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「デジタルの先」の中心テーマ「自然資本」とは何か 「気候変動」問題以上に深刻な「生態系の危機」

東洋経済オンライン / 2024年1月22日 11時0分

新型コロナはすでに収束した“過去”の出来事のように思われているが、同感染症による死者は世界全体で実に696万人に達した(2023年12月26日時点。最大はアメリカの119万人で、ブラジル、インドが続く)。

人獣共通感染症の増加に関する上記のような認識を踏まえれば、それは“生態系あるいは生物多様性の危機が「人間の健康と生命」にまで影響を及ぼすに至った”ことを意味している。

しかも、新型コロナの背景に森林減少などの生態系の劣化があるとすれば、生態系や生物多様性をめぐる状況が改善されない限り、(あまりそうは考えたくないが)新型コロナのようなパンデミックは今後も繰り返し起こることになる。言い換えれば、「リスク管理」あるいはリスクの未然防止という観点からも、生態系の保全そして「自然資本」の重要性というテーマが浮上しているのである。

「自然資本」というコンセプトはいつ生まれたのか

以上のように生態系や生物多様性への関心の高まりの中で、「自然資本」というテーマがさまざまな形で論じられるに至っているわけだが、ではこうした「自然資本」という考え方はいつ頃から唱えられるようになったのか。

「自然資本」という言葉ないしコンセプトを先駆的に提起した人物として、著書『スモール・イズ・ビューティフル』が日本でも広く知られる、ドイツ出身(やがてイギリスの国籍取得)の経済学者シューマッハー(1911-1977)が挙げられる。

すなわち1973年に刊行された同書の中で、シューマッハーは「自然資本(Natural Capital)」という概念を提起し、それは「人間には造れず、単に発見できるだけの資本、それがないと人間はなにもできない、代替物のない資本のことである」とした。

そして、「実業家ならば、会社が資本をどんどん食いつぶしているのを見れば、生産の問題が解決ずみで、会社は軌道に乗っているなどとは考えまい」(強調引用者)と論じ、現代の私たちが、自然という「資本」が劣化していることに十分な関心を向けず、経済や生産活動は順調に動いていると錯覚していることに警鐘を鳴らしたのである。さらにシューマッハーは次のように述べる。

「なぜこの重大な事実が見逃されたかといえば、われわれが現実から遊離し、自分の手で造りだしたもの以外は、すべて無価値なものとして扱ったからである。偉大なマルクスも、いわゆる「労働価値説」を定式化したとき、この重大な誤りをおかしている」

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