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「奨学金437万円」男性が40代でようやく得た天職 貧困家庭出身の彼が今、アフリカで働く理由

東洋経済オンライン / 2024年1月17日 12時0分

しかし、この時期、長内さんの父親はまともに働いてないのにもかかわらず、車を買い替えることを強硬に主張しては、家庭内で暴力を振るうことがあった。

理由は車のローンを組むための条件として、地元の商工会(保証人)に確定申告を義務付けられ、税金を支払わなくてはならないから……。つまり、納税の怒りの矛先が家族に向いていたわけである。

「それでも、父は大学を卒業していたため、心の中では僕に大学まで進んでほしいと思っていたはずですが、とにかく金がない。しかも、父は『自分が借金をするのは平気』だけど、『家族がお金を借りる』ことは嫌がっていたんです。

ただ、僕は奨学金がなければ、高校にも進めないため、慎重に父に『奨学金は成績優秀者だけが借りられるお金であって、貧しいから借りるわけはない』と言って借りることを納得させました」

生きているだけで赤字

家庭内の問題は解決していないが、ひとまず高校に進学する算段がついた長内さん。とはいえ、「奨学金があるとはいえ、世帯年収180万円で高校に行けるのだろうか?」と思ったのは読者諸氏だけではない。

「母親から確定申告書を見せてもらったのですが、よくよく調べたら180万円は『年収』ではなく『年商』なんですよね。だから、家族5人分の基礎控除を加味したら、マイナス10万円とかになるんですよ……。それに、なぜか『保険料』の欄が空白。うちの家は生きているだけで赤字になったんですよ」

つまり、長内さんは奨学金なくしては高校進学はありえない状況だった。

「当時の公立高校の授業料は月に8000円で、年間9万6000円。何も準備していなければ3年間で30万円近くで、うちはそんな額を払えるような経済状況ではありません。それなのに、公立の受験で落ちてしまったんです……。その後、なんとか年間の学費が25万円の私立高校には受かったので、奨学金を75万円借りて3年間通うことができました」

当時は第二種奨学金(有利子)のない時代のため、長内さんが借りていたのは現在の奨学金第一種(無利子)に当たる。

そして、高校3年間は野球部などのクラブ活動に明け暮れながら、大学進学も視野に入れる。目標は国立大学だ。

「当時、ノーベル賞受賞者を数多く排出していた京都大学に入れば、食いっぱぐれないと思ったんです。実際に模試の成績もB〜C判定だったので、なんとかなるかなと思ったのですが、試験当日は緊張のあまり本来の実力が出せず……。悔しくて1年間浪人したのですが、それでもやはりダメで大阪の私立大学に入学します」

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