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「グローバル・ローカル・国民国家」という難問 「自由と平等の衝突」の解決に必要な「惻隠の心」

東洋経済オンライン / 2024年1月24日 9時0分

著者にとって、すでに終わったはずの国民国家が復活してきたのです。グローバル化が進み国民国家がなくなる。これは「自由」を重んじる進歩的なリベラル派には、一般的には「いいこと」だと語られてきたと思います。

しかし現状では社会に格差が広がり、特に相対的貧困率はこの50年間で上昇し、6~7人に1人が相対的貧困状態に陥っているという調査があります。

周知のように、日本が国民国家になったのは明治時代になってからのことであり、西洋の各国と比べると後塵を拝していました。西洋の多くの国民国家は宗教性を排することで「国民」を創造した一方で、後発の国民国家であった日本は天皇を頂点に据えてトップダウンの国家づくりを行いました。日本は、西洋列強から自国民を守るために国家を急ピッチで作り上げたのです。

だから基本的に、日本人にとって国家とは自分たちを守ってくれる存在です。しかしアメリカにとっての国家は違います。アメリカでは、市民一人ひとりが社会を作るものであり、国家は自由を阻む必要悪であるという認識なのです。そのアメリカ的価値観が日本に流入すると、グローバリズムとローカリズムの対立になります。著者はトヨタ自動車の例を取り上げ、以下のように述べています。

何年か前にトヨタ自動車の社長が「国内生産300万台」は死守したいと話したことがありました。下請け・孫請けに多くの雇用者を抱えている巨大企業としては国内に一定の雇用を創り出す社会的責任があるというたいへん「まっとうな」発言でした。でも、そのときに「海外の株主からはつよい批判があるでしょう」とも言っていました。海外のもっと人件費や地代の安いところに製造拠点を移さないで利益が目減りするとしたら、それは株主に対する「背任行為」だとみなされる可能性があるからです。(21頁)

自由と平等の衝突

太平洋戦争後、日本はアメリカ的な価値観を受け入れながら、福祉国家的な経済を維持してきました。その一例が護送船団方式です。

しかしグローバリズムの中心にあるアメリカ的価値観では、自国民を守るために国家が経済を保障するのは国民国家のあり方として間違っています。本来のアメリカの保守は小さな政府を志向し、日本の保守は大きな政府を志向するとも言い換えることができます。グローバリズムの中では、国民国家の存在自体が利益の増大を妨げていると認識され、排除されていくのでした。それはグローバリズムが「自由」を希求し、ローカリズムが「平等」を実現したいと思う関係に似ています。

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