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西武ライオンズ「若手の伸び悩み」解消する新挑戦 12球団最多20人がFA"流出"「人材開発」驚く全貌

東洋経済オンライン / 2023年12月3日 8時0分

FAで主力が退団する一方で獲得が少ない西武の場合、選手をうまく育てなければ勝つことは難しい。そこで2020年に始まったのが「育成改革」だ。秋元ディレクターが説明する。

「マネーゲームに対抗するには育成だ、となりました。単純に施設を良くして選手にスキルを養わせるだけでなく、いい選手を育てるには指導者も育てないといけない。そのためにいろいろな研修を行っています」

西武は2019年に室内練習場や選手寮、翌年にファームの本拠地CAR3219フィールドを新装した。

こうしたハードは鍛錬を積む場になる一方、選手たちの才能が開花する可能性を少しでも高めようとさまざまな手を打っている。目指すのは「主体的に行動できる選手」を育てることだ。

ドラフトで指名された全選手が一定以上のポテンシャルを誇る一方、プロ入り後に活躍できる者は限られる。

取材者として観察を続けていると、一軍でコンスタントに活躍する選手とそうでない者に明確な違いを感じるようになった。「思考力」だ。

とりわけ痛感させられたのが、ともに1988年生まれで西武に同時期に在籍した秋山翔吾と木村文紀の差だった。

横浜創学館高校、八戸大学を経て2010年ドラフト3位で入団した秋山は、OBの秋山幸二氏と同じ名字ということもあり、当初は長打を打てて走れる選手を期待された。

そこから2015年にプロ野球新記録の年間216安打を達成したように“ヒットメーカー”として生きる道を求めたのは、同学年の柳田悠岐(ソフトバンク)と木村の存在がきっかけだった。

秋山はこう話している。

「柳田に何か勝ちたいと思って始めたのが、ヒットを打つことへの特化でした。西武では2014年に木村が出てきて、走れて飛ばせる力を示したから、自分の能力では限界があると思ったことがきっかけです。プロで勝負できるものを探して極めていく。逆に何かを捨てないといけないのが“ホームラン”でした」

大卒4年目の2014年、秋山は打率.259に終わった。過去2年より数字を落とし、本塁打を捨てて単打を優先したことが2015年の飛躍につながった。

期待されたが「思うような活躍」ができない選手も

一方、2006年高校生ドラフト1巡目で埼玉栄高校から入団したのが木村だ。

豪腕投手として期待されたが思うように活躍できず、2012年オフに外野手に転向。2014年に自身初の開幕スタメン出場を果たすと、100試合で10本塁打、16盗塁と長打力と走力を示した。

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