1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. スポーツ総合

渡辺雄太が会見 来季チーム決め手は「本気で欲してくれる熱量」 八村から連絡「大丈夫ですか?って」

スポニチアネックス / 2024年4月21日 18時1分

渡辺雄太

 NBAで6季目のシーズンを終えた渡辺雄太(29)が21日、都内で日本復帰会見を行った。

 渡辺は冒頭「日本時間の土曜朝、僕のSNSを通して、この度アメリカ生活にピリオドを打つことにして日本に帰ってくることを決めました」とあいさつした。

 今後参加するチームの決め手については「いろんな要素が含まれてくる。これから細かい部分に関してはエージェントと話をしながらやっていきたい。僕が今思っているのは、僕を本気で欲してくれるチームを」と述べた。「今の僕を見て、欲しいと思う熱量を持ってくれるチームに全力を注ぎたい」と語った。

 ヨーロッパなど他国のリーグではなく、Bリーグを選択したことについて「ヨーロッパは今回考えてなくて…言語の違いとか文化の違いは発見も多かったけれど、凄く苦労もした。もうすぐ30歳で、その時と同じようなことがまたできるかなと。あと、Bリーグは凄い良くなるリーグだと思っていました。毎年日本に帰ってきて、いろんな選手と練習したりして、レベルが上がっている。試合見に行ったりしていたけど、技術も上がっていて楽しい試合をしていた。日本にこれだけ良いリーグがあって、日本人として日本で育ったので。生まれ育ったところでプレーしたいと思った」と述べた。

 11年間を米国で過ごした。この先に描くバスケ人生について「まだバスケ人生は続く。よくやったというのは早いと思う。自分を褒めることはないけど、英語も全然できない中で生活を始めて乗り越えてきて、ここまで成長することができた。今までの自分を褒めていいのかなと」自賛。そして「NBAを目指して小さい時から練習してきて。何か大きなことを成し遂げることができた。今後一生、自分の中で誇れることだと思う。自分がやれる最大限のことはできた」と、これまでの歩みを誇りと自信を持って振り返った。

 全く違う挑戦が、日本で始まる。「代表を除けば、高校卒業して以来。アメリカとは全然違う生活が待ってる。生活ができることも楽しみ。今後の自分のバスケとしては楽しんでやりたいというのが大きな部分。もちろんたくさん、いろんなチャレンジがあると思う。楽しんで、何年後か分からないけど、引退を決めた後に本当に楽しいバスケ人生だったと言えるようにしたい」と決意。

 前日にはメンタル面の不調を口にしていたが、「メンタルの面で苦労してる人も多いと思う。改めてこういう経験をして、体だけじゃなくて心の健康を保てるかが大事だなと思いました。若い人でそういう経験をする人が出てくれば、アドバイスしたい。これからもNBAでプレーしていく人はたくさんいると思う。僕は試合に出られるか出られないか、王道を走ってきたわけじゃない。アメリカで学んできたことを、日本のためにだったり、役立てていければ」と述べた。

 また、レイカーズの八村塁とのやりとりがあったと言い「僕から連絡したわけじゃないんですが…3月あたりだったかな…?試合の時、僕はチームに帯同してなくて。それまでも試合に帯同してないのは彼も分かっていて。“雄太さん大丈夫ですか?”って連絡くれたんです。今こういう状況でって話して」と明かした。

 「彼がいてくれたから、僕も頑張ってこれた部分もある。同じ日本人として、自信になっていた。モチベーションになったのは間違いない」とし、八村が帰国を決断した渡辺にエールを送ったことに「凄くうれしかった。彼は彼でいろんな苦労して、レイカーズで活躍している。応援しているし、これからもどんどん、彼が望むならいけるところまでやってほしい」と感謝した。

 前日20日には自身のSNSでライブ配信し、来季のBリーグ入りを表明。既に20近いクラブが獲得に興味を示しているといい、争奪戦が繰り広げられることは必至だ。Bリーグ入りを決断した理由を「シンプルにバスケットが大好きだから。試合に出たい」と説明していた。

 今季は2年契約を結んだサンズでシーズンをスタートしたが、出場機会を伸ばせず、今年2月にトレードで18~19年以来となるグリズリーズに復帰。3月1日の試合を最後に手首の負傷で離脱し、終盤は「個人的な理由」でコートに立たず、22試合連続欠場でシーズンを終えた。ライブ配信で「個人的な理由」については「メンタル的なことでお休みをもらってました」と明かしていたが、現状は「メンタルは凄く回復しているし、五輪があるということで練習はずっとやっていた。体の調子としてはむしろいい」と説明していた。

 ◇渡辺 雄太(わたなべ・ゆうた)1994年(平6)10月13日生まれ、香川県出身の29歳。香川・尽誠学園高時代に全国選手権で11年から2年連続準優勝。米ジョージ・ワシントン大を経て18年にグリズリーズと契約し、日本人2人目のNBA公式戦出場を果たした。21年東京五輪では日本代表の主将を務めた。妻はフリーアナウンサーの久慈暁子。身長2メートル6、98キロ。ポジションはスモールフォワード。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください