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スターダム退団のMIRAI「震災前までは医者になりたかったんです」 語った激動の過去と未来

東スポWEB / 2024年4月9日 11時9分

ロングインタビューに応じたMIRAI

数奇な運命に導かれるまま、わが道を行くのが女子プロレスラーのMIRAI(24)だ。小学5年だった2011年3月11日に東日本大震災で被災。だが、不屈の魂で苦難を乗り越えた少女は、震災を機にプロレスと出合い、女子プロ界の盟主「スターダム」のトップ戦線で活躍するまで成長した。震災から13年。スターダムを3月いっぱいで退団し、今後はロッシー小川氏が立ち上げる新団体への参加が確実。新たな旅立ちのときを迎えたMIRAIが、激動の半生を振り返る――。

――退団の理由は

MIRAI 自分はある程度の期間が来たら、スパッと別の仕事にいきたいと思っていて。もともと現役を長く続けるつもりがなかったんです。だからプロレス人生に悔いのないように、やりたいことに挑戦したいと思って決断しました。「スターダムでやりきったか?」って聞かれたら、赤いベルト(ワールド王座)も巻いてないし…とか考えちゃうけど。安心しきれる場所を離れるからには、頑張らなきゃなって思ってます。

――幼少時代はどんな子供だったのか

MIRAI 好奇心旺盛で負けず嫌いでした。「何でもやってみたい!」って挑戦する子だったので、国内ホームステイに行ったり、小学校、中学校で生徒会に入ったり、鼓笛隊の指揮者やったり、高校でも応援団に入ったり、いろんなことをしてましたね。その性格は今も変わらないです。

――柔道もやっていた

MIRAI 小4から始めました。小さい時、兄にものすごいライバル心を持っていて。兄が「野球で丸刈りになりたくないから」という理由で柔道を始めたんですけど、弱くて。学校で投げられないからって、家でよく投げられました。兄に「やり返したい」って思ったのが始まりです。

――小学5年時に東日本大震災を経験した

MIRAI 経験したことがないくらい揺れて怖かったですけど、その時学校にいて、自分は高学年だったから、不安そうな低学年の子の前で怖がらないようにしてました。その日は親が迎えに来た人から帰れたんですけど、両親とも来られなかったので、学校に泊まりました。

――どれほどの被害に遭ったのか

MIRAI 母の職場には津波が来たので車がダメになってしまって、兄もバスがあと1本遅かったら、津波にのまれていたかもしれませんでした。漁師の父は昔、定置網船に乗っていたんです。震災の時には決まった時期に決まった量のウニやアワビを取るようになっていて、船や小屋はダメになっちゃったけど…父も無事でした。今も地震の時に鳴るサイレンの音が嫌いです。

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