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「スタバ=Macポチポチ」"偏見"が物語る強さの本質 本来の定義とは違うシン・サードプレイスを作った

東洋経済オンライン / 2024年1月27日 12時10分

つまり、スタバが掲げる「サードプレイス」とはスタバ独自のきわめて特殊な「サードプレイス」である、ということだ。「サードプレイス」でありながら「サードプレイス」でない、矛盾に満ちたスタバの「サードプレイス」観について、2つの観点から見ていこう。

「会話」がない「サードプレイス」

オルデンバーグが語る「サードプレイス」で重要視されるのが「会話」だ。「サードプレイス」内では、そこにいる人々との自然な会話が生まれ、結果的に利用者同士はその場所において顔見知りになる。確かに地元の居酒屋などに行くと、いわゆる常連を中心に店の中にいる人に自然と会話が生まれている。

スタバはどうか。店員との会話はある。スタバのスタッフに話しかけられたことがある人も多いだろう。他のコーヒーチェーンとスタバの違いを指摘するならば、そのような店員との会話を挙げることができるだろう。SNSでよく、購入したドリンクのカップに店員からのメッセージが書いてあるのがアップされているが、まさにあれも店員と客のコミュニケーションの一環であろう。

しかし、客同士の会話だとどうだろうか。スタバの中で積極的に隣に座った客同士で話すということは考えにくい。スタバの中では、それぞれの客がそれぞれの作業をしていて、そこには相互に干渉するようなきっかけはない。そこで見られる光景は、地元の居酒屋のようなにぎやかな雰囲気とは全く異なるのである。

こう考えると、スタバは、本来の意味の「サードプレイス」ではない。ここに「矛盾」が生じているわけだ。

また、「サードプレイス」の要件として、「誰にでも開かれている」ことが挙げられる。確かにスタバは、商品の代金さえ支払えば誰でも入ることができる。しかし、スタバに入ることにどことなく抵抗感を覚える人も多いのではないだろうか。

以前ほどは語られなくなったが、かつてはネット上で「スタバでMacのPCを使う人」がネタとして語られることが多かった。もちろん実際にスタバで観察をしてみると、そこにいる人々がMacのPCばかりを使っているなんてことはない。「多い」というよりも「多い(ように思える)」が正しいだろう。

けれども「スタバ」という空間が、ある特定の人々に好まれる独特な空間だというイメージを持つ人々がいることを、このネタは表しているのではないだろうか。

単純に言えば、「スタバを使う人々の雰囲気」なるものがある。その雰囲気に合致しない人々にとって、スタバに入ることはどことなく居心地の悪さを覚える。スタバを使う人々の「雰囲気」や、彼らが持つ「妙な一体感」に、腰が引けてしまうのだ。

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