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医学部在学中に年商1.5億円。令和の虎・青笹社長が医師の道を捨て、「動画編集教育ビジネス」を選んだワケ

日刊SPA! / 2025年1月12日 8時52分

水野:飲み会も相当な数行かれていたと聞いていますが……。

青笹:はい、一時は週7回、夜の街で林社長と飲んでいましたね。呼ばれたらすぐ行くスタンスでした。今は週1回くらいに落ち着きましたが、林社長は常にビジネス展開のことを考えているので話は尽きません。

 改めて、YouTubeの持つ可能性は無限大だと感じています。自社事業でお客さまを抱えながら、YouTubeによって知名度を上げる。そして新たな商品やサービスをローンチすると確実に売れていく、ということをこの数年間で体験してきました。

水野:なおかつ青笹社長の場合は、さまざまな方に引き上げられて、ご自身でも必要な投資として資金を出し、実績も出されています。合理的にビジネスを進められていますよね。

◆◆医学部に進学したのは“周りに納得してもらうため”

水野:そんな青笹社長は島根大学医学部卒という異色の経歴を持っていますよね。ちなみに島根大学に進学されたのは理由があったんですか?

青笹:父の実家が島根で、島根のあたりにも親戚がたくさんいたこともあって、島根大学を選びました。大学6年間島根に住んだので、人生の中で一番長く住んだ場所になっています。

水野:どんな大学生活を送られたのでしょうか。

青笹:入学してしばらくは「医師になろう」と思って勉強していましたが、飲み会やバンド活動に明け暮れる毎日になりました。高校までに感じていた窮屈さから抜け出した開放感がそうさせたのかもしれません。

水野:普通の大学生ならいざしらず、医学部だとそれだとまずい気がしてしまいますが……。

青笹:って思うじゃないですか。だけど周りの優秀な友人たちのおかげで、試験対策もできていたので、単位も問題なく取得できていました。

水野:それはすごいですね。そのあたりの合理性は経営者となった今も健在ですね。その後、青笹社長は在学中に起業されます。どんなきっかけがあったのですか?

青笹:自分自身が「勉強だけがアイデンティティ」で生きてきたのに、医学部の友達が抜群に優秀だったので自分のアイデンティティが失われてしまったんです。だから飲み会やアルバイト、バンド活動を通して自己のアイデンティティを探していました。

 そんなとき、NewsPicksを見ていたら「これからはライドシェアが流行る」という記事を見つけました。まさに島根では仲間内でライドシェアのような文化が根付いていたんですね。どこに行くにも車移動が基本で、飲み会があると飲みに行かない友達が送り迎えするという互助関係があったのです。

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