1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. 野球

【達川光男連載#44】振り返れば、ずいぶん身勝手な理由で披露宴の日程を決めたもんだ

東スポWEB / 2024年4月10日 11時17分

古葉前監督のテーブルでキャンドルに火をともす筆者夫妻

【達川光男 人生珍プレー好プレー(44)】入団9年目の1986年は例年以上に気合を入れて臨んだシーズンでした。前年には6歳下の山中潔が58試合でスタメンマスクをかぶるなど台頭し、退任を前にしていた古葉竹識監督からも「来年は、おまえを使うつもりはなかった」とまで言われていたからです。

それとは別に、個人的な理由からも発奮しないわけにはいきませんでした。オフに控えていた結婚です。お相手は84年にあるパーティーで知り合った女性で、たまたま同年の日本シリーズ直前に旧広島市民球場で再会したのがキッカケでした。練習のため球場に入ろうとしたら、チケットを買い求める長蛇の列の中で私に会釈する女性がいましてね。その女性こそ、2015年に他界した妻の仁美だったんです。

「何しよるん?」「日本シリーズのチケットを買いにきました」「何枚いるの? ワシが買(こ)うとったるよ。取れたら電話するけえ、番号を教えとって」「うちには電話がないんです」。そんなやりとりをしました。

家に電話がない? これは電話番号を教えたくないということ? そんな思いが頭を巡りましたが、実はこれが本当の話でした。彼女の実家は現在の安芸高田市で鮮魚店を経営していて、事務所に電話はあったけど、自宅スペースにはなかったんです。そしてチケットを渡すために会ったら、お弁当をつくってきてくれましてね。「そのうちメシでも」「お願いします」といった具合で距離が縮まっていったように記憶しています。

小早川毅彦が入団した84年ぐらいから広島市西区の三篠にあった「三省寮」が飽和状態になっていて、廿日市市に大野寮ができたのは84年11月になってから。そんな事情から市内のマンションで一人暮らしするようになって、85年ぐらいから一緒に暮らすようになりました。

いざ結婚するとなり、最初に決めたのが日取りです。当然のことながら披露宴はオフにするしかないのですが、既婚者の誰に聞いても「席次を決めたり何だかんだ忙しくて、披露宴が終わるまではゴルフにも行けない」という。それではオフがオフでなくなってしまうと考え、挙式披露宴は日本シリーズに進出しても問題なく行える大安の10月30日にしようとなりました。媒酌人は阿南準郎監督夫妻にお願いして。

振り返って考えれば、ずいぶんと身勝手な理由で日取りを決めてしまったなと反省しています。既にお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、86年の西武との日本シリーズは第1戦が延長14回の末に引き分けとなり、最終的に史上初の第8戦までもつれ込みました。

ちなみに第8戦が行われたのは10月27日。それでも決着がつかなかったら移動日が設けられ、第9戦は披露宴前日の29日になってしまう。新郎新婦と仲人のいない披露宴なんて聞いたことがありません。本当に冷や冷やしたものです。

日本シリーズ本番もそう。第4戦で先に王手をかけながら、今でも夢に見るほど悔しいミスをしてしまったのです。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください