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車の車線変更「絶対にいれないマン」が生まれるワケ。年間走行距離2万kmのゴールド免許保持者が怒りの問題提起

日刊SPA! / 2024年12月22日 15時54分

実際、私も路上駐車車両のために車線変更したら、後ろのクルマにパッシングされたりクラクションを鳴らされた経験が多々あります。(サンキューハザード関係なく瞬間的に)もちろん、相手が私のすぐ横を走っているなど「危険」な状況であれば、クラクションを鳴らすことはあるでしょう。しかし、それらクラクションは、明らかに「入ってきやがって!」という文句のほう。彼らの「入るな」という主張を鵜呑みにすれば、駐車車両がいる車線を走っていた私が悪く、永遠にそこで待機していなければならないということになります。

 結局のところ「入れてやる」や「絶対に入れない」という主張は、交通の円滑さを妨げるわけです。

◆サンキューハザード文化の始まり

さて、サンキューハザードは、もとはトラックドライバー同士のコミュニケーション方法として始まったようですが、それが一般車両にも広まった経緯があります。

私の記憶では、小学生だった1990年代中盤頃に、サンキューハザードを出す一般車をたまに見かけました。それを見た私の家族は「なにこれ!?」とバカにしていたのですが、そんな家族も今や合流等で車線変更をしたら、しっかりサンキューハザードを出しています。

サンキューハザード文化が浸透する前は、譲ってもらった際のお礼は「手を上げていた」といえますが、1990年代に自家用車にスモークフィルムが流行し、手を上げてもお礼が伝わらないようになったのでしょう。それゆえ、サンキューハザードが広まっていったと推測できます。

ハザードランプは、本来緊急時のためのもの。正式な交通ルールではないですが、今やパトカーもサンキューハザードを出すぐらい、文化として浸透しているといえます。

◆サンキューハザードの問題点

しかし、先のように、車線変更は基本的に「する必要」があるからするわけであって、“その時”は入れる側のドライバーであっても、別の機会には、全く逆の立場、すなわち「入れてもらう側」になるわけです。

ですから、「譲らない」というのは論理的に破綻しますし、道を譲るというのは当たり前ともいえる行為。もちろん、教習所でも前のクルマがウィンカーを出したら、入れてあげないといけないと教えています。

それが日本の交通常識では、「仕方がないから入れてやる」「入れていただきありがとうございます」が当たり前のため、車線変更は多くのドライバーにとってストレスなのでしょう。工事による車線規制がされている場合、多くのドライバーは車線をギリギリまで使わず、かなり手前にいる状態で車線変更をしてしまうのも、「入れてもらう」という状態を避けるためだといえます。

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