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別れの手紙を託し生死と向き合った音楽家の覚悟 このお手紙がお手元に届く時、僕はこの世におりません

東洋経済オンライン / 2024年2月20日 11時50分

幸い骨髄転移ではなく、退院すると佐山さんは再び社会に向けて精力的に動き出した。7月にCDを販売し、8月公演のミュージカルへの楽曲提供も行った。その間、週に2回は大学で教壇にも立っている。秋に向けて自身を含む複数人のジャズピアニストが一堂に会したライブイベントの計画も打ち出している。

ただし、万全に戻ったわけではなかった。8月のミュージカルはステージに乗るつもりでいたが、体調が優れずに断念している。8月半ばには血液検査の数値が思わしくなく、そのまま療養入院を余儀なくされた。それでも9月にはB'Ridgeのライブステージを完遂しているが、ライブの感想が本人から語られた文章は残されていない。

10月から11月にかけては、予定していたライブの中止や出演者変更のお知らせがスタッフによってなされたのみだ。そして11月14日、冒頭で引用した「このお手紙がお手元に届く時、僕はこの世におりません」の文章が公式サイトのトップに掲げられた。あと2週間弱で65歳の誕生日を迎えるところだった。

託された手紙

「年を越すのは厳しいかも」「あなたは今、危篤状態です」。時間をおいて軽妙に語られる闘病の跡からは、間近に迫る死と直面して過ごした様子が垣間見られる。退院して間もなくに胃がんであると単刀直入に語った1回目の手術後とは様相が異なる。「個人的な相性があって2回ほど七転八倒した」と軽くカッコ書きで語られるように、抗がん剤治療も決して楽なものではなかっただろう。

直接的な恐怖や苦痛をブログで語らない。それは佐山さんの気遣いであり、美学だったのかもしれない。軽やかで楽しいビアノの調べとも重なる気がする。背景にはさまざまな思いがあり、どうにかして生をつなぎたい悲壮な強い意志がある。それでも死が近づく現実からは目を背けない。そうした諸々が別れの手紙に詰まっているように思えた。改めて引用したい。

<このお手紙がお手元に届く時、僕はこの世におりませんが、長きに亘ってのお付き合いにお礼を言いたくて家人に託しました。
 加山雄三とタイガースが大好きな中学生。高度成長期大阪の衛星都市尼崎に親父が構えた小~さな小売商を継ぐことに何の疑念も持たないごく普通(以下)の子供がジャズとの出会いで、楽しさこの上ない人生を送ってしまいました。
 まことに人生は出会いであります。
 「君の身体は君の食べたモノで出来ている」と言いますが、まったく同様に僕という者は僕が出会った人々で出来ているのだとしみじみ実感したことです。
 その出会いを皆様にあらためて感謝しつつ、今後益々の良き日日を祈りながらお別れをします。
 ありがとう、さようなら
 2018年11月14日 佐山雅弘>

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