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「医学部を目指した20年」夢を諦めた彼女の行く末 医師になりたかった理由、新たな道を選んだ訳

東洋経済オンライン / 2024年3月24日 7時0分

医学部医学科に行けないなら、大学には行けなくてもいいと思っていたそうで、この年は大阪市立大学(現:大阪公立大学)の医学部医学科を受験したものの、不合格でした。

4浪目で突然成績が上がる

2浪目に突入したtotoronさんは、保険金を解約して費用を捻出し、駿台予備学校に入学。ひたすら勉強に打ち込みます。

予備校の先生にも「とにかく時間をかけてやるしかない」と言われ、医学部医学科入学まで何年もかかるものだと覚悟を決めたのも、この時期だと言います。この年のセンター試験は6割で、三重大学の医学部医学科を受けるもあえなく撃沈でした。

3浪目も前半は金・土・日に1日あたり4~12時間程度、ホテルの配膳のアルバイトをして、講習代や受験費用を貯めながら、駿台で勉強を続けますが、成績は上がらず、センター試験も6割未満。ふたたび三重大学医学部医学科を受験したものの、不合格に終わりました。

しかし、4浪目では進展を見せます。この年も前半は配膳のバイトをしながらの勉強でしたが、毎回模試の偏差値が40だった化学が、ある日突然60にジャンプアップします。数学も40から55程度に上がり、着実に勉強の成果が現れ始めました。

「それまでずっと成績も上がらず、わからないことばかりでつらかったのですが、めげずに毎回わからない箇所を先生に質問しにいったので、少しずつわかることも増えて、基礎も身に付いてきたのだと思います」

とはいえ、センター試験の得点は上がったものの、7割程度。この年も三重大学の医学部医学科を受け、落ちてしまいます。初めて私立の医学部医学科や大阪薬科大学(現・大阪医科薬科大学)なども受験しますが、全落ちで5浪が確定しました。

「3浪までは『とにかく頑張ろう、頑張ったらきっといける、という感じでした。でも、成績が上がってくると恐怖を抱くようになりました。頑張っても、この年にはもう(医学部医学科に)いけないのが肌感覚でわかってくるので。センター試験でこけたら、もう1年やらないといけない。この頑張った1年はほぼリセットになります。センター試験が思うように取れなくて、情けなくて悲しくて、大号泣したのもこの4浪目の年でした」

5浪目は気分を変えて、1浪で通っていた河合塾にふたたび戻る決断をします。さすがにもうこれ以上の浪人はつらいと思ったtotoronさんは、河合塾で京大の理系を目指すコースに入りました。

「もうこの年は医学部医学科だけではなく、別の学科に受かっても進学しようと思いました。浪人生活でいちばんつらかったのが、この年でした」

断腸の思いで医学部医学科受験を諦める

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