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「奨学金437万円」男性が40代でようやく得た天職 貧困家庭出身の彼が今、アフリカで働く理由

東洋経済オンライン / 2024年1月17日 12時0分

「当時、都内に赴任していたので、父のために戻るつもりは毛頭もなかったのですが、母が看病疲れで体を壊してしまったので、『これは誰か帰らないとな』と思ったんです。それに、その頃、自分のエンジニアとしての限界がわかってきていたのと、今の仕事をずっと続ける気になれなくなってきたのです。そこで、4年ぐらい学生時代に働いていた関西の部門でアルバイトをした後に、会社を辞めて地元の地方自治体に入りました」

会社員から自治体勤めになったため、給料は大きく減ってしまったが、実家から職場に通うのと、食費も田舎はそこまでかからなかったという。

そして、転職して間もなくして父親が亡くなってしまう。縫製の家業を廃業させて、貯蓄に回していくことにしたが、あるとき、市役所の職員が家に訪ねてくる。

「何事かよくわからなかったのですが、話を聞くと僕が生まれたときから、父は国民保険料を一切払っていなかったようで、それの督促だったんです。その額、240万円。中学生のときに見た確定申告書の『保険料』の欄が空白だった謎がようやく解けました(笑)」

そんな、親の負債も一段落ついた頃、長内さんは次のステップに進むことを決める。

「ほとんど父のせいなのですが、とにかく日本が嫌になったんです。『なんで僕はこんなに苦労せないかんのか?』と思うようになり、今いる場所ではない、まったく違う場所に行きたくなったんです。

そこで、30歳のときに青年海外協力隊員としてアフリカに行きました。そこで、現地の子どもたちと触れ合う中で、『これを仕事にしたい』と本格的に思うようになり、アフリカの勉強を始めるために、34歳で仕事をやめて大学院に進学します。

当時は教員免許を持ってなくても、現地に行けたのですが、この先もずっとアフリカで『仕事』をするためには、会社の立ち上げも視野に入れなければならなったのです」

3カ国語を覚え「ようやく飯が食えるように」

すでにこの頃には高校と大学で借りていた奨学金も完済しており、大学院進学のための貯蓄もあった。しかし、長内さんは再び170万円の奨学金第一種(無利子)を修士課程の2年間で借りることにした。

「何か困ったときの支えになるかなと思い借りましたが、結果的に成績優秀で授業料免除になったので、大学院修了後に一括返済したら、報奨金がもらえました」

この「報奨金制度」はかつて存在した制度である。今は早期返済や繰り上げ返済したところで、このようなキャッシュバックはない。

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