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2001夏甲子園優勝投手、4度の手術と波乱万丈の野球人生。「失敗への対策の引き出しを持つことが重要」

日刊SPA! / 2024年6月6日 15時51分

松本:常に気持ちを途切れさせないでいたからこそ、2試合に1回という高い登板頻度をこなせたのですね。

近藤:当時ケガが多かったので、毎日投げられるのかという不安と、でもやってやろうという気持ちで、結果を残すことができてほっとしましたね。

松本:何が結果につながったのですか?

近藤:投球スタイルは変えなかったものの、球種を絞って「全部が勝負球」に変えたことですね。全力で抑えにいくには何がいいかを考え、「一球一球をいかに全力で投げられるか」という基準のもと、「これ」という球種だけを残したのが功を奏したのだと思います。

松本:プロ野球選手として活動した20年ほどの間で、大阪近鉄バファローズ、オリックス・バファローズ、東京ヤクルトスワローズと、3つの球団に所属されましたよね。それぞれの球団では、どのようなことを考えながらプレーされていましたか?

近藤:3球団を渡り歩いてきましたが、チームそれぞれに異なる特徴があり、いろいろな経験ができたと感じています。パ・リーグからセ・リーグに移籍した当時は「パ・リーグは力勝負、セ・リーグは技勝負」という印象を抱いていました。近年は野球のレベルが上がり、セ・リーグもパ・リーグも同じになっていますが、セ・リーグのほうが「野球が細かい」と感じましたね。

 実際、コーチからも「細かいコントロールで外の出し入れ、内の出し入れをしなさい」と指導されましたが、自分にそのコントロール力はなかった。パ・リーグでは「真ん中に投げるから打ってみろ」というスタイルだったので、セ・リーグでもそれを押し通したところ、セ・リーグに同じタイプの投手がいなかったから、それがかえってよかったのかもしれませんね。

松本:どうしたら自分は生き残ることができるのか、分析をして、生き抜く術を見つけられた。自己分析力が非常に高いのですね。

◆怪我と向き合い、メンタルを整える

松本:2試合に1回というハイペースで試合に出場すると、体のケアも大変だったと思いますが、どのように身体の調子を整えていましたか?

近藤:身体のケアは、とにかく冷やさないことを心がけていました。シャワーではなく湯船に浸かるのはもちろん、夏にクーラーが強い部屋にいるようなときは、必ずパーカーなどを着て人より厚着をするようにしていました。一度体を冷やしてしまうと、温めるのに苦労しますからね。

 もちろん食事制限もしていました。積極的に摂取する食材と極力避ける食材を明確に把握し、自身で管理していました。

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