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M-1誕生ストーリーで学ぶ、「需要創造の極意」 経営学者が斬り込む『M-1はじめました。』

東洋経済オンライン / 2024年1月13日 11時30分

楠木:baseにはもともと熱狂的ファンがいましたよね。それで、やる側に大きなヒノキ舞台を用意したと書かれていました。

谷:baseには、普通の興行で一生懸命漫才をやっている、おもしろい若手を出演させました。そして、ここで反応の良かった芸人を「大計画」にも出すようにしました。ふつう若手はヒノキ舞台に立てないので、そこは喜びだったのかもしれません。

楠木:大計画には、大木こだまひびきなど、中堅も出ていたんですよね。

谷:そうです。中堅を出して、その前の2組、3組は若手を出しました。

楠木:そこから時々、テレビの番組で新しい企画が出てきたと。

谷:そうです。関西で一番後発のテレビ局のテレビ大阪が年2回特番をやっていました。3月にオンエアしたら視聴率が良かったので、またやりましょうと。僕らも売り込みにいって、「めっちゃ!漫才」という番組をつくってもらって、これがすごくよかった。漫才大計画で受けた若手や中堅のコンビを優先的に出しました。そうやって、漫才自体の世間の認知度がゼロに近いところから、10から15くらいになりました。

ボトムアップのアプローチで土壌を整備

楠木:ボトムアップのアプローチですね。現場の人たちの考えや声を聞いて、だんだん広げていく。M-1で真剣勝負をやるようになったのは、「めっちゃ!漫才」を放送した後でしょうか、その前からでしょうか。

谷:少し後です。島田紳助さんと楽屋で漫才の話をしたときに、「若手コンテストをやろう」と言われたのです。上方漫才大賞、お笑い大賞、ABC漫才コンクール、NHK漫才コンテストとか、すでにいろいろあった。正直、ありきたりやなと思ったのですが、そこは紳助さんのすごいところで、賞金を1000万円にしようと。新人賞で10万円が相場の時代に2桁違うのはすごいな、何かが起こせるかもしれないなと思いました。

楠木:司会者として活躍されていた紳助さんが、そういうことが大切だとお考えになっていた理由は何でしょうか。ご自身は漫才をやめていらしたんですよね。

谷:紳助さんが漫才をやっていたのは8年間で、それから15年くらい経っていましたが、自分は漫才によって育てられたという感謝の気持ちがあって。でも、お返しをしていないと。そこに僕が飛び込んで、プロジェクトをつくって漫才を盛り上げようとしていますと言ったら、すごく喜んでくれました。

楠木:1000万円という賞金の金額はすごく重要な要素だと思うのですが、ほかにも最初から条件設定がうまかったと思います。真剣勝負で、その日、その場の漫才しか評価対象にしない。笑いのプロしか審査員をやらない。10年目まで。それから、吉本以外の人やアマチュアも参加できる。1000万円以外の条件については、谷さんが考えられたのでしょうか。

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