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「。」は怒ってる?"マルハラ"にみる世代間のズレ 「感情が読み取れない」スマホ社会の"超弊害" 

東洋経済オンライン / 2024年2月17日 11時20分

たとえば「ばか」という言葉。

漢字で書けば「馬鹿」、あるいはカタカナの「バカ」。

スマホ画面では単なる2文字でも、そこに送り手の顔が浮かび、声が聞こえる気がするならば、さまざまな感情が受け手に伝わってくるはずです。

本当に罵っているのか、あるいは言葉と裏腹に甘えや愛しさを込めたものか……などなど。

文末に「。」があろうがなかろうが、機器相手ではなく、きちんと生身の人間相手と密な関係を構築している人には、きっと理解できるのではないかと思います。

そういえば最近、言葉に関する次のような話がたいへん印象に残りました。

昨年秋に亡くなった歌舞伎役者の父親(市川猿翁=三代目猿之助)を偲ぶ会で、息子の俳優・香川照之さんが初めて明かした告白です。

両親の離婚で、母親に連れられて幼いころ家を出た香川さんは、父親とは45年間絶縁状態にあったと伝えられていましたが、じつは25歳のとき、無性に父親に会いたくなって突然、楽屋に訪ねていったそうです。

「僕を見て父はひどく怒り、『お前は息子でも何でもない。帰りなさい!』と。

でも、その言葉は僕には『お前を愛している』としか聞こえませんでした」

まさに気持ちが言葉を凌駕している、としか言いようがありません。

こうした例もあることを踏まえれば、なおのこと――、「。」を打ったり、絵文字を添えるだけで、人と心からのコミュニケーションが取れていることになるのか……と、どうしても思ってしまいます。

今どきの新入社員は、電話恐怖症だという話をあちこちで耳にします。

声で聞きたい、味わい深い日本語

知らない他人と言葉を交わすなんてそんなコワいこと……。

まして顔も見えないのですから、まぁ嫌がる気持ちもわからないではありません。

「LINEやメールで十分なのに、なんで電話を使ったりするんだろ」。

そう言った若者も知っています。

けれども、『声に出して読みたい日本語』ならぬ、「声で聞きたい日本語」とも言うべき言葉が、わが国にはたくさんあることを、ぜひ見直してみてほしいのです。

人肌の温もりがあり、そこはかとないユーモアがあり、憎めない言葉たち――。

それらが持つ味わいは、無機的な機器からは決して立ちのぼってはくれないと思われます。

日本の家庭では、そうした言葉は、お母さんの口から発せられることが多いかもしれません(我が子を諫めるとき、お父さんへの愚痴がつい洩れるとき、ほか)。

しかし、若い方たちは、どこかで聞いている言葉なのに、なんだか意味がわからないまま聞き流していることが多いようで、それは本当に残念なこと。

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