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「管理職目指す女性が少ない」日本が直面する現実 DeNA南場会長とハイセンスジャパン李社長対談

東洋経済オンライン / 2024年3月14日 12時30分

それを取り除いていくことのほうが重要で、やりたくないという状態なのに数を合わせることを優先するとひずみが大きくなります。

李:教育も関係があると感じます。私の印象ですが、日本の小学校は競争を奨励しませんよね。そうすると社会に出てからマネジメントしたいとか、競争したいとなかなか思わないでしょうね。

――南場会長は女性であることで苦労を感じたことがないとおっしゃっていますが、今の40代くらいの女性までは、例えば学校の成績がよかったときに「女にしておくのはもったいない」とか、「女が勉強できても仕方ない」と言われることが多かったです。

南場:たしかに何をやったらほめられるかっていうのは子どものときは男女でだいぶ違ったかもしれないですね。

私の場合は(若いときに)抑えつけられていた分、自由に対する欲望が強く残りました。だから、やりたいことをやらせてもらえなかったというのが、逆にばねになったところはあります。

今は自由に選べる時代だと思っていますが、抑えつけられているうちに、欲望を忘れちゃったり、自分のやりたいことを修正しちゃったり、ハングリーさを失う人は何割かはいたかもしれないですね。

――制限がない社会になってほしいのはもちろんですが、男女問わず、長い間働くうえでさまざまな事情で全力疾走できないことは起こりえます。そういう経験はありますか。そのときどう調整したのでしょうか。

李:私は1995年に新卒でハイセンスに入社しました。ハイセンスはその数年後に海外進出を始め、海外ポストは空きだらけでした。私は世界を見たいという気持ちが強くて、手を挙げてアメリカ、オーストラリア、ベルギーに赴任しました。

その後本社に戻って出産しましたが、娘が2歳のときに日本に法人をつくるから社長にならないかと打診されました。テレビ市場がアナログからデジタルへの移行期で、1000万台の市場をゼロから開拓できるよと言われて、「絶対やりたい」と思いました。

だから家族会議をしまして、自分は海外でもっと上を目指したい、家族に裕福な暮らしをさせるから家庭のことを手伝ってくれないかと相談しました。

兄が高齢の親を、姉が私の子どもをみてくれることになりました。姉は自分の子どもが中学生で手が離れつつあり、私の子をみる余裕があったのが大きかった。姉が手伝ってくれるから私は社長ができています。夫も背中を押してくれました。

夫が賛成しなかったらたぶん日本に来てなかった。そうして最初は日本に単身赴任して、子どもが5歳のときに姉と子どもが日本に来ました。夫も時々日本に来て、こういう環境で子どもを育てられるのは幸せだと喜んでくれた。

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