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マック鈴木が「NPBを経由していない初めての日本人メジャーリーガー」になれたワケ。グラブも持たず渡米したのに…

日刊SPA! / 2024年4月4日 15時52分

「今から思えば誤ったトレーニングで可動域が狭くなり、頭でイメージすることと、実際の動きとのズレが生まれたまま投げたのが原因でした。この日以来、引退するまでずっと右肩が万全の状態に戻ることはありませんでした」

◆マイケル・ジョーダンとの邂逅

 このころマックは、NBAの生きる伝説であり、神様でもあり、当時は2AでMLB挑戦中のマイケル・ジョーダンとの邂逅を果たしている。

 ある日の試合において、乱闘騒動が起きた。相手ベンチにいたジョーダンがマウンド上のピッチャー目がけて、真っ先に飛び出してきた。

「もちろん僕も、味方ピッチャーを助けるためにベンチから飛び出しました。すると、ジョーダンがマウンドで勝手にコケてしまったんです(笑)」

 初めは何が起きたのかわからなかったが、そのシーンをたまたま撮影していたテレビクルーの映像によって事態の詳細が明らかになった。

「転んだところにちょうど僕のヒザがあって、ジョーダンはアゴを痛打していました。僕としては蹴ろうとしたわけでもないし、何が何だかよくわからない状態。乱闘後、何かヒザが痛いな、って思っていたぐらいですから(笑)」

◆アメリカに渡って4年11か月、ついにメジャーのマウンドに

 1995年、全米ではメジャー1年目の野茂英雄による「NOMOフィーバー」が沸き起こっていた。忸怩たる思いで臨んだ内視鏡手術、そしてリハビリプログラムは1年に及び、ついにシーズン終盤に1Aで復帰を果たす。肩の痛みは軽減され、球速は取り戻しつつあったものの、どうもしっくりこない。

 今の自分は本当の自分じゃない。本当の自分はもっとすごいボールを投げていたのに。そんな思いが彼の胸の内を支配していく。それでも。

「1996年は2Aでシーズンを迎えました。本来の調子には戻っていなかったけど、先発で起用されてシーズン序盤で3勝を挙げました」

 7月に入ると、当人もまったく予期せぬ朗報が届いた。3Aを飛ばして、いきなりメジャー昇格を命じられたのだ。7月7日、テキサス・レンジャーズ戦、21歳の夏だった。

「2Aからいきなりメジャーでしたから、自分でも驚きました。でも、このときのことは何も覚えていません。やっぱり緊張していたんでしょうね」

 アメリカに渡って4年11か月、ついにメジャーのマウンドに上がったのだ──。

【マック鈴木】
1975年、兵庫県生まれ。1992年に渡米、1Aサリナスで球団職員。1993年9月、マリナーズと契約。1996年メジャー初登板。1999年、ロイヤルズ、’01年、ロッキーズ→ブルワーズ→ロイヤルズ。’02年、オリックスにドラフトで入団

撮影/ヤナガワゴーッ! 写真/時事通信社

【長谷川晶一】
1970年、東京都生まれ。出版社勤務を経てノンフィクションライターに。著書に『詰むや、詰まざるや〜森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)など多数

―[サムライの言球]―

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