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家族ごはん卒業50代で直面"ひとりごはん"の葛藤 料理家も感じた「難しさ」、たくさんの後悔も

東洋経済オンライン / 2024年2月8日 18時0分

激辛カレーや山盛りパクチーのエスニック料理も、食べたいときに食べられます。夜ごはんのおかずが納豆だけでも、ビールと柿ピーで済ませても構わないのです。

自由だけれど乱れる一方の食生活

また、食材の管理もグッと楽になりました。

たとえば、自分へのご褒美用に冷蔵庫で冷やしておいたプリンが食べられてしまうことも、飲もうと思った麦茶のポットが、ほとんどカラのまま残されていることもありません。

つまり、冷蔵庫の中の食材をすべて自分の管理下に置き、誰にも荒らされない平和が訪れました。何が残っていて何が足りないのかを把握できているので、突然思い立って料理するときや買い出しのときもいちいち冷蔵庫を確認しなくていいのです。

ちょうど、ひとり暮らしを始めたときの感覚がよみがえりました。

しかし、こうして気ままな食生活を送りつつも、次第にそこはかとない寂しさと虚しさ、そして後ろめたさを感じるようにもなりました。

自由気ままな食生活は、料理を作るきっかけとモチベーションを見失い、乱れる一方でした。

自分ひとりのためにわざわざ用意するのは面倒くさいし、多少の空腹はつまみ食いで我慢してしまうようになったのです。

こんな生活では痩せてしまうのではないか!とあらぬ妄想を抱きましたが、食生活が乱れると間違いなく太ります。そしてメンタルは罪悪感と背徳感で常にモヤモヤしています。

仕事としてきちんと作る料理の反動で、ふだんのごはん作りは一層おざなりになっていきました。

「いつもこんなにおしゃれで美味しいごはんを作っていてすごいです」

料理教室ではたとえ社交辞令でもそう言っていただくことが多く、そのたびに違う違う!と心の中で絶叫していました。「自分のごはんなんて適当ですよ」と口にしても、人様は信じてくれません。

「またまたご謙遜を!」と言われて、いちいち否定するのも面倒になりました。

そんな食の二極化は2、3年続きました。

まがりなりにも料理を仕事にし、料理教室では「栄養バランス」や「野菜をたっぷり」などエラソーに口にしていた自分が!です。

人間、責任感がなくなるとこうも堕落するのか、とリアルに体験しました。

そんな中、ときおり芽生える問題意識から自分の未来を想像してみました。

自分で気をつけない限り、自分のごはんは変わらない。他人から注意されることがなくなっていくのが、歳をとるということです。

ただ、間違いなく人間の体は食べたもので作られています。

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