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不思議なほどに愛しすぎ、その思いが人を殺める 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・夕顔⑤

東洋経済オンライン / 2024年3月3日 16時0分

「姫君は人よりずっとこわがりな性質(たち)ですので、どんな思いでいらっしゃるか」

と右近が心配そうに言う。昼間も、心細そうに空ばかり見上げていたのを思い出し、光君も女がかわいそうになり、

「私がだれかを起こしてこよう。手を叩いても山びこがうるさく返事をするだけだからね。おまえはしばらくそばにいてあげなさい」

と右近を引き寄せる。光君は西の妻戸に出て、戸を押し開けると、渡殿の灯も消えていた。風がかすかに吹いている。ただでさえ数少ない宿直の者はみな寝ている。この院の管理人の息子で、光君とも懇意な年若い臣下、殿上童(てんじょうわらわ)ひとり、他はいつもの随身(ずいじん)だけなのである。呼びかけると、管理人の息子が起きてきた。

「紙燭を持ってきておくれ。随身にも、魔除けのために弓を鳴らして絶えず声を出せと言いなさい。こんなひとけのないところで、よくそんなに熟睡できるな。さっき惟光が来ていたようだが、どこへ行った」と光君が訊くと、

「お控えしておりましたが、仰せ言もありませんので、夜明けにお迎えに参上すると申して下がりました」と管理人の息子は答える。

この息子は、いつもは清涼殿(せいりょうでん)の滝口で警備に当たっている武士なので、じつに慣れた手つきで弓弦(ゆづる)を鳴らし、「火の用心」とくり返し口にしながら管理人の部屋へと向かっていく。その声と弓弦の音が闇の中を遠ざかってゆく。光君は宮中を思い出し、今頃は殿上の宿直が名を名乗り出勤を知らせる名対面(なだいめん)の時も過ぎて、滝口の宿直が名乗りをしているところだろうと思いを馳(は)せる。まだ夜はそれほど更けていない。

部屋に戻り、暗闇の中、手さぐりでさがすと、女君はさっきと同じく横たわったままで、右近がそのそばでうつ伏せになっている。

「いったいどうしたというんだ。こんなにこわがるなんて馬鹿げている。こういう荒れてひとけのないところは、狐なんかが人を脅そうとして、薄気味悪く思わせるのだよ。でも、この私がいるんだから、そんなものに脅されるはずがない」と、光君は右近を引き起こす。

「もうどうにも気分が悪くなりまして、横になっておりました。それよりも、姫君がどれほどこわがっていらっしゃることでしょう」右近にそう言われ、

「そうだ、どうしたというのだ」と、光君は女に触れる。すると女はすでに息をしていない。揺り動かしてみるけれど、ぐったりとして気を失っているようだ。あまりにも子どもっぽいところのある人だから、物の怪に魅入られたのかもしれないと、光君は絶望的な気持ちになる。

まぼろしのようにあらわれた「女の顔」

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