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3浪早大「一族から大卒者を」親の期待に抱く葛藤 福岡県の名門高校「修猷館」に進学したが…

東洋経済オンライン / 2024年3月3日 7時30分

父親の講義で「スイッチが入った」と語る彼の中学1年生のときの成績は、猛勉強の甲斐もあって学年1〜3番。当時東京で受けた模試では偏差値が71だったそうです。しかし、中学2年生で福岡に戻ってからは、成績が下がってしまいました。

「東京と福岡で、授業の進み度合がちがい、中学時代に一度も日本地理を習えなかったんです。模試で地理が出ると当てずっぽうで解答したので、71だった偏差値は、2年生の終わりには59まで下がりました」

それでも、この逆境に気合いが入った澤木さんは、地理を克服しようと、いろんな参考書を買ってひたすらやりこみます。その結果、何もわからなかった地理は入試の得点源にまでなりました。

「気がついたら朝まで勉強していたこともあった」と語るほど猛然と勉強していた彼は、高校受験で第1志望であった福岡の名門・修猷館高等学校に無事合格します。

しかし、ここから彼は劣等生へと転がり落ちてしまいました。

成績4番から480番に転落

福岡有数の進学校の入試を「最高にうまくいった」と語る彼は、4位の成績で入学。しかし、のちにキャプテンになるほどサッカー部の活動に打ち込んだ彼は、まったく勉強をしなくなりました。

「高校時代は部活と、麻雀と、彼女で忙しかったです(笑)。夏休み前の成績は学年で10番の科目もあったのですが、中学受験の貯金がなくなっていって、だんだん成績が落ちていきました。親が先生に呼び出されて『おたくのお子さんは4番で受かったのに、今は(最下位の)480番だけどどうなってるんだ』と言われたこともありましたね。完全に勉強に興味がなくなってしまったんです」

親は一橋か早稲田にいって商社マンになってほしかったそうですが、本人はこれといった将来の夢もないまま受験学年に突入。

高校3年生の夏くらいに模試で偏差値が40しかないことに気づいた彼は、『得意の運動を生かして体育の先生になろうかな』と思い、福岡大学体育学部体育学科を第1志望に設定します。

受験勉強をする気が起きず、直前期も勉強時間ゼロで浪人確定だと思っていた澤木さん。しかし、蓋を開けてみたらまさかまさかの合格だったそうです。

「受かるわけがないと思っていたので、驚きました。当時はみんな『修猷館は4年制!』と言っていて、隣の修猷学館という予備校に入るのがお決まりのコースでした。赤本も買わず、塾も行かずで、浪人する気満々でした。だから、浪人が決定したサッカー部の同級生は『なんでお前が大学生なんだ!』って怒っていましたね(笑)」

大学にいる意味を感じなくなる

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