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「筑波合格も藝大に挑戦」彼の劣等感が消えた瞬間 ルポライターの國友公司さんに話を聞いた

東洋経済オンライン / 2024年2月18日 7時40分

ルポ路上生活のとき荒川にテント張って生活していたときの写真(写真:國友さん提供)

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。

今回は、浦和西高等学校から現役で筑波大学芸術専門学群建築デザイン領域に進学するも、周囲のレベルの高さに劣等感を感じ、1年生終了と同時に休学。仮面浪人を決意して東京藝術大学を目指すも不合格となり、その後筑波大学での2度の休学を経験。7年間かけて大学を卒業した後、フリーライターになり、現在『「ゴミ屋敷」孤独な部屋の住人たち』を東洋経済オンラインで連載中の國友公司さんにお話を伺いました。

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怖い印象がある場所にも、精力的に取材

今回取材した國友公司さんはルポライター。一般の人が少し怖いイメージがある場所にも、好奇心を持って足を運び、そこで取材・執筆した文章を世の中に発表しています。

【写真】國友さんの卒業制作

現在は東洋経済オンラインで『「ゴミ屋敷」孤独な部屋の住人たち』を連載中で、ゴミ屋敷に住む人々の暮らしの実情も追っています。

そんな彼に話を聞いてみたところ、現在の仕事に興味を抱いたのは、「浪人の1年のおかげ」だと言います。

一見、今の活動と関連性が見えにくい浪人の経験が、どのように彼を形作ったのかについて聞いてみました。

國友さんはバンドマンの父親と介護職の母親のもと東京都練馬区に生まれました。両親はどちらも高卒だったそうです。2歳のときに、栃木県の那須に引っ越した國友さん。学校の授業に関しては「問題なく授業についていけていた」と語ります。

「3つ上の姉が優秀で、クラスでいちばん勉強ができたんです。その姉に教えてもらいつつ勉強をしていたので、気がつけば3年先の勉強を先取りしていました」

「進研ゼミ」も熱心にやっていた彼は、同級生が12名程度だった小学校と、60名程度だった中学校でずっと学年1~2位という優等生でした。ただ、将来が明るいわけではなかったようです。

「父と母の性格が合わず、喧嘩が絶えませんでした。小学校4年生のときに別居して、中学2年生のときには離婚しました。姉と私は母親のほうについていきましたが、別れるときに裁判沙汰にまでなってしまったので、母はかなり精神的に参ってしまっていました」

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