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【追悼】「昭和が終わった気がする年」2024年に亡くなった著名人・有名人…思い出とともに振り返る

日刊SPA! / 2024年12月31日 15時48分

 そして、前述の『ラピュタ』について。後年、寺田さんはこう振り返っている。

「僕はラピュタを観たことがなかったからね。それはなぜかと言うと、声を録るときに宮崎駿監督とモメてさ」(「テレ朝POST」2022年11月8日)

 作品がヒットしたら嫌な思い出に蓋をし、手のひらを返して代表作としてアピールする役者は多いはず。こんなふうに当時を正直に吐露する寺田さんからは、実直な人柄を感じた。

◆【4月】曙太郎さん

 4月6日、第64代横綱・曙太郎さんが心不全のため亡くなった。享年54歳。

 今では当たり前となった外国人横綱だが、曙さんは“史上初の外国人横綱”である。特に膝を壊す前、両手突きで相手を土俵外に吹き飛ばす大関時代の曙さんはまさしく史上最強。曙さんと貴乃花、若乃花の三力士で優勝決定戦が三つ巴になった93年名古屋場所の盛り上がりは、もはや伝説である。筆者は若貴相手に孤軍奮闘し、圧倒的な強さで優勝をもぎ取った曙さんを応援したものだ。

 そんな彼の歯車が狂いだしたのは、やはり結婚にまつわる騒動だろう。曙さんの将来を心配するテイで結婚相手を紹介しようとする後援会をよそに、ハワイにいる交際相手・クリスティーン麗子さんが妊娠したのだ。

 次第に相撲界での居場所をなくしていった曙さんは、2003年に格闘技界へ進出。同年の大みそかにK-1ルールでボブ・サップと対戦し、1ラウンドKO負けを喫した。しかし、この試合を中継したTBSの瞬間最高視聴率は43.0%を弾き出し、『NHK紅白歌合戦』の視聴率を上回るという快挙を達成! 日本の歴史上、民放が紅白の視聴率を上回ったのは後にも先にもこのときだけである。

 その後、総合格闘技を経てプロレスラーに転向した曙さん。実は、曙というレスラーはその場の空気を敏感に察知するかなり“うまい”選手だった。「相撲上がりはプロレスの水に馴染みにくい」と言われがちだが、曙さんに関してはそれは当てはまらない。非常にプロレス頭の冴えた選手だった。

 2017年の福岡での試合後、急性心不全で緊急搬送された曙さん。37分間も心肺停止状態が続いたため、それからは闘病生活を余儀なくされた。そんな彼のもとをかつてのライバル・花田虎上が訪ねた場面は、晩年のハイライトだ。2018年放送『今夜解禁!ザ・因縁』(TBS系)の企画でお見舞いに来た虎上から「誰だかわかる?」と尋ねられた曙さんは「わかるよ〜」と返答。当時、息子も判別できない状態だったはずなのにである。医師も驚く回復ぶりを見せたのだ。

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