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3浪早大「一族から大卒者を」親の期待に抱く葛藤 福岡県の名門高校「修猷館」に進学したが…

東洋経済オンライン / 2024年3月3日 7時30分

こうして現役で福岡大学体育学部に進学した澤木さんは、大学でもサッカー部に入ります。高校でも主将を務めたように、運動神経には自信があった彼でしたが、彼はこの環境で同級生と自分を比べて、「すべてのレベルが違うこと」に愕然としたそうです。

「周囲の選手たちとは、大人と子どもくらいの実力差がありました。当時福岡大学のサッカー部は全国の頂点に君臨していて、高校で全国を経験している人しかいないスーパースター集団でした。来るところを間違えたと思って、1カ月もしないうちに部活に行かなくなり、学校にも行かなくなりました」

朝からパチンコ屋に通いつめたり、仲のいい浪人友達とゲーセンや麻雀に行ったりしていた澤木さんは、しだいに学校にいる意味を感じなくなっていきます。

ずっと「辞めたい」と思っていて、ようやく父親に切り出したときには2年生の終わりになっていました。

「もう大学に行きたくはありませんでした。だから、『1年間勉強して公務員になろうと思ったので、そのための専門学校に行かせてほしい』と伝えたんです」

しかし、大卒のいなかった澤木家にとって、彼が大学を卒業するというのは一家の悲願であったようです。

「とにかく1年浪人して、どこでもいいから大学に行け!」と言われた彼は、抵抗しながらも父親を納得させるために3月末に福岡大学を辞め、4月から代々木ゼミナールに通うようになります。

「2年間まったく勉強せず、現役のときより偏差値が下がっていると思っていたので、心の中では今から大学に行くのは絶対に無理だと思っていました。予備校では修猷館出身だと伝えたら好きなコースの授業を受けさせてもらえたので、『受かるわけがない!』と思いながらも明治中央コースに入れてもらい、浪人生活をスタートしました」

そもそも大学に行くつもりのなかった彼が、しぶしぶ3浪の年齢で浪人を始めたのは、「父親に諦めてもらうため」という消極的な理由だったそうです。

「父親に1年死ぬ気で頑張っている姿勢だけ見てもらえればいいと思っていたんです。一生懸命やってどこも受からないのを証明すれば、どうせ全部落ちるから、父親も僕に(勉強の)適性がなかったと諦めてくれるし、大学に行かなくて済むんだろうなと考えていました」

修行僧のような生活、成績もどんどん上昇

しかし、澤木さんはこの1年の頑張りによって、自身すらまったく想定していなかった成長を見せます。

「最初は仲のいい子が2浪で駒澤大学に進んでいたので、自分も日東駒専(日本大、東洋大、駒澤大、専修大)に入るくらいまで学力を上げられたらいいなという感じでした。ですが、睡眠と食事と風呂とトイレ以外はすべて勉強という修行僧のような生活をしていたので、偏差値がものすごく上がったんです。

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