではじめて北海道旅行をした時に、アイヌの女性が和人にかどわかされないように入れ墨を入れてわざと醜い顔にしたのだと、バスガイドさんが説明したのを聞いた記憶がありますが、それはまったくの作り話だと思います。
入れ墨をするのはアイヌだけではない
そもそも、入れ墨はアイヌの専売特許ではありません。琉球(りゅうきゅう)の人たちもハジチと呼ばれる入れ墨を手の甲にほどこしていたのは有名な話ですし、台湾先住民の「紋面(もんめん)」、ニュージーランドのマオリ族の「モコ」など、入れ墨文化は東南アジアから南太平洋にかけて広く広がっています。
英語のタトゥーという言葉自体が、タヒチ語のタタウから来ているという説もあります。北方に目を向けても、アリューシャン列島に住むアレウトや、シベリア最東部のチュコト半島に住むチュクチにも、顔に入れ墨をする習慣があったことが知られています。
それどころか、日本列島の住民に関する最古の資料といわれる「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」には、次のようなことが書かれています。
(倭の地の)男子は成人・子ども(あるいは、身分の上下)の区別なく、みんな、顔面や身体に入れ墨をしている。(中略) 夏后(かこう)の少康(しょうこう)の子が会稽(かいけい)に(王として)封ぜられたとき、みずから髪を切って身体に入れ墨をし、(身をもって)それで蛟龍(みずち)の害を避け(るように教え)た。(だからそれに倣って)今の倭の海士(あま)たちは、巧みに水に潜って魚や蛤(はまぐり)を捕らえ、身体に入れ墨を施してそれによって大きな魚(鮫など)や水鳥(海鷲など)の襲撃を厭(おさ)えている。(ほんらいはそうだが)その後は、しだいに飾りとなっている。諸国の入れ墨はそれぞれ異なっていて、ある者は左に、ある者は右に、ある者は大きく、ある者は小さく施している。尊いか卑しいかで、差がつけられている。
(松尾光『現代語訳 魏志倭人伝』KADOKAWA、2014年)
ということで、彼ら(倭人)が和人の先祖だったとすると、男女の違いはありますが、和人もかつて入れ墨をしていたのであり、日本列島を含んで、太平洋の人々は北から南まで入れ墨文化を持っていたのです。だから「なぜアイヌは入れ墨をしていたのか?」より「なぜ和人の先祖は入れ墨するのをやめてしまったのか」という理由を追求した方がよさそうです。
日本人はなぜ入れ墨をやめたのか
その答えはおそらく漢文化の影響です。「魏志倭人伝」で倭人の入れ墨のことを興味深く書き残しているのは、それを書いた漢人にはその習慣がなかったからに違いありません。
彼らにとって入れ墨は刑罰のひとつであり、入れ墨を彫っているということは罪人であることの印であったのです。その文化が日本列島に流れ込み、和人は自分たちの伝統文化だったもののひとつをすっかり忘れてしまいました。そして周囲に残る入れ墨文化を、奇異なもの、野蛮なものとして見るようになっていったのです。
ところで、アイヌの入れ墨はおもに女性がするものですが、27巻269話には男性の入れ墨の話が出てきます。アイヌの埋蔵金のありかを知る唯一の生き残りの老人、キムㇱプの両手の親指のつけねにほどこされた入れ墨です。これは、「狩りがうまくなるようにと、右か左かどちらかの手に」彫ったといわれるものですが、キムㇱプはそれを両手に彫っていました。
これは、『アイヌ民族誌』(135頁)にほんの数行書かれていた記述に基づいています。この記述の著者自身、1937年ごろに屈斜路(くっしゃろ)で一例見かけただけという、非常に稀な事例です。野田先生はそれを物語に見事に組み込んでみせました。
埋蔵金のありかを探していた7人のアイヌたちは、鶴見中尉(註:大日本帝国陸軍第七師団に所属する情報将校)がウイルク(註:アシㇼパの父)の正体を明かしたことによって疑心暗鬼に陥り、仲間割れを起こして殺し合い、ウイルクひとりを残して全員死んでしまいます。
ウイルクは自分も死んだと見せかけるために、自分自身も含めた全員の顔の皮をはぎ取って入れ替え、その場にいたことにはなっていなかったキムㇱプの顔の皮をかぶって逃亡するという、想像を絶する行動に出ます。
ところが鶴見中尉は、実はそこに8人のアイヌがいたことを察知。ウイルクは舟で支笏湖(しこつこ)を渡ろうとするところを追いつかれて舟を沈められ、鶴見中尉の手から逃れるために自ら監獄部屋に出頭して、典獄・犬童四郎助(いぬどうしろすけ)の囚人となります。「のっぺら坊」誕生の瞬間です。
一方、キロランケは、7人のアイヌの遺体の中に両手に入れ墨をしたものがあったということから、キムㇱプがその遺体のひとりだったという噂を聞いて、ウイルクがのっぺら坊ではないかという結論に達し、変わってしまったかつての同志を殺そうと決意することになったと、ソフィアに手紙で書き送っていました。
はてさて大変恐ろしい顚末(てんまつ)なのですが、囚人たちの背中に入れ墨を彫った顔のない「のっぺら坊」のことは、すでに第1巻から出てきたはずです。野田先生はその時点でこんな展開を考えていたのでしょうか。考えてみると、そっちの方が恐ろしい話ですね。
文/中川裕
『ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化』
中川裕
2024/2/16
1,650円
560ページ
978-4087213027
累計2700万部を突破し、2024年1月に実写版映画も公開された「ゴールデンカムイ」。同作でアイヌ文化に興味を抱いた方も多いはずだ。本書はそんな大人気作品のアイヌ語監修者が、物語全体を振り返りつつアイヌ文化の徹底解説を行った究極の解説書である。
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