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増殖するタワマンで駅の利用者数が激変し、鉄道会社のビジネスモデルは根底から崩壊…JR京葉線が“通勤快速全廃”した事情を読み解く

日刊SPA! / 2025年1月20日 8時51分

◆快速が後押しする通勤圏の拡大

従来、多くの駅を通過する速達列車は特急や急行の役割でした。快速は特急料金や急行料金を必要とせず、運賃のみで乗車できます。なぜJRは運賃だけで乗車できる快速列車を走らせていたのでしょうか。

その理由は、昭和62(1987)年に国鉄が分割民営化したことと無縁ではありません。JRの前身だった国鉄は、慢性的な赤字に陥っていました。その赤字体質を改善するために、民間企業のJRへと改組したわけですが、大都市圏を抱えるJR東日本・東海・西日本3社は収入を増やす取り組みとして、通勤圏の拡大に力を入れたのです。なぜなら、通勤圏を拡大させれば鉄道需要が増大するからです。

こうしてJR各社は通勤圏を拡大するべく、運賃のみで乗車できる快速列車を増やしていきます。同じ距離を走っても、快速は各駅停車よりも停車駅が少ないので所要時間が短く済みます。つまり、快速を走らせれば、遠方からの通勤が可能になります。

◆マイホーム神話が根強かったからこそ…

JRは単なる快速ではなく新快速・特別快速・通勤快速といった具合に、さまざまな種類の快速を運行しました。京葉線は東京湾の東側に形成された京葉臨海工業地帯の物資を輸送する貨物線として構想されました。線路が東京方面へ延びていくと、沿線が少しずつ宅地化されていきます。

そうした旅客需要が増えたことを契機に、京葉線は昭和61(1986)年に一部の区間で旅客運転を開始します。これが歳月とともに区間を延長して、平成2(1990)年に東京駅までが旅客化されたのです。

東京駅─蘇我駅間の京葉線が全通したのと同時に、朝夕に運行される通勤快速が誕生。通勤快速は誕生した当初から内房線・外房線とも直通するダイヤが組まれていました。

平成2年は厳密にはバブル景気が崩壊した直後にあたりますが、当時の日本はまだバブルの余韻を引きずっていました。そのため、東京近郊の不動産価格は高止まりしたままで、一般のサラリーマンが東京23区内にマイホームを構えることは非現実的だったのです。このタイミングで登場した京葉線の通勤快速は、内房線・外房線を東京のベッドタウン化させる大きな力を持っていました。

内房線・外房線から東京駅まで通勤するのは大変ですが、当時は一戸建てというマイホーム神話は根強く、一般のサラリーマン世帯でも内房線・外房線なら一戸建てが買える価格だったのです。つまり、京葉線の通勤快速はマイホームを持ちたいという庶民の夢を後押しする列車でした。

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