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佐々木麟太郎の17年前に“高卒で渡米した”球児は現在…「4人の先駆者」のキャリアを辿る

日刊SPA! / 2024年3月12日 8時51分

加藤の場合は、高校卒業後の若手の頃に体型や体力に合った基礎練習をしていくなどを含めた下積み期間がなかったことが痛かった。たらればにはなるが、怪我の多い現状を見ると、日本のプロ野球を経験してからでも、遅くはなかったように感じられる。

◆日本を経由せずにメジャーリーガーになった田澤純一

社会人野球で活躍し、ドラフト前にさまざまな話題を振りまいたのが、田澤純一。現在は、かつて海を渡る前に所属していたENEOSに復帰しているが、れっきとした元メジャーリーガーである。

2008年にボストン・レッドソックスに入団。アマチュアでプレーしていた選手では、日本のプロ野球やマイナー契約を経ず、メジャー契約を結んだ初の日本人選手に。メジャーデビューした翌年から、着実にキャリアを積み重ねる。第一線で活躍し続け、特に、シーズンはもちろん、ポストシーズンも活躍し、上原浩治(元・読売ジャイアンツ)とともにワールドシリーズ制覇に貢献した2013年の姿は鮮烈だった。

この田澤の活躍があったからこそ、NPBを経由せずともメジャーリーグに挑戦できる土壌ができたのは間違いない。時代が違えば日本代表としてマウンドに上がっていたはずだ。

◆高校卒業後に渡米していた鷲谷修也

斎藤佑樹(元・北海道日本ハムファイターズ)を擁する早稲田実業と、3連覇を狙っていた駒大苫小牧で決勝を争った2006年夏の甲子園。当時、駒大苫小牧のエースだった田中将大(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)とチームメイトだったのが鷲谷修也だが、実は高校卒業後に渡米している。

半年間英語を勉強した後アメリカ・カリフォルニア州のデザート短大の一般入試を受けて合格し、野球部に入部。リーグ戦で活躍したことにより、メジャー球団から調査書が送られてくるようになる。その結果、2008年のメジャーリーグのドラフト会議で42巡目(全体で1261番目)でワシントン・ナショナルズから指名を受けるが、短大から大学への編入を考えていたため辞退。翌年も、14巡目(全体で412番目)で再びナショナルズに指名され、「オフに北海道に戻って多くの人が応援してくれていることを知り、チャレンジを決めた」と意気込んで契約。しかし、2010年にルーキーリーグ開幕前に解雇され、日本に帰国して石川ミリオンスターズでプレーしたが2011年に現役を引退した。

現役引退後は、渡米した経験などを活かし、2011年に上智大学に編入し、2014年に卒業。2014年には、三井物産に入社し、現在は商社マンとして活躍している。

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