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「チームの雰囲気が悪くなるなら…」 高校バスケ名門・能代工の元エースを変えた大学時代の転機

THE ANSWER / 2024年5月10日 17時33分

前身の東芝時代から通算12シーズン。長谷川技はいぶし銀のプレーで川崎ブレイブサンダースを支えている【写真:B.LEAGUE】

■連載「川崎ブレイブサンダースNOW」第5回、長谷川技インタビュー前編

 バスケットボールBリーグの川崎ブレイブサンダースは、前身の東芝時代の栄光を受け継ぐ国内屈指の強豪クラブ。熱狂的なファンがアリーナをブレイブレッドに染め上げ、今季も上位争いを演じてきた。そんな名門のリアルな姿に、選手のインタビューやコート内外のストーリーで迫る連載。今回は2012年の加入以来、攻守にわたって輝きを見せるクラブ一筋12シーズン目の長谷川技だ。前編では高校・大学時代を振り返りながら、チームを陰で支えるプレースタイルが確立された背景に迫った。(取材・文=青木 美帆)

 ◇ ◇ ◇

「いぶし銀」「職人」「仕事人」。

 長谷川技は、このような言葉でたとえられることの多い選手だ。

 170センチ台のポイントガードから2メートル台の外国籍選手フォワードまで、相手のキープレーヤーを的確に抑えるディフェンス力は、コーチ陣やチームメートたちから絶大な信頼を得ている。また、左右のコーナーから放たれる3ポイントシュートは高精度。コーナー付近で待ち受けている彼にボールが渡り、シュートが決まった時の歓声は、ひときわ大きくなる。

「気にしていないのが半分、嬉しいのが半分、ですかね。プレー的には目立たないけど、そういうところを見てくれている方がいるのは嬉しいです」

 冒頭のような二つ名についてどう思っているかと尋ねると、長谷川はこう言った。

 クラブが設けたキャッチフレーズは『UNSUNG HERO(陰の英雄)』。上記のようなプレーでチームに貢献しつつ、どんなビッグプレーを成功させても基本はポーカーフェイス。過去のインタビュー記事を紐解いてみても「自分は脇役でいい」「自分が目立ちたいとは思わない」といった言葉が随所に出てくる。

 しかし、高校時代まで彼はチームの絶対的なエースだった。特に、高校バスケの名門として知られた秋田県立能代工業高校(現・能代科学技術高校)3年時は、同校のエースナンバー「7」をまとい、インターハイ(全国高校総体)と国体のW優勝の原動力として大活躍していた。

 190センチの上背でボール運びからドライブ、3ポイントシュートと何でもでき、当時、洛南高校(京都)に所属していた1学年下の比江島慎(現・宇都宮ブレックス)に「バスケ人生で初めて『敵わない』と思った」と言わしめるほどの突出したプレーヤーだった。

 そのような選手が、個の力で状況を打破するのでなく、与えられた役割を遂行することでチームに貢献するロールプレーヤーへと変貌していく過程がどのようなものだったのか。かねてから、いつか突き詰めたいと思っていたトピックだった。

 高校時代を振り返る話の中で、長谷川は興味深い発言をした。

「高校の時は優勝以外の目標が認められていないような感じだったので、勝つことだけを意識した結果、点を取りに行っていたところもありました。とにかく勝ちたいから点を取っていただけ。『目立ちたい』とはまったく思っていなかったです」

 つまり、高校時代の長谷川は自らの欲求に従ってというより、チームの役割に従って点を取っていたということになる。それ以前のことまでは掘り下げられなかったが、元々エゴでプレーするという意識が希薄な選手だったようだ。

 得点以外のプレーに役割を見出すようになったのは、強豪・拓殖大の3年時だったはずだと長谷川は回顧する。

「1学年下に長谷川智伸(現・福井ブローウィンズ)というシューターがいて、(藤井)祐眞が入学してきたので、任せるところは任せようかなと。チームにビッグマンがいなくて190センチの僕が4番ポジション(パワーフォワード)をやらざるを得なかったというのも大きかったですし、ボールを持ちたい選手がいっぱいいたんでね。そこにボールを回さずチームの雰囲気が悪くなるんだったら、回すから気持ち良くプレーしてくれよという感じです(笑)」

 チームがシーズン当初から好成績を挙げたことも手伝って、長谷川は「チームの循環を良くするために自らが動く」というアクションに大きな手応えを得て、それを自分の行動指針とし、今のようなプレースタイルが確立されていったと説明した。


名門・能代工高でエースとして活躍した長谷川技。拓殖大時代にプレースタイルに変化が生まれたことを明かした【写真:川崎ブレイブサンダース】

■チーム状況を見て変えてきた自身の役割

 現在34歳。歳を重ねて多少柔和になった印象があるが、基本寡黙でポーカーフェイス。ヒーローインタビューやメディア対応でも言葉は多くない。「高校も大学も後輩からしゃべりかけられるタイプじゃなかったし、勝手に怖がられているところがあったと思います」と本人も苦笑するが、大学時代のエピソードが示すとおり、仲間の機微に目が利き、チームを俯瞰して見られるタイプの人間だ。

「若い頃もまわりの状況が見えるタイプではありました。今はむしろ、“気ぃ遣い”なところがあるかもしれないです」と話す長谷川に、例えばどんな場面で“気ぃ遣い”が発されるのかと尋ねると、照れくさそうに笑った後、「元気のないやつがいたら『調子、どう?』とか軽く声をかけたり、ですかね」と、短く答えた。

 チームが全幅の信頼を置く、長谷川のディフェンスの核にあるものを自己分析してもらうと「それこそ気遣いだと思います」と言った。

「1人ひとりの得意・不得意を、自分がいかに補っていけるか。あとは、今、どの選手、どのエリアが一番危ないかという危機察知能力的なものはあると思います。対戦相手の映像をしっかり見て、コーチ陣の意見を聞いて、頭に入れています」

 高校、大学時代は自他ともに“ディフェンスの長谷川”という認識はなかったはずだと長谷川は証言する。大学卒業後に進んだJBL(Bリーグ以前に存在していた実業団リーグ)でも、周囲から「ディフェンスで強みを出していけ」といった助言は得ていないという。

 大学で金丸晃輔(現・三遠ネオフェニックス)や比江島ら超エース級とマッチアップし、JBLでもその役目をあてがわれたことで「マッチアップするなら何としてでも止めなければ」という気持ちが強まり、気づけばディフェンスを強みとする選手になっていたというのが本人の証言だ。

「最近は(野崎)零也が頑張ってくれているので自分がスタメンで出ることは減りましたけど、それまではディフェンスのスイッチを入れるのが自分の役割だと思っています。相手のポイントガードについたり、エースについたりする中で、ファウルを使ってもいいからバンとチームのディフェンスのスイッチを入れる。賢次さん(佐藤賢次ヘッドコーチ)からはそういう役割を果たしてほしいと言われていたので、それを意識してやっていましたね」

 さまざまなプレーの引き出しを持ち、チームの状態を見て、誰に言われずとも役割を変えられる――。その点で長谷川はキャプテンを務める篠山竜青とよく似た選手であり、川崎ブレイブサンダースに不可欠な存在であることをあらためて実感した。

■長谷川技(はせがわ・たくみ)

 1989年7月21日生まれ、岩手県出身。190センチ・92キロ。名門・能代工業高で3年時のインターハイと国体の二冠を達成。卒業後は拓殖大に進学し、12年に東芝に加入した。オールラウンドな能力が光る選手で、鋭い読みを武器としたディフェンスも持ち味の1つ。在籍12シーズン目を迎えた今季も、攻守にわたってチームを支えた。(青木 美帆 / Miho Aoki)

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