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別れの手紙を託し生死と向き合った音楽家の覚悟 このお手紙がお手元に届く時、僕はこの世におりません

東洋経済オンライン / 2024年2月20日 11時50分

中学時代に一時中断したものの、ジャズに出会ってからは、人生が音楽から離れることはなかった。高校ではジャズ研究会に所属し、東京にある国立音楽大学の作曲科に進学。在学中に仲間と一緒に立川や八王子のキャバレーで演奏する日々を送るようになる。その流れで、RCサクセションのライブやレコーディングをサポートするようになり、職業音楽家の道に進んだ。

1984年には佐山さん名義の音楽アルバム(リーダーズアルバム)をリリースすると、1994年に村上ポンタ秀一さん(Ds)と水野正敏さん(B)の3人で「PONTA BOX」を結成し、ニュース番組にもレギュラー出演した。

その後も多くのレコーディングやライブ、音楽の制作に携わり、2000年以降は川崎市にある音楽施設・ミューザ川崎シンフォニーホールのホールアドバイザーに就任したほか、母校の国立音楽大学をはじめ多くの大学で教壇に立つなど、活躍の幅を広げていった。

還暦を迎えた夏の異変

ジャズピアニストとしての輝かしい軌跡。そのキャリアは全国を飛び回ってもガタのこない身体にも支えられていただろう。還暦を迎えるまでは、白内障と網膜剥離の手術を受けた以外に病院に長くお世話になることもなかったという。

しかし、異変は60歳の夏に訪れた。

<2014年8月下旬。名古屋で連日美味しく飲食していた。ある日歩行時に何やらタプタプ音がする。胃に水が溜っているような。31日に金沢へ。日景修の予約した「揚羽」で恒例の和定食。刺身も良いがその場で揚げる自家製蒲鉾が絶品。いつもならごはんのおかわりをする所が妙に腹に入って行かぬ。思えばそれが11月7日に三分粥を頂くまでの最後の食事となったのだった。>
(2014年11月21日「入院記」)

東京に戻ってからは食べても戻してしまうので、ジュースと栄養剤に頼ったが、体重はみるみる減っていく。近所の病院に逆流性食道炎と診断されて出された薬を服用しても良くならず、知人の医師を頼って胃カメラで検査するとステージIIの胃がんと判明。胃の3分の2を切り、1カ月を超える入院生活を余儀なくされた。

退院から間もなくしてその事実を詳細に記している。

<胃癌。発生場所は幽門付近。但し胃の内面でも外面でもなく胃自体の素材の内部。壷で言えばそれを形作っている土そのものの内部。スキルス性という深く隠れて結構な速度で進行する嫌らしい種類の癌らしい。胃が塞がって衰弱したのが幸いして早期発見に繋がったのだから何が幸いするかわからない。>
(2014年12月1日「入院記II」)

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