1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

「医学部を目指した20年」夢を諦めた彼女の行く末 医師になりたかった理由、新たな道を選んだ訳

東洋経済オンライン / 2024年3月24日 7時0分

彼女はこの年まで落ち続けた理由を、「導いてくださる先生の不在」と考えます。

「当時はネットが発達してないので、周囲に誰も志望者がいない未知の進路に進むためには、手探りで自分の道を開拓しないといけませんでした。受験は才能・能力も必要ですが、いちばん必要なのはノウハウだと感じます」

この年も焦りから「ずっと自習室にこもって勉強していた」というように努力を続けていた彼女でしたが、京大と医学部医学科の判定はずっとEのままでした。結局、センター試験も7割ちょっとだったために、断腸の思いで京大と医学部医学科の受験を諦める決断を下しました。

この年、彼女は大阪薬科大学・京都薬科大学・神戸薬科大学・摂南大学を受験し、大阪薬科大学と摂南大学に合格して、ようやく彼女は5浪で大阪薬科大学に進学しました。

5浪で大阪薬科大学に入学したtotoronさんは、ひたすら中学受験の塾でアルバイトをしながら、勉強に打ち込む日々を送ります。「医学部医学科落ちがたくさんいるし、授業自体も面白かった」と満足していた大学生活。しかし、その生活も2年目で終わりを告げます。

「親が大学に行っていないこともあり、薬学部が6年間通うところだとしらなかったんです。1年目は日本政策金融公庫でお金を借り入れてもらい、授業料と入学金を合わせた400万をなんとか大学に納めたのですが、親の事業の失敗もあって、次の年からはとても払えないということで休学しました。

今思えば、奨学金を調べて駆使したら、卒業まで通えたかもしれませんけどね……。そこから私は、とにかくどこかの大学を出なければいけないと思い、そのためには再度受験するしかないと思って、ひたすらバイトでお金を貯めながら、センター試験を受けました」

2年生で休学したため、7浪目の年にふたたびセンター試験を受験。このときの結果は、7割弱で5浪のときと同じくらいでしたが、2次試験の対策に自信があったため、奈良女子大学の理学部数学科に出願しました。その結果、ボーダーからマイナス50点ときびしい状況を2次試験で覆し、7浪で奈良女子大学に入学できました。

ふたたび医学部医学科を目指したきっかけ

こうして波瀾万丈の浪人生活を終えたtotoronさんは、満足した日々を送れたようです。

「大学生活はとても楽しかったです。教授陣のレベルが高くて丁寧に教えてもらえたので4年で卒業できました。学問に真摯に向き合う時間を持てたことは、私という人格を作るのにとても貴重な時間でした。今となってはそんな当時を羨ましくも思えます」

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください