鶴見・南武・相模線の「消えた支線」知られざる歴史 砂利や貨物輸送、京浜の工業発展を支えた鉄路
東洋経済オンライン / 2024年2月16日 6時30分
そこで目をつけたのが、南武鉄道だった。川崎―立川間が完成すれば短絡ルートで石灰石を運ぶことができるようになるため、建設資金の調達に苦しんでいた南武鉄道に対し、浅野が出資したのだ。そして、1929年12月に本線を立川まで全線開業させ、1930年3月には浜川崎支線を開業し、浜川崎駅で鶴見臨港鉄道とも連絡させた。これにより青梅方面から川崎・鶴見臨海部まで浅野系資本の鉄道のみによる一貫輸送体系ができあがったのである。
このほか南武線には、1929年の新鶴見操車場の開設にともない、向河原駅から品鶴線(現・横須賀線ルート)への短絡線として敷設された貨物支線(1973年廃止。廃線跡は「市ノ坪緑道」として整備)や、小田急線の稲田登戸(現・向ヶ丘遊園)駅から南武線の宿河原駅までを結び、小田急線との車両の貸し借りや砂利輸送に使われた登戸連絡線(1967年廃止)なども存在した。
最後に見るのは相模線だ。相模線といえば寒川―西寒川間(1.5km)を結んだ西寒川支線が知られている。相模線の前身・相模鉄道時代の1922年5月に、相模川で採取した砂利輸送のための貨物線として開業(当初は、寒川駅起点1.93kmの四之宮駅が終点)し、後に旅客営業も行った。
これとは別に、相模鉄道には川寒川支線(寒川―川寒川間1.4km。廃止時の官報に0.9kmとあるのは本線との分岐点からの距離と思われる)という貨物支線も存在した。同支線は本線の茅ケ崎―寒川間と同時に、1921年9月に開業している。
どのような支線だったのか知るために、1921年に測図・1925年に鉄道補入した「伊勢原」と「藤沢」の地形図(寒川文書館所蔵)を見ると、2枚の地形図の境目あたりに川寒川支線が描かれている。そこで両図を合成すると当時の路線の姿が浮かび上がってくる。
短命だった「川寒川支線」
寒川駅から西進した川寒川支線と西寒川支線は、現在の県道446号線とクロスするあたりで分岐し、西寒川支線は南西に弧を描くようにして進んでいく。一方、川寒川支線はS字を描きながら北西へ進んでいる。ちなみに相模鉄道本線の寒川―厚木間が延伸開業するのは1926年であり、この地形図が測図された時点での本線の終点は寒川駅だった。
地形図上、「川寒川駅」という文字が書かれているのは現在の県道44号線と圏央道が交差する付近だ。さらに駅の先、現在の県水道の取水堰付近の河川敷まで線路が延びている。
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