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キューバ「オーガニック大国」になった意外な経緯 大国に振り回される中、たどりついた農業

東洋経済オンライン / 2024年2月19日 16時0分

大航海時代以降、スペインによる植民地支配を受けてきたキューバは、奴隷制度とプランテーションの下で砂糖産業を発展させた。世界の流通量の4分の1を占める大生産国になる一方、砂糖依存の一本足打法的な経済にもなっていった。

1800年代になると、中南米地域一体で独立の機運が高まり、1902年にはキューバも独立。ただし実質的にはアメリカの保護国という扱いで、アメリカの支配するサトウキビ産業への依存はますます高まっていった。

富の流出はすさまじく、1927年には、175ある精糖工場のうち75がアメリカ資本で経営され、その生産量は全体の62.5%を占めるまでになっていた)。親米政権への不満が高まり、1959年にカストロが指導者となりキューバ革命勃発。ここで活躍したのが、アルゼンチン出身のチェ・ゲバラだった。ゲリラ軍を率いて政府軍を制圧し、革命成就の英雄となった。

さて、ここからが大変。キューバ革命を経て誕生したカストロ政権は、アメリカの資本であったサトウキビ農園や精糖工場を没収して国有化する方針を発表したのだが、アメリカは当然そうさせたくない。キューバの砂糖産業から今まで得ていた巨大な利益を失うことになるからだ。

そこで対抗して行ったのが、キューバからの砂糖輸入禁止措置。「作っても買わないぞ」という姿勢を見せることで、方針撤回を期待した。キューバは困った。砂糖は同国の主要輸出品であり、経済の要だ。その多くをアメリカに売っていたので、大量の砂糖が行き場所を失い、外貨を得られなくなった。

そこでアメリカに代わる売り先として急接近したのが、もう1 つの大国ソ連だった。時は冷戦真っ只中。キューバの動きを見て、社会主義国家化することを懸念したアメリカは、キューバに対して禁輸措置などの経済制裁を課した。この制裁は、形や程度を変えながら今も行われており、キューバは物が安定的に入ってきにくい状況が続いている。

「なしでできるならそれに越したことはない」

物というのは食料だけでない。化学肥料も農薬も、トラクターを動かす燃料もだ。燃料が入ってこなかったら、トラクターはただの鉄の塊だ。そういうわけで牛耕へと回帰し、化学肥料を使わない農業を志向するようになった。キューバの有機農業は、物がない中で食料を生産するために発展した苦肉の策だったのだ。

オーガニック農業というと、相当意志のある選択のように思っていたけれど、ティティの理屈はあっさりしている。「何年も試行錯誤しているうちに、化学肥料や農薬はなくてもいいと気づいたんだ。なしでできるならそれに越したことはない」。

岡根谷 実里:世界の台所探検家

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