1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

「初日の出を拝む」は意外に新しい習慣だった 実はよく知られていない"正月行事のしきたり"

東洋経済オンライン / 2023年12月28日 9時40分

鏡餅と呼ばれるのは、昔の鏡が円形だったから(意外と理由はシンプルだ)。

その鏡は人の魂(心臓)を表す神器であり、そこから丸餅になったということのようだ。

気になるのは、なぜ丸餅を2つ重ねるのかという点だが、これは月(陰)と日(陽)を表しており、「福徳が重なって縁起がいい」と考えられたから。

かつては年末になると鏡餅用に多くの家で餅つきをしたものだが、12月31日の大晦日につくのは「一夜餅」、また12月29日につくのは「苦餅」といわれたため、これらの日につくのは嫌われた。上記の門松と同じ発想だ。

ともあれ正月中は1月11日の鏡開きまで、家の床間などに大きな鏡餅を飾り、各部屋に小さな鏡餅を飾ったりする。

おせちや雑煮は正月料理ではなかった

【おせち料理】もとは正月料理ではなかった

「おせち」は、もともとは季節の変わり目の節句(節供 せちく)に、年神様に供えるための「お節」料理でした。それが、やがて大晦日の年越しのときに食べるようになり、年に何回かある節句のなかでも正月がもっとも重要ということから、正月料理に限定されるようになりました(46ページより)

当初は「松の内」の間じゅう食べるものだったが、次第に正月三が日に食べるのが通例となっていったらしい。

おせちは年神様に供えるための供物料理であるとともに、家族の繁栄を願う縁起ものの家庭料理でもある。

そのため「めでたい」とされる日持ちのする材料でつくり、家族が食べるだけでなく、年賀に訪れるお客様にも出せるようにと、重箱(お重)に詰めておくのが一般的だ。

重箱は中身によって区分けしてあり、一の重には口取り(かまぼこ、きんとん、伊達巻きなど)、二の重には焼物(ブリの照り焼き、イカの松風焼きなど)、三の重には煮物(レンコン、里イモ、高野豆腐など)、四(与)の重には酢の物(紅白なます、酢レンコンなど)を入れるのが習わしで、さらに五の重を用意するところもあります(47ページより)

【雑煮】年神様の下がりものの餅をいただく

正月といえば雑煮だが、これはもともと年神様に供えた餅を神棚から下ろし、それを野菜や鶏肉、魚介などと一緒に煮込んでつくった料理。「雑煮餅」ともいわれたそうだ。

元来、雑煮は正月用ではなく、室町時代のころの儀礼的な酒宴などで出されたのが始まりです。最初に雑煮を食べて、胃を安定させてから酒宴に移るという前菜の役割を果たしていました。それが、やがて正月料理になったといいます(47ページより)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください