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M-1誕生ストーリーで学ぶ、「需要創造の極意」 経営学者が斬り込む『M-1はじめました。』

東洋経済オンライン / 2024年1月13日 11時30分

漫才が落語と同じ道をたどった可能性

楠木:漫才は確立されたお笑いのジャンルだと思いますが、もしかすると、今の落語のような成り行きになったかもしれないということですね。つまり、芸として深くて、なくなるものではないけれど、一部の本当に好きな人だけが劇場に観にいく。

谷:そうですね。特に関西の落語では1970年代に笑福亭仁鶴さん、月亭可朝さん、桂三枝さんなど活躍していましたが、それ以降は長期低迷していました。漫才もそれに近い状態になるのかなと。もっとも落語の場合は、古典落語があるので、一定数の根強いファンがいて廃れないだろうとは思っていました。

楠木:落語は1人でできますしね。

谷:落語家は売れてなくても、食えると言われていました。街中で演じれば、たとえギャラが5万円でも全部自分に入ってくる。漫才は2人で分けないといけない。だから、漫才師は食うのが大変なのです。

楠木:この本で非常に印象だったのは、テレビにおける漫才の停滞ぶりを示すエピソードです。かつて漫才ブームの中心にあったフジテレビで、漫才の番組をつくったときに、サンパチマイク(固定式のスタンドマイク)を使わず、音がクリアにとれるからと、ピンマイクやガンマイクを使う。カメラも話している人に寄るので、相方のリアクションが撮れないとか。それではおもしろさが伝わらないんだと。

谷:空白の期間があったので、カメラマンや音声さんの間で、バストショットで2人を撮って、掛け合う声を拾うという漫才を見せる基本が伝承されていなかったのですね。

楠木:今では信じがたいことですね。そういう最高に忘れられていた時点で、谷さんは木村政雄常務の指示で、1人で漫才プロジェクトをやることになった。これは吉本で新しいことをするときによくあるパターンですか。

谷:そんなこともないと思います。当時、吉本では新喜劇もジリ貧でマンネリ化していて、新喜劇と漫才は2本柱なので立て直そうと。それで、私は漫才プロジェクトをやれと言われました。期待されたというより、どちらかというと仕事を外されたのかなと思っていました。

面談で聞き出した漫才師の本音

楠木:それで最初になさったのが、漫才師の現状把握ですね。当時の吉本のお笑いの劇場で漫才師を観察した。若手が出る劇場の「baseよしもと」には、20代のお客さんが入っていて、漫才のレベルも意外と高い。

谷:そうです。しかし基本は、ルックスのいい漫才師には女性ファンがついていて、いつも同じ顔ぶれで、男性客はいない。それに、漫才をしていないようにも見えました。普通にネタをすると、コアなファンはみんな知っているので、だらっと立ち話風で。

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