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マック鈴木が「NPBを経由していない初めての日本人メジャーリーガー」になれたワケ。グラブも持たず渡米したのに…

日刊SPA! / 2024年4月4日 15時52分

 そして、朗報が届く。

「ぶっちぎりの最下位で迎えたその年の最終戦で、団さんから『鈴木、お前投げてみるか?』と、いきなり言われました。たった1イニングだけの登板だったけど、一度手放した《野球》を、再び自分の手に取り戻すことができたのが自分でもわかりました」

 17歳になった鈴木の胸の内に「もう一度野球がしたい」、「自分の可能性を試してみたい」という思いが芽生える。メジャーリーガー「マック鈴木」の誕生が近づきつつあった。

◆ヤクルトのユマキャンプで芽生えた思い

 1993年には、団の力添えにより、野村克也が監督を務めるヤクルトのユマキャンプに参加することになった。

「川崎憲次郎さん、伊藤智仁さん、そして石井一久さん、彼らのボールはすごかった。このとき、プロってすごいな、自分ももっと練習しなければ、という思いになりました」

 このとき、池山隆寛や広沢克己(のち廣澤克実)ら、当時の主力打者を相手に紅白戦で登板するという話が持ち上がったが、「野球協約に抵触する恐れ」があり、「もしも抑えられたらプロの面目が立たない」との理由で実現しなかった。

「仮に打たれたとしても、抑えたとしても、絶対に後にいい思い出話として盛り上がったでしょうね。あのときは肩も壊れていなかったから、投げていればどんな結果になったのか楽しみでしたけどね」

◆メジャーキャンプ初日の悲劇

 1993年9月、彼はシアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだ。トロント・ブルージェイズやアトランタ・ブレーブスからもオファーがあった。マックの底知れぬ能力はメジャースカウト陣にとっても大きな魅力となっていた。

 しかし、満を持して挑んだ1994年スプリングキャンプ初日、「事件」が起こった。

 日本のプロ野球を経験しない初めてのメジャーリーガーとなる可能性を秘めた18歳の若者。その動向に密着するために、日本から100人以上のマスコミが大挙していた。満足な自主トレが行えず、コンディションに不安の残るなかマックはブルペンに入った。

「いきなり、当時のマリナーズのエース、ランディ・ジョンソンと一緒のA班でブルペン入りしました。最初は、軽く投げればいいか、と考えていたのに、つい思い切り投げたら、肩を壊してしまって……」

 周囲の注目が集まる中で、18歳の少年は右肩に起きた異変を誰にも打ち明けることができなかった。だましだまし投げていたものの、5月にはまったく投球できなくなり、その年のオフに内視鏡手術を受けることになってしまった。

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