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「グローバル・ローカル・国民国家」という難問 「自由と平等の衝突」の解決に必要な「惻隠の心」

東洋経済オンライン / 2024年1月24日 9時0分

社会経済的、そして軍事的にはいまだアメリカの傘下にいながら、地政学的には中国に近い立地にある日本。

コンプライアンス、ワークライフバランス、リスキリング……ビジネスの世界ではアメリカ的価値観が次から次へと流れ込んできますが、一向に理解することができない。

さらに僕たちは社会契約の概念にもピンとこず、いまだ目上の人には気を使い、目下の者には辛くあたるという儒教的価値観を勘違いして内面化する、「体育会系」人間がのさばり続けている状況。

でもそれがいいか悪いかはいったん置いておいて、自然環境が共同体を形成し、その共同体の中で育った個人が集まって社会を構成している以上、仮にグローバル化によって全世界が同じ価値観で統一されたとしても、それを運用する人びとの住んでいる場所、慣習が異なれば、それは違う形で表出するのです。

本書の主題はこの「グローバルとローカルの折り合いをどうつけるのか」だと理解しています。「理念と現実の折り合いをつける」と言い換えることができるかもしれません。けれど実は世界中どこでも同じような課題を抱えているはず。

インターネットによって好きなものが好きなだけ手に入る時代。商品経済のグローバル化がますます進む中で、しかし地球上で生きていく以上はローカルのことを真剣に考える必要があります。そういう意味で、僕が本書において最大のポイントだと思ったのが「国民国家」です。

著者は現在の世界情勢を、世界の「国民国家の再強化」という視点で語ります。それはポスト・グローバル世界をどのように考えるかという問題とも関わります。まったく予想だにしなかった、2020年以降の新型コロナウイルスの世界的大流行によってその医療的コントロールを国家がしなければならなくなったり、ロシアがウクライナに侵攻することでむしろ国民国家としてのウクライナの団結が強まった。この現象は著者にも意外だったようで、以下のように述べています。

だいぶ前から、「国民国家」という政治単位が国際政治の主たるアクターである時代はそろそろ終わりだと思われていました。経済活動のグローバル化が進行して、クロスボーダーで商品、資本、情報、人間が移動することが当たり前になっていました。それと同時に、気候変動にしても、このパンデミックにしても、人口減少にしても、単立の国民国家では手に負えないものになってきていたからです。人類はトランスナショナルなスキームで問題に向き合わないと手が出ないほど大きな問題に直面している。だから、いずれ国民国家が基礎的な政治単位である時代は終わるのだろう、僕はなんとなくそう思い込んでいました。でも、それはいささか先走りであることをコロナとウクライナで思い知らされました。(16頁)

リベラル派の「誤解」

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