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天才「ガンディーニ」シャイな彼が残した遺言 ミウラやカウンタックを生んだデザイン哲学

東洋経済オンライン / 2024年3月15日 12時30分

彼は決して無愛想なワケでもなく、とても細かい気遣いをしてくれるジェントルマンなのだが、いかんせん過去の仕事に関しての興味がまったくない。そしてとてもシャイだ。

だから、インタビューをしてもおよそ盛り上がらないし、興味深いエピソードを意気揚々と語ってくれることなどあり得ないのだ。もっとも、これは多くの天才たちも同様で、昔を振り返るより未来の仕事に集中したいということは、私のような凡人でも想像がつく。

そんな矢先、トリノ工科大学にてマルチェッロ・ガンディーニの機械工学名誉学位授与式が開催され、彼のデザインした歴代のクルマたちが大学の中庭に並ぶというニュースが届いた。そうなれば、彼もスピーチせざるを得ないであろう。

これは逃すワケにはいかないと、参加のご招待を受けていたのだが、のっぴきならぬ事情でキャンセルせざるを得なくなった。これが2024年1月12日のことであった。

仕事の哲学、そして次世代への提言

ランボルギーニ・ミウラ、カウンタック、フェラーリ「ディーノ308GT4」、マセラティ「カムシン」「シャマル」、ランチア「ストラトス」など、そうそうたるラインナップがトリノ工科大学のキャンパスに並び、彼をひと目見ようと学生をはじめ、多くの人々が会場に集まった。

彼の授与式に参列したのは、このイベントをサポートした古くからの仕事仲間であるストーラ夫妻や、ASI(イタリアクラシックカー協会)のメンバー、そしてベルトーネ&ガンディーニの偉業の記録に注力したジャーナリストたちだった。

おおよそ多数の人前で話すことなど得意であるワケのない彼が、今回の授与式に続く講演で一体どんなことを話すのかは、大いに興味があった。そして、それは結論から言うとまさに「見事な出来の自伝」であり、彼の仕事に関わる哲学、そして次世代への提言が濃縮された素晴らしいものであったのだ。

「自分は反抗的であったし、親の決めたルールには従わなかった。私が絵を描き始めたのは、イタリアに "デザイナー"という言葉が存在しなかった時代だ。建築家やエンジニアになるための勉強はできたが、私のやりたいことのための学位コースはなかった。広告のスケッチ、漫画、家具、そして少しずつ、カロッツェリアのためのクルマの図面など、何でも描いた。まだ仕事というには少なすぎたが、自分の方向性を感じるには十分だった」

そして、「若者よ、決して人の意見に惑わされず、人と同じことをするな」と彼は力強くアジテートした。

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