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「吃音のハンデの克服には難関医学部に合格するしかない」吃音を持つ医師が“悩み続けた”半生を告白

日刊SPA! / 2024年11月18日 8時52分

パリの国際学会での発表は、朝8時からの発表でしたので、ガラガラだろうと思っていたところ、私の発表内容はともかくとして、当時、その研究分野で注目されるような内容の発表が集まっていたこともあり、席がほぼすべて埋まり、壁際に何名も立っておられる状況で、おそらく、吃音があるからと、ポスター発表を選択して口頭発表をしていなかったら、留学の道は開けなかったと思います。

◆身体障害者手帳4級を取得

――幼少期には、吃音の学校や支援センターに通い、大学生時代には、アルバイトでお金を貯め、吃音を治すために、スイス・中国など、様々な病院や施設に通った。だが、吃音が治ることはなく、数年前に身体障害者手帳4級を取得することにした。

北村:正直なところ、吃音があるという状態で、自分のことを身体障害者とは考えてきませんでした。身体障害者とは思われたくないです。しかし、どんな治療を試しても、吃音が無くなることはなく、何かと制約があるのは事実で、受け入れるしかありません。歌手の西城秀樹さんのホームドクターだった頃、秀樹さんが脳梗塞後遺症で構音障害が残ってしまい、歌えなくなったと悩まれていた際、吃音の治療でお世話になった先生に相談しましたところ、秀樹さんの症状改善につながり、歌手に復帰なさることができました。脳梗塞後遺症ですら改善したのに、自分の吃音は治らない。そんなときに、ふと、昔の職場の部長に言われた、身体障害者、という一言を思い出し、もしかして、吃音というのは身体障害者に該当する障害なのかと調べたところ、該当することが判明しました。自分の中で吃音を受け入れる為に身体障害者手帳を取得できるのか、申請してみたところ、認定されたのです。

――病気だから、障害だからと立ち止まってしまうことなく、吃音と向き合い続けながらも活路を開いていったからこそ、北村氏の今日があるのだ。

北村氏の略歴
京都府京都市出身。1990年 東大寺学園高等学校卒業、1990年 慶應義塾大学医学部入学。1995年8月マウントアーバン病院(ハーバード大学教育病院)にて総合内科を研修。1996年慶應義塾大学医学部卒業。1996年 慶應義塾大学病院内科学教室にて研修し、2年間の関連病院出向後、2000年 慶應義塾大学病院 消化器内科学教室 助教となる。2004年に1年間の関連病院出向後、2005年より慶應義塾大学病院 放射線科助教となり、放射線診断、乳がんなどの放射線治療に携わる。学位取得後、2011年より、政府助成金で米国(ニューヨーク)Mount Sinai大学 内科 肝臓教室に留学し、2014年より、英国ロンドン大学の肝臓研究所に客員講師として留学する。2015年末に帰国し、がん研究所有明病院健診センター医長などを経て、2019年12月に目黒の大鳥神社前クリニックを開院し、現在に至る。

資格・認定医・指導医医師免許
医学博士
日本内科学会 総合内科専門医
日本消化器内視鏡学会 消化器内視鏡専門医
日本医学放射線学会 放射線診断専門医
日本肝臓学会 肝臓専門医
日本消化器病学会 消化器病専門医
日本脈管学会 脈管専門医
日本核医学会 核医学専門医
PET核医学認定医
肺がんCT検診認定医
放射線取扱主任者(試験合格済)

<取材・文/田口ゆう>

【田口ゆう】
立教大学卒経済学部経営学科卒。「あいである広場」の編集長兼ライターとして、主に介護・障害福祉・医療・少数民族など、社会的マイノリティの当事者・支援者の取材記事を執筆。現在、介護・福祉メディアで連載や集英社オンラインに寄稿している。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1

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